「なんだと?」
「え、いえ、ですから、王子もそろそろお妃を迎えられてはと・・・。」
この忙しい最中に家臣団が揃って話があるというから何かと思えば、そんなことか。今までも折りに触れては繰り返されてきた話ではあるが・・・。
「この復興に忙しい時期にそんな暇は無い。」
だが今日の彼らはしつこかった。
「いいえ、王子。お言葉ではございますが、こんなときだからこそです。国土は荒れ、闇の太陽は消えたとはいえ、民の中には未だに不安に思っているものもおります。スティグマ殿は亡くなられ、国土復興は全て王子の肩にかかっておられる・・・。今プロデインの民に必要なのは明るいニュースです。そして王子の結婚以上に明るいニュースなどありますまい。」
要するに政治的な理由から結婚しろと言うわけだ。まあ、王族の結婚など多かれ少なかれ政治的なものには違いない。
 「それとも王子におかれましては、どなたか意中の方がいらっしゃいますのか?」
一瞬脳裏に浮かぶシルエット・・・。
「いいや、そんなことはないが。」
家臣達がほっと息を吐いたのがわかった。
「だが、結婚すると言っても相手がいなければ私一人ではどうにもならないが。」
「王子さえよろしければ、王子の妃を望む娘はたくさんおります。私どもに任せていただいてよろしいでしょうか?」
私にどうしろというのだ。私には拒絶する権利などないのだろう?
無言を了承の証と見て家臣達は退出していった。

 プロデインの王子デュオールは椅子に深く沈みこんだ。いや、本当ならば王というべき人物だ。先王は既に亡く、つい数ヶ月前までは摂政のスティグマの助けを借りてティオールがこの国を治めてきた。そのスティグマももういない。その真実は極少数のものだけが知っている。
 デュオールはあれ以来ずっと悩んでいる。本当に私はこの国を継いで良かったのだろうか。この私のしようとしたことは、たとえ他の誰も知らずとも、この私が知っている。だが、いま自分がやらねばこの国を立て直すことができぬのもまた事実。であれば、結婚くらいどうということはない。
 どうということはない、はずなのに、それでも彼が結婚の薦めに一瞬答えを躊躇したのには理由がある。
「意中の人がいらっしゃいますのか?」
脳裏に浮かんだのは、不ぞろいな三つ編みを垂らした娘・・・。女性にはあまり関心のなかった彼でさえ思わず感嘆したほど、その娘はすらりとした肢体の持ち主だった。そして、張りのある、独特の美しい声。彼自身音楽にはそこそこ造詣があったから、彼女の声のすばらしさは直ぐにわかった。もっとも出会ったのはあまりロマンチックなシチュエーションとは言えなかった。不甲斐無くもスティグマの魔法によって崖下に叩き落され、もう助かるまいと思った時、彼女は奇跡のように現れた。一瞬自分はもう死んだのだと思い「昨今の天使は随分スタイルがいい」などと思ったものだ。自分にそんな市井の男のような感覚があったなどとは驚きだった。今まで女性になど目も止めなかったのだが。
 デュオールは延々と彼女のことを考えている自分に気付き苦笑する。彼女は全国を回る旅芸人の娘。自分はこの国の唯一の王子。いまどき身分違いなどと言うつもりはないが、家臣達が彼女を妃候補として連れてくるなどありえないことだ。第一、あの娘が大人しく王妃の座になどいられるわけがない。聞けば彼女はフォルト達と一緒に旅をしたこともあり、投げナイフの腕は100発100中だという。そんな彼女が裾の長いドレスを着て、各国大使との退屈な会話をこなして、宮廷内で大人しくしているだろうか。
 所詮住む世界が違うのだ・・・。だが、それでもこうして彼女のことばかり考えている。これは・・・恋だろうか。

 「グラバドルも久しぶりだわね、父さん。・・・父さん?」
きょろきょろと見まわすと彼女の父親はすでに宿屋でへたり込んでいる。
「我輩もう駄目。疲れた。」
「グラバドルに着いたら城に行ってデュオール王子の様子を見てくるってマクベインさんに約束したんでしょう?」
「師匠との約束?我輩記憶にないもんね。」
「もう。いいわ、あたし一人で行ってくるから。」
レイチェルは三つ編みをぶんと振ると城を目指して歩いていった。

