「おーい、甲板」
マストの上から声がかかる。ルカがマストを見上げると、彼と話をしていた客人たちもつられて振り仰ぐ。
「なんだー。」
港に停泊しているので高みに見張りを立てる必要などないのだが、さっきから落ち着かない客人たちのためにルカが船員の一人をマストに登らせたのだった。まあ、こんな気配りができるところが、彼をして優秀な副長たらしめているのであるが。
「こちらに向かってくる3人連れがいまーす。男2人に女1人でーす。」
しばらくの静寂。客人たちが落ち着かぬ様子で見張りの言葉を待つ。
「あれはキャプテンでーす。ミッシェルさんとアイーダさんが一緒でーす。」
「よーし、ご苦労。降りてきていいぞー。」
その言葉が終わらぬうちに船員は支索を滑り降りて甲板に降り立つ。
「すごいね…。」
客の一人がそのすばやさに感嘆の声を上げる。
「フォルちゃん…、真似しようなんて考えちゃ駄目だよ。」
思っていたことをずばり言い当てられて、フォルトは慌てて話題を変えた。
「3人か、ってことはじいちゃんの言った通り、ロゼットさんは来なかったんだね。」
「一人きりの孫娘だもの。長く一緒にいると別れが辛くなると思ったんじゃない?」
 やがて肉眼でも甲板から3人の姿が見分けられるようになった。アイーダらしき人影がこちらに手を振る。横を歩いているトーマスになにやら話し掛け、荷物を放り投げるようにトーマスに渡すと船に駆け寄ってくる。
「やっほー、フォルト、ウーナ、元気だったー?」
遥か彼方から手を振る。
「変わってないなぁ、アイーダ。」
フォルトが苦笑する。
「ほんと。結婚するって聞いたから少しは変わったのかと思ったけど、やっぱりアイーダはアイーダね。」
小柄な身体が舷門を駆け抜けるように甲板に上がってくる。
「きゃぁ、本当にフォルトとウーナだぁ。1年ぶりだね、元気にしてた?。ありがとね、来てくれて。マックさんはいないの?うちのおじいちゃんは『絶対行かない』っていって来てくれなかったの。」
立て板に水とはこういうことをいうのだろうか。フォルトとウーナは口を挟むこともできず、ただアイーダに手を握られてぶんぶん振りまわされるままになっていた。
「おいおい、アイーダ。フォルトとウーナが目を丸くしているじゃないか。」
アイーダに続いて甲板に上ってきたトーマスが苦笑する。
「ようこそ、フォルトにウーナ。来てくれてありがとう。」
「僕らを呼んでくれてありがとう、トーマス。」
フォルトはトーマスを見つめた。手紙のやりとりは時々あったものの、2年ぶりの再会である。以前から年より若く見える男だが、今日は喜色満面のため、さらに若く見える。
「お久しぶりです。御元気でしたか?」
「ミッシェルさんも御元気そうで。」
最後に上ってきたミッシェルとも握手を交す。
「あれからまた旅に出たそうですね。」
「うん。ヴェルトルーナの中だけだけど。いずれはガガーブを越えて旅したいんだけどね。」
「その時はぜひ訪ねてきて下さいね。ウーナさんと一緒に。」
フォルトがちょっと赤くなって返事をしようとした時、ルカがやってきた。
「キャプテン、全員乗船しましたので、出港したいと思いますが。」
「ああ、頼む。」
トーマスの言葉にアイーダが怪訝そうな顔をする。
「あれ?マックさんは?それにアヴィンさんやマイルさんたちは?」
「じいちゃんはロゼット工房へいったよ。多分アイーダとすれ違いだったんじゃないかな。」
「ロゼットさんが寂しくない様に、お酒を持って訪ねるんだっていってたわよ。」
フォルトとウーナの言葉にトーマスが呟く。
「マクベインさんらしいなぁ。」
フォルトがププッと吹き出す。
「やだなぁ、トーマス。じいちゃんが本気でそんなえらいことを考える訳がないじゃない。きっと船で遠出すると唐辛子のことを思い出すから嫌なんだよ。」
あの旅の途中で初めて船に乗った時、船良いに聞くからとだまされて大量の唐辛子を食べたことを思い出す。
「でも、おかげであの時のことを思い出すだけで船酔いしなくなったわよう。」
ウーナが情けなさそうに同意した。
 「で、他の人は?」
アイーダが話を元に戻す。
「あん?ああ、パルマンさんとアリアさんは忙しいみたいだからな。もうしばらくすれば時間ができるって言うから、あとでこっちから訪ねていくことにした。」
「レイチェルとシャオおじさんもヌメロスで落ち合うことになっているのよ。」
「アヴィンさんたちは?」
「あいつらも忙しいみたいだな。」
「じゃあ、これからどうする訳?」
アイーダは怪訝そうだ。
「トーマス、もったいぶらないで教えてあげなさい。」
ミッシェルが笑って助け船を出す。
「何を教えるって?」
トーマスはすました顔をしていたが、やがて我慢できずににやりと笑う。
「いいことを教えてやろう、アイーダ。」
アイーダが身を乗り出す。
「アヴィンたちは今、エル・フィルディンにいる。で、アヴィンの奥さんのルティスがぜひアイーダに会いたいって言っているんだ。ところが、子供がまだ小さいから長い船旅はできない。そこでだ…。」
アイーダの目が輝いた。
「もしかしてあたしたちが行くの?この船で?」
トーマスが頷くとアイーダはトーマスの首に抱き着いた。
「お。おい。」
「ずっと行ってみたいと思ってたの。嬉しい。ありがとう、トーマス。」
トーマスは両手のやり場に悩みながら、そんなアイーダを嬉しそうに見つめる。
 「やれやれ、我々はお邪魔のようですね。一先ず船室に退散しましょう。」
ミッシェルの言葉にトーマスとアイーダの二人を残してぞろぞろと移動する。
「すごいわねぇ。新婚旅行がエル・フィルディンだなんて。」
「でも、新婚旅行に僕たちがついていっちゃっていいのかなぁ。」
「トーマスがいいと言うのだからいいのではないですか?」
「そりゃあミッシェルさんはガガーブの結界を越えるのに欠かせないからいいけど。」

