「だあっ。もうやだ。」
子供があげるような声とともにトーマスが机の上に紙の束を投げ出す。アイーダがびっくりして顔を上げたが、いつもの癇癪だとわかるとまた視線を手元の布に落とす。顔を下に向けているのでわかりにくいが、肩が小刻みに動いているところからして、笑いをこらえているに違いない。
「後少しですからがんばって下さい。」
ミッシェルがなだめる。
「だってもう2日も朝から晩まで書類とにらめっこなんだぜ。」
トーマスが片手で肩をもみながらこぼす。
「1週間二人っきりで甘い時間を過ごしたんですから、それくらい我慢して下さい。」
「……それはあんたが俺達を閉じ込めたからだろうが……。」
「ですから、こうやって手伝ってあげているではありませんか。…あんまり文句を言うと一人でやらせますよ。」
ミッシェルが睨むとトーマスはまた渋々書類の束に視線を落とす。ミッシェルらの陰謀によりアイーダと部屋に閉じ込められた1週間、それは陰謀を企てたものの予想に反して、二人にとっては甘いハニーウィークだったのだが…。後に待っていたのは少なくともトーマスにとっては地獄だった。1週間分の様々な書類仕事。食料の消費や積み込みに関するチェックをはじめ、船長というのは結局単なる雑用係ではないのかと疑ってしまうような仕事が山積みである。もっとも以前からたまっていた分もかなりある。(今までため込んでいた自分が悪いとは思わないらしい。)しかもルカがトーマスがサボらない様にとご丁寧にミッシェルまで置いていった。書類仕事が好きでないトーマスは、なんとかサボる口実を見つけようと先ほどから悪戦苦闘しているのである。
 ふと、トーマスの肩が揺れる。
「おい、あれ大砲の音じゃないか?」
トーマスの目が輝いている。大砲とは物騒極まりないのだが、今のトーマスには書類仕事を中断させてくれるなら何でもいいらしい。ミッシェルが耳を澄ますと再び低い音が響いた。頭上の甲板が騒がしくなり、すぐにドアがノックされた。
「キャプテン、黒竜号です。止まれといっているようですが、どうしますか。」
急ぎ足でやってきたルカが報告する。
黒竜号はトーマスの長年の宿敵(と思っているのはラモンだけかもしれない)海賊ラモンの船だ。もっとも、2年前の事件で協力してからは出会っても戦いになることもなかったのだが。
「何で今ごろ。だいたい今までどこに居たんだ?」
椅子の背に掛けてあった上着を取るとトーマスは甲板に向かう。その後をミッシェルとルカが追う。だが、トーマスはドアのところで一旦足を止め振返った。
「アイーダはここで大人しくしてろよ。」
腰を浮かしかけていたアイーダは舌を出すとまたクッションの上に座ってペドロの服を縫い始めた。
 トーマスが甲板に出ると乗組員達が舷側から身を乗り出して黒竜号を見ている。その中にフォルトとウーナも混じっていた。
「船室に居たほうがいいぞ。」
トーマスの声に望遠鏡を覗いていたフォルトが答える。
「大丈夫だよ、全部空砲だったもん。それにラモンの横に居る人物、見覚えない?」
トーマスとミッシェルがそれぞれ望遠鏡を覗く。
「あれは…たしかヌメロスのガゼル艦長といいましたか?」
「ってことは…ラモンの奴ヌメロスにでも就職先を見つけたかな。」
トーマスが信じられないという様子で呟く。
そうこうするうちに黒竜号は船足をゆるめたプラネトス2世号と並ぶ。黒竜号の舷側に見覚えのある男が二人立っていた。
「よう、トーマス。お前もついに年貢の納め時だってなぁ。」
海を挟んでラモンが大声で怒鳴る。
「そんなことを言うためにわざわざ船を停めさせたのかよ。」
トーマスも怒鳴り返す。
「俺はそんな暇じゃねえ。」
「じゃあ何しに来たんだ。」
「……あの二人ってまともな会話ができないのかなぁ。」
フォルトが呆れながら小声でウーナとアイーダに言う。いつのまにかアイーダも甲板に出てきていた。
黒竜号でも同じ事を思ったのか、ガゼルがラモンからメガホンを奪うと怒鳴る。
「用が有るから止めたに決まってんだろうが。さっさと止まってくれよ、こっちはガガーブの結界を越えられないんだからな。」
「止まってやる義理はないぞ。」
これではラモンとの会話の二の舞だ。ミッシェルがメガホンを手に取るとトーマスを押しのける。
「で、何の用ですか。こちらも暇ではないのですが。」
刺の生えたミッシェルの言葉にガゼルは我に返った。
「全く、調子狂っちまう。」
そう言うと足元から平たい箱を一つ取り上げた。
