「なあ、ラップ」
トーマスが手元の海図を見ながら長年の友人を手招きで呼ぶ。
「なんです?」
一つ年上の彼の友人は窓辺で海を見ていたが、振返って微笑みを浮かべた。
あの闇の太陽が消えてから約半月。大勢の友人達をそれぞれの家へ送り届け、
プラネトス二世号は今洋上にあった。マクベインから預かった共鳴石はトーマス、
アヴィン、マイルが見守る中、ミッシェルによって一振の銀の短剣に変えられ、
今はミッシェルの懐に収まっている。あれで問題がすべて片付いた訳ではない。
レパス13世も代替わりをした後のことまでは保証できないと言った。異界の人
々が今後どのような行動をとるのか。イザベルは、レパス14世は、そしてあの
銀の髪の少女は……。だが、今は少しの安らぎを得ても許されるだろう。世界は
残ったのだから。
「なあ、とりあえず一件落着した訳だけど、あんたはこれからどうするんだ?」
手元の海図を指で弄びながらトーマスは尋ねてみる。
「どうするって…そういうトーマスはどうするつもりなんですか?」
ミッシェルが怪訝そうな顔をしながらトーマスの側に寄る。トーマスは友人の顔を
見上げると、まるでいたずらを思い付いた子供のような笑みを浮かべた。
「今回ヴェルトルーナに行ったおかげで、3つの世界の海図がそろったんだけ
どな、こうやってみるとまだ行ってないところが結構あるよなぁ。そう思わない
か?」
「何が言いたいんです?」
あまりにも見覚えがある笑みにミッシェルがちょっと身を引く。この友人はエメ
ラルド海で海賊ラモンと一大決戦をやらかす前にもこんな笑みを浮かべていた。
「ちょっと遊んでくるから。」そう言って出て行った彼は、今の船を手に入れる
前に乗っていたプラネトス号を失って帰ってきたのだった。こちらが内心どんな
に心配したかなんて考えてもいないだろう。まったくやんちゃな弟を持った兄の
ような心境だ。
「行ってみたいとは思わないか?ほら、たとえばここらあたり……。」
やっぱり。ミッシェルは心の中でため息を吐く。先ほどからやけに熱心に海図を
見てると思ったらそんなことを考えていたとは。
「アヴィンさんとマイルさんをエル・フィルディンに送るのではなかったの
ですか?」
「あん?あいつらだったら絶対一緒に行くって言うと思うぜ。アヴィンなんか久
しぶりに奥さんと子供から解放されてのびのびしてたしな。」
「のびのびって、ルティスさんに失礼ですよ。……ルティスさんとシャノンさん
にはあなたが言い訳をしてくださいね。」
「なんで俺が。あいつらをひっぱってきたのはあんただろ?」
「私だってエル・フィルディンに行けなくなるのは困ります。それでなくとも
『アヴィンをかどかわすのも程々にしてね』って嫌味を言われたんですから。」
しばらく二人で責任を押し付けあっていたが、やがて空しくなって止める。
「あいつら二人に選ばせればいいことだろーが・・・。」
そこへ副長のルカがコーヒーのカップを乗せた盆を持って入ってくる。そんな
ことは副長がする仕事ではないのだが、何しろキャプテンに似ずこの副長は真面
目なのだ。もっともルカにしてみれば「うちのキャプテンは目を離すと何を仕で
かすかわからないから」ということでキャプテンの部屋を訪れる口実はたとえな
んであろうと無駄にはしない。今もルカの姿にギクッとして慌てて海図をしまお
うとしたトーマスの反応に目ざとく気づく。
「キャプテン……、また何かよからぬ事を計画していますね?」
半分呆れ、半分は恨みがましい目を彼のキャプテンに向ける。
「お、俺は何もしていないぞ。ただ海図を見ていただけだ。」
その腰がひけているのだから説得力も何もない。ルカがミッシェルに視線を向け
ると、ミッシェルはただ苦笑している。その心は、嘘は言えないけれど友人を裏
切るのも忍びない、といったところか。
「今度はどこです?」
ルカは諦めてため息を吐いた。とたんにトーマスの目が輝く。自分はまだ行くと
は言っていないのだが、トーマスにはそれが「お許し」に聞こえたらしい。
「いや、別にエル・フィルディンに帰らないって言ってるんじゃないんだ。ただ、
来る時はこっちからきたから帰りはこっち周りで…。」
こういう時のこの男はとても34歳には見えない。おもちゃを与えられてはしゃ
ぐ子供のようだ。見た目も年より若く見えるが、精神年齢はもっと若い。隣に立
つ魔術師の男が老成した精神の持ち主だけに、余計そう感じてしまう。
海図を覗き込むトーマスの頭越しに、ミッシェルとルカは視線を合わせると肩
を竦めた。二人ともわかっているのだ、自分達がこの活力あふれる男に逆らえる
訳がないと。なんだかんだ言っても、トーマスの望むようにしてやりたいと思っ
てしまう。ルカはミッシェルを眺めた。この希有な魔術師は今は穏やかな眼差し
でトーマスを見守っている。トーマスが「動」ならミッシェルは「静」。だが、
この二人が一緒に居るとなんとしっくり来ることか。全く異なる二人だからこそ
うまく行くのかもしれない。だいたい、キャプテンと長年友人をやっているとい
うだけで、ルカは無条件にミッシェルを尊敬してしまう。きっと気苦労が絶えな
いだろう。自分でさえ最近白髪を1本見つけてショックだったというのに。
「ああ、フォルト達も連れてきたかったなぁ、きっと喜んだぜ。」
二人の頭痛の種は人の心配も知らずに言う。
「どうしてキャプテンは、友人を誰でも自分の側においておきたがるんです?」
「違いますよ、ルカ。トーマスが連れて行きたかったのは一人だけですよ。
・・・ねぇ、トーマス?」
ミッシェルが瞳にいたずらっぽい光を浮かべて言う。ルカにもそれが誰のことを
指しているのかすぐわかった。ちょっと観察していれば誰にでもわかることだ。
多分気づかなかったのは結婚しても相変わらず鈍い義兄のアヴィンくらいなもの
だろう。
「え、だ、誰のことだ?」
トーマスの顔が赤くなる。
「隠しても無駄ですよ、キャプテン。」
「あの子には19歳の年の差なんて関係なさそうですしね。いいのではないですか?」
「これでキャプテンも少し落ち着いてくれれば安心です。」
「あと何年かしたらこの船で迎えに行きましょうね。」
「その時にはみんなをこの船に集めて、披露をしましょう。あ、その時のために
少し船室に手を入れましょう。」
「楽しみですね。」
ミッシェルとルカのおしゃべりに
「お、お前ら何勝手なことを言っているんだー!」
トーマスが顔を真っ赤にして怒鳴る。
これは結局トーマスには逆らえない二人のささやかな反逆……。
船内の喧燥を余所に、プラネトス号は帆に風を受けて静かな海を進んで行った。