【似姿2】

「全然ダメ。思い切りが足りないようね」

 自分の顔を見るなり女神の口から漏れた言葉に、セージは瞬いて――――――すぐに顔を引き締める。兄であれば、このぐらいの言葉で動揺したりはしない。
 自分の兄ならば、女神からの否定の言葉にも動じることなく、のらりくらりと応えるはずだ。

「……そうやって構えている時点で、自分はハクレイじゃない、って白状しているようなものですよ」

 クスクスと可憐な声音で笑う女神に、ハクレイ――の着物を着たセージ――は苦笑いを浮かべた。
 これ以上はつくろい様もない。
 どうやら、本当に無駄な抵抗だったらしい。

「参考までにお聞きしたいのですが……いつから私が兄ではないと?」

「そうね……」

 戦女神などと勇ましい名を冠する乙女ではあるが、精練された美しさを持つ女性でもある。
 形の良い唇に指をあてて小首を傾げる仕草などは小鳥のように愛らしく、男であれば誰でも胸に早鐘が鳴ることだろう。セージもその例に漏れず、かすかに頬が上気するのを自覚した。

「やっぱり、最初から……かしら?」

「最初から?」

「ええ、最初から」

 そう言って、女神は艶やかに微笑む。

「確かに姿形は似ているのだけど、貴方達双子は……よく見ると全然似ていないのよ」

「それは……いったい、どう言う……?」

 女神からの意外な指摘に瞬く。
 これまで「おまえたち双子はそっくりだ」と兄と一括りに数えられ、兄の仕出かした悪戯の後始末に駆り出されて来た身としては、実に興味深い。

「まず、歩き方が違います。ハクレイは……ゆったりと、あちこちを余所見しながら歩くけど、セージは目的地に向かって真っ直ぐキビキビと歩くわ」

 微笑みながらの女神からの指摘に、セージは驚いて自分の足元を見下ろす。
 歩き方など意識した事もなかったが、そんなにも兄と違いがあったのだろうか。
 そうと知っていれば、兄を意識してゆっくりと歩いたのだが――――――と、一つ気がついた。そう言えば、兄と共に行動をする時は、いつも兄に「歩くのが遅い」と文句を言っていた気がしないでもない。

「歩く姿勢も違うわね。二人とも姿勢は良いのだけど……セージの方がピッと背筋が伸びている印象があるの」

 これも言われるまで気がつかなかった。
 同じ顔をして、同じ背丈をしているのだから、姿勢に違いがあるだなんて思いつきもしない。

「声の高さにも性格が出ているのかしら? セージの方が少し高くて、まるで冬の湖の水面のよう。シンっと胸に入ってくるのだけど、ハクレイの声は違うわ。彼の声はじんわりと心に広がってくるの」

 これはさすがに意識して兄の口調を真似てみていたのだが。
 女神には声音ですでに見分けられていたらしい。
 顔の同じ双子の兄弟を他ならぬ敬愛する女神から見分けてもらえ、喜ぶべきなのかもしれないが、こうも粗を指摘されてしまっては少々決まりが悪い。「入れ替わり」等、朝早くにやってきた兄からの突然の提案であって、元々気乗りのしない物ではあったが。

「後は……」

「まだあるのですか?」

 そう肩を落としながら聞き返す。
 空しさを多分に含んだ言葉に、女神はあいも変わらず麗しい微笑みを浮かべたまま答えた。

「ええ」

 恐れ多くも女神に懸想する兄が見れば感激に咽び泣くであろう微笑みではあったが、今のセージにはただただ空しい。
 気の進まぬ兄の悪戯に付き合った結果がこれかと、すぐにでも巨蟹宮に戻って着替えたいのだが、女神の話が終わらぬ以上、セージからはこの場から逃げ出すことはできない。
 ということは、ひたすらに悪戯が露見した羞恥に震えながら無垢に微笑む女神に付き合わなければならない。この居た堪れなさを、自分の兄が少しでも理解してくれるのならば、恥も掻き甲斐があるという物だが――――――兄の辞書に「恥をかく」という単語はない。おそらく。否、絶対に。

「――――――アテナ様」

 ふいに背後から聞こえてきた声に、セージは反射的に振り返って膝をつく。
 いつの間にか背後には、至高の冠を頂く教皇が立っていた。

「セージを苛めるのはそのあたりで……」

「あら、だって……セージったら何でも深刻に受け止めて楽しいんですもの」

 神と人間。
 聖域に住む人間の最上位にいる教皇とはいえ、立場の違いを考えれば当然神の存在が上位となる。
 事実、教皇は女神に仕える人間の一人ではあるのだが……人の姿を借り、最初は赤子として地上に現れる女神は聖域で育てられ、その過程で教皇は養父の役割も果たす。結果として擬似的な父子関係が築かれる女神と教皇の間には、多少の親しみが生まれる。
 今でこそ大人の女性そのものに成長した女神ではあるが、教皇の前では幼子のように――――――小さく舌を出した。

「……でも、そうね。セージばかり苛めたら可哀想だわ。続きはハクレイが戻ってきてからにしましょう」

 教皇に促されながら顔を上げ、セージはそこでようやく気がついた。
 そういえば、事の発端である兄はどこに姿を消したのだろう?
 そもそも、兄は何を企んで自分の聖衣を剥ぎ取っていったのだろう? と。

「ハクレイならば、蟹座の黄金聖衣をまとって異様に意気揚々と歩いておったから、適当な任務を押し付けてやったぞ。今頃は地球の裏側におるはずだ」

「いつものハクレイなら面倒だって逃げ出すけど、セージの姿をしていたら断れないものね」

 うふふ、と顔を合わせて笑いあう似たもの親子(仮)に、セージは兄が気づかれていると知らずに仕事を押し付けられたのだと確信する。それがほんの少しだけ気の毒ではあったが、元はと言えば兄の言い出したことなので気にしないことにした。教皇は「地球の裏側」等と言ってはいるが、聖闘士にとっては大した距離ではない。ましてや兄は、黄金聖闘士になれる力を持ちながら、その資格を弟に押し付け、格下の白銀聖衣を選んだ男だ。黄金並みの力があるのだから、セージが下手な心配をする必要もない。

「そうそう、セージ。最後に一つだけ」

 ひとしきり教皇と笑いあった後、女神はとっておきの秘密を教えてあげる、と今日一番の麗しい微笑みを浮かべてセージを見つめた。

「ハクレイなら、貴方との違いを全部挙げて指摘しても、シラをきり通すわ」

 そのぐらいの図々しさがなければハクレイの真似なんて無理よ、と微笑む女神に、セージは生まれて初めて無礼を働いた。



 脱兎の如く、麗しの女神の眼前から逃げ出すという無礼を。


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