「パルマンとアリアさんからそっちのお嬢さんにプレゼントだとよ。」
そう言いながらほいっと海越しに投げてよこす。慌ててトーマスが箱に手を伸ばす。
「ば、ばかやろー。投げるなら投げると言え。」
「だから言っただろうが。」
「投げる前に言えよ…。」
アイーダがトーマスの手から箱を受け取る。フォルトとウーナが見守る中、箱を開ける。
「わあ、きれい。」
「すごいね。」
「よかったね、アイーダ。」
箱の中には純白のドレス。その上には一枚のカード。
「大切な友人、トーマスとアイーダのために パルマン&アリア」
アイーダはそっと箱からドレスを取り出すと体に当ててみる。それはアイーダの性格を考慮してか、あっさりとしたデザインのものだったが、それがかえって彼女のかわいらしさを引き立てるように思えた。
トーマスはそんなアイーダを黙って見つめていたが、やがて近寄っていくとその大きな手で彼女の頭を軽くぽんぽんと叩いた。
「よかったな、アイーダ。」
「うん、今度会った時にお礼を言わなくちゃ。とっても素敵なドレスをありがとうって。」
アイーダがトーマスを見上げ、そのまま二人は見詰め合っている。
「勝手にしてくれ……。」
黒竜号での呟きはそこに居た全員の心の声だったに違いない。
妙な沈黙を破ったのはラモンだった。
「おい、トーマス。これは俺からだ。」
もう一つの箱がやはり海越しに投げ入れられる。
「まさか、爆発しないだろうなあ?」
「する訳ないだろーが。」
「だいたいお前なんでヌメロスの奴と一緒なんだよ。またなんか企んでるのか?」
「んなわけないだろーが。ガゼルが船をなくしたせいでヌメロスじゃ船が足りねえんだとよ。で、仕方ないから手を貸してやってるって訳だ。」
「大分高く吹っかけられたけどな。」
ガゼルが嫌そうな顔をしながら口を挟む。
「また船をなくしたくなかったらあんまり悪いことするなよ。」
「余計なお世話だ。」
不毛な会話を続けるトーマスの袖をアイーダが引っ張った。
「ん?」
「これ。」
アイーダがラモンの放り込んだ箱を開けて、中身をトーマスに見せる。
「なんだ?」
「ほう、これはトーマス用ですね。」
ミッシェルが覗き込んで言う。
「これってトーマスにぴったりのサイズみたい。」
上着をトーマスの背中に当ててみたアイーダが言う。
「なんでラモンが俺の服のサイズを知っているんだ…?」
もっともな疑問に皆の頭の中をクエスチョンマークが飛び交った頃、ラモンが黒竜号から怒鳴る。
「言っておくけどな、服のサイズはアリアが見立てたんだ。俺じゃないぞ。」
ほっとした空気が甲板に流れたのは気のせいだろう。
「まあ、それ着てそっちのお嬢ちゃんと仲良くやるんだな。」
最後にそういうと、黒竜号は再び動き出す。
「パルマンさんとアリアさんにお礼を言っておいてねー。そのうち遊びに行きますって。」
アイーダがメガホンを手に叫ぶ。
「それからラモンさんとガゼルさんもありがとねー。」
アイーダの声に黒竜号の二人は驚いたようだったが、照れたように小さく手を振るとプラネトス2世号から離れていった。
 「ふーん、ラモンもいいところあるね。」
フォルトの感想は皆の思うところである。
「アルトスを連れてくる時には世話になったからな。戦わずに済めばそれに越したことはないさ。」
トーマスがしかめっ面で言ったが、嬉しさは隠せていない。
アイーダはドレスとトーマスの服を丁寧に箱に戻した。
「ねえねえ、アイーダ。あとでそれ着てみせてよ。」
「えー、ちょっと恥ずかしいな。」
「ちょっとだけ。」
「じゃあちょっとだけね。」
アイーダとウーナは2つの箱を大事そうに抱えると船室に降りていった。
「どうして女の子ってドレスとか好きなのかなぁ。」
フォルトが不思議そうに首をひねる。
「フォルトも苦労しそうだな。」
トーマスが気の毒そうに言う。
「ではウーナさんの時には私たちがドレスをプレゼントしましょうか、トーマス。」
ミッシェルが話しながらさりげなく立ち位置を変える。トーマスが気づいた時には、前にミッシェル、後ろにフォルト、横にはルカともう一人の船員が立っていた。
「さあ、何事もなかったことですし、仕事に戻りましょうね、トーマス。」
ミッシェルの微笑みが怖い。じりじりと包囲網が縮まり、トーマスは再び机の前に連れ戻された。
「船のことはどうか気になさらず、書類の山に専念して下さい、キャプテン。」
にっこりと新たな書類を差し出したルカの追い討ちに、トーマスはぺったりと机に懐いてしまったのだった。