闇の太陽を葬り、フォルトたちをレトラッドまで送った後、プラネトスU世号は残る二人の助っ人を故郷へ返すためエル・フィルディンに向かっていた。

そんなある日のこと。

「あれ、ミッシェルさん」

ミッシェルと呼ばれた男は動かしていた手を止め、声のした方へ振り向く。

「おや、アヴィンさん。どうしたのですか?」

ミッシェルを呼んだ声の主の名はアヴィン。プラネトス号はこのアヴィンともう一人の助っ人、マイルをエル・フィルディンに送り届けるために今も海路を進んでいる。

「いや、少し腹が減って・・・」

「先ほど昼食をいただいたばかりではありませんか」

ここはプラネトス号の中にあるキッチン。この船にはコックがいないので自分のご飯は自分で作らないといけない。
食事の時間というのは特に決まっておらず、料理道具とキッチンさえ空いていれば自由に使っていいことになっている。
ただ、この船のキャプテン、トーマスの配慮でアヴィンとマイルの食事は副長のルカや他の水夫たちが作ることになっていた。

客人に飯を作らせるわけにはいかない、と。

しかし、やや量が少ないのか、昼食後にアヴィンが台所に来るのはよくあることだった。

「・・・そういうミッシェルさんこそ、こんなとこで何作ってるんだよ。エプロンして。」

ローブの上からエプロンをかけ、右手には包丁。しかし左には何があるのか、アヴィンの位置からでは死角になっていて見えない。
何故ローブを取らずにエプロンをするのか、それはこの船にいる全員が思っていることだが誰も口にしない。暗黙の了解というやつで
ある。
ローブを取ればそれらしく見えるのだが本人にその様子は全くないようだ。
まあそこがミッシェルさんらしいなとアヴィンは思うのだが。

「私ですか?昼食を作っているのですよ」

アヴィンの問いにミッシェルが答える。

「なんだ、今から飯なのか。で、何作ってるんだ?」

とにかく何を作っているかが気になるらしい。少し呆れ返りながらもちゃんと答えてやる。

「先ほど珍しい魚が捕れたので刺身にしているのですよ」

「珍しい魚?」

「ええ、フグと言いましてね。以前トーマスから聞いたのですが、この辺りの海では貴重な魚だそうです」

「あ、名前くらいなら知ってるぞ」

「名前『だけ』の間違いではないですか?」

「・・・」

どちらもほとんど意味は変わらないが、『だけ』の部分を強調されるとなんだか腹が立つ。事実、アヴィンは名前しか知らないのだが。
何も言い返せなくなったアヴィンを見てミッシェルに悪戯心がわいてくる。名前だけしか知らないということはフグが有毒であることを知らないのかも。

「(少し試してみましょうか)・・・まあ、そんなことよりアヴィンさん、あなたもどうですか?」

「へ?」

そんなこと、と言われてさらに頭に来たものの、その後のどうですか、というセリフに少し戸惑ってしまう。

「(どうですかってことは俺にもくれるってことか?ミッシェルさんがそんなこと言うわけは・・・いや、ただ単に機嫌がいいだけな
のかも・・・)」

などと本人が聞いたらそれこそ逆さ吊りにされそうなことを思ってしまう。実際、ミッシェルがやさしい時は必ずと言っていいほど何かあるのをアヴィンは身をもって知っていた。
なかなか返ってこない答えを促すようなセリフがミッシェルから発せられる。

「ついででよければあなたの分も作ってあげますよ?」

その『ついで』という言葉にすっかり気を軽くしたアヴィンは

「・・・じゃあ・・・頼む」

と、見事ミッシェルの思惑通りに答えてしまった。

「ええ、では座って待っていて下さいね」

と言い終えるとさっそく調理を再開する。
そのどこか楽しげな後姿を見てやっぱりごきげんなんだ、と根拠のない確信を持ってアヴィンはすっかり安心しきっていた。
密かに不敵な笑みを浮かべるミッシェルには全く気づかないまま・・・。

 そして数分後。

「はい、できましたよ」

テーブルの上に白く、半透明の薄っぺらい刺身が綺麗に盛りつけられた皿が置かれる。

「へえ、これが・・・」

もともとフグ刺は魅力のある食べ物だが、アヴィンにとっては初めて見た物であり、また盛りつけも一枚一枚が均等に、しかも綺麗に重なり合っていてそれがさらにアヴィンの目を釘付けにする。