 グラバドルは久しぶり。あの事件のあと、フォルトたちはプラネトスII世号で戻ったが、彼女と父親のシャオはせっかくだからとプロデインを巡業をしながら戻ることになった。その時しばらくの間城下で興行したのが最後である。もっとも少し余分にいたからとて王子と話をする時間があった訳ではない。旅芸人の娘と一国の王子。あんなことでもなければ一生知り合うこともなかったに違いない。あの潔さに多少の好意は持ったものの、それ以上でもそれ以下でもない。今、彼女が父親を置いて一人で城に向かったのも、はっきり言ってしまえば王子という人種に興味を覚えたからに過ぎない。
 「王子ねえ。未だに王子って名乗ってるんだ。」
デュオールはたしかレイチェルより一回り年上の28歳のはず。なのに妃も迎えず、未だに王子を名乗っているのも不思議と言えば不思議。
 今その妃の問題で城内がてんやわんやだとは、彼女にわかるはずもなかった。

 「王子に何用か?」
門番は居丈高に質問する。門番にしてみれば、「王子が王妃を選ぶらしい」という噂が流れた途端、国内はおろか国外からも若い娘が城に押し寄せてきて閉口している。若い娘には神経過敏になっているのだ。だが、そんなことは彼女は知らない。
前回の時と随分態度が違うじゃない。ちょっと皆が目を離した隙に随分思いあがったものね。
そう思ってかっとなる。
「何用ですって。デュオール王子に伝えなさいよ。レイチェルが来ましたって。随分世話をしてあげたのにあんまりじゃないの。」
少々誇張していったその言葉は、城内に嵐を巻き起こした。
「王子を世話してやっただと?その娘がそういったのか?」
「は。『レイチェルが来た』といえば王子にはわかると。」
「どんな娘だ?」
「それが・・・。」
門番からその上司へ、上司から、家臣団へ。伝言ゲームよろしく伝わっていった言伝は・・・。
「なんだと?王子が世話をしている娘が怒鳴り込んできただと?」
「はい。レイチェルという娘ですが、今度の王子の妃捜しにえらく立腹している様子で・・・。」
いつのまにやらえらい事態になってしまい、慌てる家臣団。知らぬは本人達ばかりである。
 「あの王子に密かに女性を囲うだけの甲斐性があったとは・・・。」
「となれば、やはりその娘を妃にするのが順序と言うものでは・・・。」
「ですが、かなり気の強い娘のようですぞ。そんな娘に妃など勤まるでしょうか?」
「ここはやはりその娘と王子の気持ちを確認してからのほうが・・・。」
額を突き合わせ家臣団が出した結論は、二人から真意を聞き出そうと言うものだった。

 「もう、いつまで待たせるつもり。」
レイチェルは城内の一室でいらいらしていた。一応お茶など出してくれて、さすが王族の飲むお茶は違うなどと感心していたのだが、残念ながらお茶菓子はついてこなかった。誰も見ていないのを確認すると胸元からお菓子を取り出してお茶菓子とする。だが、それを食べ終わっても彼女は一人放り出されたままだ。
「こんなことなら父さんと宿屋にいたほうが良かったわ。」
もう帰ろうかと本気で思った頃、部屋のドアが開いた。が、そこにいたのはデュオール王子だけではなかった。
「待たせてすまぬ。」
王子が詫びながら椅子に座ると、左右と背後に数人の男達が立った。どうやら家臣らしい。
「何?この人達?」
デュオールは困ったように部下を見上げる。
「何やらあなたに話があるとかで、ついてくると言って聞かなかったのだ。申し訳ないが同席させてかまわないだろうか?」
レイチェルは首を傾げた。あたしに話って?彼女にはプロデインの家臣団が話をするような用事は思いつかないのだが。
 「それで?レイチェルはどうしたのだ?」
デュオールの声に我に返る。
「あたし達がプロデインに行くって言ったら、マクベインさんが『王子の様子を見てきてくれ』って言うから・・・。」
デュオールは内心溜息をついた。彼女が自発的に会いにきてくれたわけではないのだな。わかっていたことだが、やはり少し残念に思う。
「こちらは今のところ大して変化はない。レクト島はもうどうしようもないし、今はグラバドルの城下の整備と体勢の立てなおしにかかっているところだ。ビオラリュームの沈没で城下にも被害が出たし、・・・スティグマの穴を埋めるものも直ぐにはおらぬ。」
 家臣団のいるところゆえそれしか言わなかったが、レイチェルにも王子の苦悩はわかった。王子の教育係のスティグマがあの事件の黒幕であり、王子はそれに躍らされていたのだ。フォルトに聞いたところでは、こうみえてもこの王子は結構血気盛んだという。尚更自分の行動が悔やまれることだろう。まあ、いい人ではあるのよね。

