育て方を間違えた――――――かもしれない。
「……、降りて来なさい」
大樹を見上げ、クラトスは静かに語りかけた。
返事はない。
聞こえていないはずはないし、が行きそうな場所と言えばマーテルの隣か、彼女が拾われた枯れゆく大樹カーラーンしか思い浮かばない。そして、今回に限ってはマーテルの隣にいることもあり得ない。
マーテルもまた、を手放す事に同意したのだから。
と言う事は、はクラトスの声が聞こえていながら、無視していることになる。
「」
ひらり――――――と、乾いた葉がクラトスの目の前を舞う。
やはり、上にいるらしい。
「……、降りてきなさい」
静かに木々の間に響くクラトスの声。
きしっ――――――と大樹が微かに音をたて、ようやく小さな返答が聞こえた。
『……や』
短い返事。
意味は相変わらず解らない、独特の言葉。
どうやらはクラトスの手を逃れようと、尚も大樹を登り続けているらしい。
掠れたの声に続き、大樹の軋む音は止まらない。
「、とにかく降りてきなさい。
大樹カーラーンは枯れている。登るは危険だ」
尚も見上げ呼びかけるが、今度は返事がない。
「、降りて来ないのなら……私が登って行ってもいいのだぞ?」
きしっ――――――と大樹の軋む音が止まった。
しばしの沈黙。
『……クラトス父様は重いから、無理。
登って来れない』
の言葉をクラトスが理解することは出来ない。
しかし、なんとなく言葉の持つ雰囲気は伝わる。
クラトスは無言で青い天使の羽を出した。
片足で立ちながら、は頬を膨らませてクラトスの目の前に足を差し出した。
あちらこちらにできたかすり傷からは、赤い血が滲んでいる。
結局、空を飛ぶという反則技に出たクラトスの手から逃れようと大樹を登っている間に、は足を滑らせて転落してしまった。
幸いというのか……普段からミトスと一緒に森の中で遊んでいたは反射神経が良く、咄嗟に別の枝に捕まり、地上まで落下するまでには至らなかったが……手足にけっして浅くはない傷を負ってしまった。これでは、これ以上大樹を登り続けることはできない。
はすぐにクラトスに捕まり、無事地上へと降ろされた。
『父様、痛い。
魔法で治して』
クラトスの袖口を引き、が魔術を催促する。
常ならば、がねだらなくともクラトスは魔術を使ってくれるはずなのだが。
言葉が通じなくとも、とクラトスとの付き合いは長い。
が言わんとしている意味を正確に汲み取りながら、クラトスはそれを却下した。
「おまえはこれから私達のもとを離れ、人間の町で暮らさねばならない。
人間は魔術を使えない。
怪我をしても、簡単に治す事はできない。
そろそろ……それを学べ。
怪我をしてもすぐに治せぬ物だとわかれば、おまえも少しは大人しくなるだろう」
切り株にを座らせて、クラトスは簡単な手当を施す。
魔術は決して使わない。
のためにも手放すと決めた以上、のもつ自然治癒力で傷を治さなくてはならない。人は本来、魔術にど頼らなくても、怪我を治す力が備わっているのだから。
が、はそれを軽んじる。
クラトスやマーテルがに対して安易に治癒魔法を使いすぎたのかもしれない。
これまでの生活で、にとって怪我は生命の危機と隣り合ったものではなかった。
『大人しくなったら、母様たちと一緒にいてもいい?』
はそう口に出して、すぐに口をつぐむ。
クラトスに自分の言葉は通じない。
不思議なことにはクラトスたちの言葉を聞き取ることはできるから、すぐにソレを忘れてしまうが。
今度こそ自分の言葉を伝えようと、手当を続けるクラトスの手に手を伸ばし――――――逃げられた。
眉を寄せてクラトスを睨むと、クラトスはの視線を感じたのか、顔を上げた。
「、私たちとて、おまえが憎くて手放すわけではない。
……それはわかっているのだろう?」
静かな圧力をもった鳶色の瞳に、は素直に頷いた。
自分は、養父たちに愛されている。
その自信はあったし、それがけして自惚れだけではないことも知っている。
「離れていても、おまえは私たち全員の娘だ。
どこにいても、どんな時でも、健やかにあれと願っている……愛している」
「……私たちの姫」と続けて、クラトスは手当の終ったの足に、うやうやしく唇を落す。
もう傷は痛くなかった。
(2005.11.26.UP)