『彼女のために』と手放した。
人間として時を刻む幼子を、人間の中で育てようと。
しかし、これは本当に『彼女のために』なったのだろうか?
焦点のあわない瞳で見上げられ、クラトスは戸惑った。
目の前の少女は、本当に自分たちの娘だろうか?
クラトスの知る限り、という少女は些細なことで笑い、些細なことで泣く。感情表現がとても豊かな少女だった。
それが今は……手放してたった3ヶ月しか経っていないというのに、うつろに開かれた瞳は光を失い、髪はところどころ焼きこげ、手足には少なくはない擦り傷を負っている。
自分達の手を離れ、とても幸せに暮らして居たようには――――――否。この惨状の中、唯1人生き残っているところを見ると、大切にされていたのだろう。を引き取った新しい養父母は軒先きで無惨な死骸を晒していた。全身を焼かれた子供の死体も一緒にあったところをみると、おそらくはの身替わりにされたのだろう。
クラトスたちがを託した養父母は、よくやってくれた。
「……、何が起こったのか、話せるか?」
クラトスは跪き、の瞳を覗き込む。
見上げられていた視線はクラトスを追って下げられたが、それ以上の反応は見せない。
はたしては、目の前にいるものがクラトスであると気がついているのだろうか。
「?」
クラトスが愛娘を抱き寄せようと手を出し出すと、は怯えたように数歩後ずさった。
そのままクラトスの腕を凝視し、硬直している。
ここから一歩でも動くものかと、足に力を込めているのが分かった。
「、私がわかるか?」
返答は無い。
ただ、じっとクラトスの腕を見つめている。
「……何を、しているんですかっ!?」
突然クラトスの後ろから聞こえた声に、は驚いて数歩後ずさった。すぐに身を翻して声の主から逃れようとしたが……以外にも、声の主が動く方が早かった。
クラトスの背中から姿を現わしたマーテルはしっかりとの腕を掴み、自分の胸元に引き寄せる。そして、そのまま強く抱きしめた。
「、大丈夫ですよ。
母様たちが迎えにきましたから……一緒に聖地に帰りましょう?」
腕の中の幼子を落ち着かせようと、マーテルは声を和らげる。
優しく髪を梳きながらを抱き上げようとしたが、マーテルの細い腕に成長期にあるは少々重かった。知らない重みにマーテルが戸惑っていると、の小さな体にクラトスの手が添えられる。
は今度は逃げなかった。逃げられないと――――――諦めてしまったのだろうか。
大人しくしてくれるのは有難いが、逆に心配にもなる。
壊滅と言って良い街の惨状を見る限り、の精神面の傷は相当深そうだ。
抱き上げられ、そのままクラトスの胸に運ばれるは、ここでようやく小さな反応を見せた。
引き剥がされるマーテルの胸に、僅かな力をもってすがりつく。
「……」
微かに反応を見せたに、マーテルはほっと息をはいた。
焦点は結ばれていないが、はじっとマーテルを見つめている。
小さな力で、それでも懸命にすがりつく少女に、マーテルはクラトスの手を制した。
「……私が、抱いて帰ります。
……もう、嫌ですよ。
誰がなんと言っても、絶対には手放しません。
いいじゃないですか、私が育てたって。
ハーフエルフが差別されない世界を作ろうって、旅をしているんです。
その私達が『人間の子供だから』って、を人間に任せる方が間違っていたんです」
慣れないの重みにマーテルがよろけるのを、今度はマーテルの背中を支えることでクラトスは助けた。
抱き締められた胸は、とても柔らかかった。
そして、温かい。
規則正しく、心落ち着かせる鼓動に、はぼんやりと手を伸ばす。
図上で交わされている会話は気にならない。
柔らかい双丘。
そこに顔を埋め、思いきり息を吸い込めば、懐かしい匂いがした。
知っている匂い。
一番最初に自分を抱きしめてくれた人の匂い。
少し前に、自分を人間の養父母に預けた、一番大好きな人の匂い。
『……マーテル……母さま?』
自然と心に浮かんだ名前を口に出すと、図上で交わされていた言葉がぴたりとやんだ。
マーテルの名を呼んだに、クラトスとマーテルは息をひそめて腕の中の少女を見下ろす。
マーテルに抱き締められたは、二人に見守られながらゆっくりと焦点を結んだ。
まず最初にマーテルの顔を見つめ、それから隣に立つクラトスの顔を見ると、ゆっくりと瞬いては――――――
『マーテル母さまと、クラトス父さまだぁ……』
――――――と、嬉しそうに微笑んだ。
(2005.12.13.UP)