 「ところで、王子。少々よろしいですかな?」
黙ってしまった二人の間を縫って家臣が口を挟む。
「ああ、かまわないが、何だ?」
「少々質問を。」
怪訝そうに首を傾げる王子とレイチェルにはかまわず、彼らは勝手に話をはじめた。
「レイチェルどのは王子に世話になったそうですが・・・。」
「違うわよ、あたしが王子の世話をしてあげたの。」
その反論に家臣団がざわめく。
『な、なんと、王子のほうが世話になったですと?』
『いつのまに・・・。しかし彼女は王子より年下のようですが、もしかして実は年上なのでしょうか?』
王子の椅子の後ろでこそこそとかわされた会話は幸いなことに当事者二人には聞こえない。
「王子、本当でございますか?」
「ああ、本当だ。彼女には大変世話になった。」
またしても、ざわざわざわ。
「失礼ですが、レイチェルどのは何をなさっておられる・・・」
「あたしは旅芸人よ。父さんと二人で興行をしているの。」
そういった途端、また、ざわざわざわ。
『各地を旅して歩かれるのか。これは少々難しいですな。』
『まことに。王妃が始終国を空けているのでは都合が悪い。』
だが、彼女はそのざわめきを批判だと受け取る。
「旅芸人だって立派な職業なんですからね。」
「そうだ。旅芸人には実に立派な人達が多い。」
デュオールはマクベインらのことを指してそういったのだが、家臣等はそうは取らなかった。
『王子がああやってかばっていなさるのだし・・・』
『これは本物かもしれませんな。』
『たしかに王妃が常に国にいなくてはならぬと言う法はありませんし・・・』
「今、お父上とおっしゃられたが・・・。」
「二人きりの親子だもの。」
「お父上はいまどちらに?」
「父さんなら城下の宿屋にいるわよ。」
おおっ。またしてもざわざわざわ。
『すでにお父上に紹介する用意まで整っておられるとは。』
『いや、案外王子が呼び寄せたのかもしれませんぞ。』
『そうですな、王子は国のためになると思うとご自分のことは放って置かれる傾向がございましたが、さすがにお妃のことだけは譲れぬようでございますな。』
『これは仕方がございますまい、むしろ市井の出ということで民の共感を得られるかもしれませぬ。』
『では、そういうことで。』
家臣達はひそひそ声の相談を終えるとレイチェルに向き直った。
「レイチェル殿、どうか王子をよろしくお願い致します。近々正式に使者を立てます故・・・。」
さすがにデュオールとレイチェルも何かがおかしいと気づく。
「ちょ、ちょっと待ってよ。何のこと?」
「お前達、何を言っている?」
二人の声が重なる。
「はあ、ですからレイチェル殿を王子の妃にと・・・。」
家臣の声は全部は聞き取れなかった。
「どーしてそうなるのよ!」
「な、何を・・・。」
否定した王子の顔が赤い。
「違いましたのか?王子はレイチェル殿をお好きだったのではないのですか?」
あくまでも真面目な家臣団に、デュオールは笑ってごまかすこともできなかった。レイチェルは予想外の展開に呆気に取られている。
「いや、好きか嫌いかと問われれば、好きだと答えるが・・・。」
その言葉にレイチェルも赤くなる。
「何を言って・・・。」
もうこうなれば一言言うも二言言うも一緒。デュオールは覚悟を決めてレイチェルに向き直る。
「はっきり言おう。私はあなたのことが好きだ。どうも妙な展開になってしまったが、どうか真剣に考えてみてはもらえないだろうか?」
「・・・考えるって、何を?」
「私の妻になることをだ。」
いきなり何を・・・。
レイチェルの思考は同じ所をぐるぐる回っている。妻?あたしを?
どうしてそうなるの?あたしはここに何をしに来たんだっけ?
くらくらする頭をコンと叩き、王子を見る。デュオールはその青い瞳をまっすぐに彼女に向け返事を待っている。
断られるなんて思ってもいないのかしら。
だが、その拳が硬く握り締められているのに気付く。硬く握りすぎて震えるほど。
彼女はなんとなく笑い出したくなった。一人で魔獣退治に出かけ、民の信頼も厚く、近隣一の善政を敷く王子が、10歳も年下の女の子に告白するのにこんなに必死だなんて。可愛い。
彼女はにっこりと微笑んだ。滅多に見せない取っておきの笑み。
デュオールの拳から力が抜けるのがわかる。
あんなに緊張して。
「とりあえず、恋人からはじめません?あたし、あなたのこと知らなすぎるわ。」
呆気に取られる家臣団を尻目に、デュオールは立ちあがると彼女の手を取った。そしてそっと口付ける。
「私の名はデュオール。あなたのことを好きな一人の男・・・。」