「お皿に絵があればもっと美しさを引き立ててくれるのですけどね」

さすがに藍色の絵がついた皿というのはプラネトス号には存在しないようだ。
その声で我に返ったアヴィンが食べても良いか尋ねてくる。

「ええ、どうぞ。ご遠慮なく」

「それじゃいただきます」

身を一枚箸に取り、一緒に出された刺身醤油をつけて食べてみる。

「お味はどうですか?」

「ん・・・うまい!いいよ、これ」

どうやら喜んでくれたようで、ミッシェルの顔にも微笑みがこぼれる。どこか企んだような微笑みが・・・。

「そうですか、それは作ったかいがありましたね。では私もいただきましょうか」

エプロンをはずしてアヴィンの向いの席につく。そして箸を取ろうとした時。

「よお、二人して何食ってんだ?」

とミッシェルの後ろから声がかかる。

「おや、トーマス。あなたもどうですか?」

言ってテーブルの上の刺身を指す。

「・・・フグの刺身・・・なかなかいけるぞ」

一生懸命食べながらアヴィンも勧める。

「フグ・・・?」

「うん、ミッシェルさんが作ってくれたんだ」

といい終えるなりまた箸を動かす。

「トーマス、どうかしたのですか?」

トーマスの顔つきが少し変わったことに気づいたミッシェルが尋ねてくる。

「・・・」

いろいろと疑問に思うことはあるが、まずどうしても聞いておかなければいけないことを先に言わないと・・・言いたいことを整理して、やっとトーマスが口を開く。

「ラップ」

「はい?」

「これ、毒は入ってないだろうな?」

「さあ、どうでしょう」

ぶっ!

しれっとしたミッシェルの返答と同時に、それまで一人平和に食事をしていたアヴィンが口の中のものを吹き出す。

「な・・・毒?」

「(おや、やはり何も知らないようですね)」

「お前、知らなかったのかよ。フグってのはな、種類にもよるがほとんどが毒を持っているんだ」

いくら山での生活が長いとはいえ、世界をまたにかけて冒険してきた男が何故こんな常識的なことを知らないのか・・・。トーマスは不思議でしょうがなかった。
そしてここでやっとはめられたことに気づいたらしいアヴィンはミッシェルを上目づかいで見る。
その視線に気づいたミッシェルは「私は頼まれたから作っただけですよ」とすかさず微笑みながら言い返し、アヴィンに反撃の余地を
与えない。
確かに流されたとはいえ、結局最後に頼んでしまったのは自分なのでアヴィンもそれ以上反論することはできなかった。
上手くアヴィンを言いくるめたミッシェルはさらに追い詰めるべく、トーマスに話しかける。

「で、毒に当たるとどうなってしまうのですか?」

本当はどうなるか知っているのに、わざと質問する。

「軽い毒なら唇や舌の痺れだけですむが、猛毒だと意識がなくなって死に至ることもある」

「・・・それは本当のことなのか?」

「ああ、何なら生物図鑑でも見てくるか?」

「・・・・・・」

ミッシェルの作ったものだから全部食べても致死量には達しないだろう。しかし食べてしまったからには何らかの症状が出てくるに違いない。意識不明になったらどうしよう・・・。一体自分はどれほどの毒を飲み込んでしまったのか。思えば思うほど不安になり、だんだんと青ざめていくアヴィン。もちろん、毒のせいではない。
一部始終を楽しげに見ているミッシェルを見て、トーマスもやっとわかったようだ。ミッシェルが遊んでいることに・・・。
すっかり固まってしまったアヴィンは何とか助かる方法はないかと思考錯誤している。そして、ふとある事に気付く。

「で、でも俺、体なんともないぜ?」

「時間が経てば症状が出てくるのではないでしょうか?」

あっさりと玉砕されてしまい、最後の望みにかけることにする。

「解毒剤を飲むか、キュア・ポイズンをかければ大丈夫だろ・・・?」

何も知らないアヴィンにとってはこれが最後の切り札だが、すべてを知ってるミッシェルにとってはそのセリフこそが起爆スイッチなのである。

そしてとどめをさしたのはトーマスだった。

「フグの解毒法は不明だと聞いているが・・・おい、どこ行くんだよ?」

「・・・あ、頭冷やしてくる」

最後の望みも打ち砕かれ、やるせない思いでいっぱいになってしまったアヴィンは、よろめきながらついにその場を逃げ出してしまった。

 残されたミッシェルとトーマスは顔を見合わせ、同時にそれぞれの感情を顔に出す。

「本当におもしろいですね、アヴィンさんは」

満足そうな笑みを浮かべるミッシェル。

「のんきなこと言ってる場合じゃねーだろ。かなり気にしてるぜ、あれは。ちょっと冗談が過ぎたんじゃねーか?」

かたや、呆れかえるトーマス。

「おや、アヴィンさんにとどめを刺したのはあなたじゃないですか」

しれっとした表情でミッシェルも言い返す。

「まあ、そうかもしれねえが・・・」

「ご協力、感謝します」

「してねーよ」

にっこりとそんなことを言うミッシェルにもう返す言葉もなく、ミッシェルの向い側の席・・・つまり先ほどまでアヴィンが座っていた席へ移動する。

「さて、お腹いっぱい楽しんだことですし・・・。トーマスもフグ刺食べますか?毒は入ってませんよ」

「本当かよ?」

「本当ですよ。第一私もこれを食べようとしていたのですから」

アヴィンもその辺に気付けば踊らされることはなかったかもしれないが・・・。

「そうか、じゃあもらうぜ」

と、結局残った刺身は二人で食べ尽くすのであった。毒は本当に入っていなかった。

今日もプラネトス号は平和そのもの♪ただ一人を除いては・・・。

ちなみに。

数時間後、トーマスから全てを聞いたアヴィンはホッとすると同時に、ますますミッシェルを「腹黒い」と思うのだった。

一方、ミッシェルはエル・フィルディンに着く前にもう少し楽しんでおきたいと思い、新たな企みを考え始めていた。

END