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/* さて、ここからは分岐です。御好きなほうをどうぞ。 */
/* このままシリアス(多分)に終わる −−−−−−−−−→ 分岐1 */
/* 壊れミッシェルさんがみたい(本当に壊れたのは誰だろう?)→ 分岐2 */
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分岐1:このまま静かに終わる

「何を言っているんですか。こんな事でもなければなかなか他の人たちに会いにはいけませんからね。」
「そうだね、アヴィンさんやマイルさん、元気かなぁ。」
3人はしばらく会っていない友人たちを思い出していた。
 「…アイーダがパルマンさんとアリアさんのことを『世界を救った恋』っていったけど、アイーダの場合は『世界を越えた恋』よね。」
ウーナがため息を吐く。その口調にどことなく羨望の響きがあるのは気のせいか。
「うらやましいですか?」
ミッシェルの言葉にウーナは慌てて首を振る。
「ううん、そんなことないの。ただロマンチックだなって思っただけ。…でも身近なところにも恋はあると思うの。」
ミッシェルが笑いながら言う。
「おやおや。これはご馳走様。では、独り者のわたしは一人寂しく部屋で過ごすとしましょう。」
フォルトとウーナが首まで赤くなったのをみながら、これは近々もう一組夫婦が誕生するかなとミッシェルは思うのだった。

分岐2:壊れミッシェルさん…

 通路の反対側からルカがやってくる。
「あれ、キャプテンはまだ上ですか?」
「あ、今行かないほうがいいよ。」
「あ?」
思わず間抜けな反応を示したルカにミッシェルが助け船を出す。
「邪魔すると馬に蹴られるってことですよ。」
それから再びフォルトに向かっていう。
「フォルトくん。考えて見て下さい、誰が一番貧乏籤をひいたか。これからエル・フィルディンまでの長い航海の間、私たちにはこの船以外行くところがないんですよ。それなのに朝から晩まで新婚を見せ付けられてご覧なさい。あちらに着く頃には皆がぐったりしているであろう事は火を見るよりも明らかです。」
フォルトとウーナ、そしてルカは想像してみてげっそりした。トーマスはともかく、アイーダがあの調子でのろけ話でもはじめた日にはどんなことになるか。
 「ね、ですからこちらが少しくらい反撃しても許されるとは思いませんか?」
「ミッシェルさん?」
ミッシェルの常ならぬ様子にフォルトが首をかしげる。
「工房へ行くまでの道々、延々とのろけを聞かされてご覧なさい。少しくらい仕返しをしようと言う気にもなるものです。」
「トーマスでものろけるんだ…。」
「私も彼があんなにのろけるとは思ってもいませんでした。こんなことなら船で待っていればよかったと何度思ったことか。」
「で、仕返しってどうするつもりなの?」
ミッシェルの目がきらりんと輝く。ウーナがそっとフォルトの袖をつかむ。
「フォルちゃん、ミッシェルさん怖い…。」
「あの二人が部屋に入ったら、魔法で部屋のドアをふさいでしまいましょう。あの部屋からでなければ私たちに被害が及ぶこともありませんから。」
「ち、ちょっと過激じゃない?」
「大丈夫です。食事はちゃんと私が運びます。」
そういう問題じゃないんだけど…。そうは思ったものの、被害が自らの上に降りかかった時のことを考えるとミッシェルの言う通りかもと思ってしまうフォルトだった。ルカはなにも見なかった聞かなかったと言うように目を瞑り、耳をふさいでいる。まあ、彼の立場では仕方ないだろう。さすがにキャプテンを閉じ込める訳にもいくまい。
「では、いいですね。」
ミッシェルは強引に了解を引き出すとうきうきとした足取りで船室に降りていった。
「しーらないっと。」
残りの3人が知らぬ存ぜぬを通したのは言うまでもない。
 結局、1週間ほどで開かずの扉は開かれた。だが、フォルトたちの予想をよそに、閉じ込められていた二人が堪えた様子はなかった。それどころか、今までの分とばかりアイーダののろけ攻めに会う始末。一週間の間に凝縮され、熟成されたのろけ攻撃はフォルトとウーナ、ミッシェルを撃沈し、ルカを初めとするプラネトス二世号の乗組員をへとへとにさせたのだった。
「『人を呪わば穴二つ』とはこういうことを言うのですね。勉強になりました。」
「ミッシェルさーん…。」
多くの犠牲者を出したアイーダ台風はやがてエル・フィルディンに上陸し、そこでも多くの犠牲者を生み出したのだった。