「抱きしめていいか?」

 そうガイに聞かれて、は一瞬だけ瞬いたあと、快諾した。
 長い間患わせていた女性恐怖症が、アニスの窮地にようやく回復の兆しを見せたのだ。
 ガイも嬉しいのだろう。
 誰彼かまわず抱き着くのであれば問題があるが、仲間内の女性。なおかつ本人の了承をとってからならば、問題はあるまい。
 なによりガイのは女性『恐怖症』であって、『女嫌い』ではない。
 本人が女性が好きだと豪語している(それはそれで問題なのだが)ところをみると、やはり女性に触れたいという思いは持っていたのだろう。
 も、ガイの女性恐怖症克服の手伝いをしてあげたいと思っていた。



 意を決しての申し出をあっさりと快諾され、ガイは幾分肩透かしをくらった気分になる。
 彼にとっての一大決心であっても、にとっては大したことはないらしい。
 そう考えると、少しだけ自分が情けなくもなった。――――――が、せっかくの決心。無駄にすることはできない。
 深く深呼吸をして、の背中に腕を回した。

「……ガイ?」

 何やら深く息を吐くガイに、は首をかしげる。
 確かにガイの腕を背中に感じるが、触れてはいない。
 それは解る。
 解るが――――――今日、彼は自分から「抱きしめていいか?」と聞いて来たのだ。
 触れていないのであれば、意味はない。

「もしも〜し、ガイラルディア伯爵さま?
 私を抱きしめてくださるのではなかったのですかぁ〜?」

 アニスの口調を真似ながら見上げれば、ガイは困ったように眉を寄せる。

「いや、そう思ったんだけどさ……」

 いざとなると……と段々小さくなる声に、は小さくため息をもらした。
 つまり、これがガイの限界。
 男女の体格差から、ガイの体はすっぽりとの体を包み込んではいるが、指一本触れてはいない。
 文字どおり、『すっぽりと』器用にを包み込んでいるだけだった。

「まあ、いいか。
 ここまで近付けただけでも、大進歩だもんね」

『よく出来ました』と頭を撫でようとが腕を持ち上げると、ガイはびくりと震えた。

「あ……そっか」

 一大決心ののちに触れようと思っていたのに、結局に触れることができなかったガイ。
 そのガイに、自らが意図なく触れようとしたら……ガイが怯えるのは当然のことだった。
 が腕を下ろすと、ガイは目に見えて安堵の息を吐く。それから腕の中で自分を見上げていると目が合い、ばつが悪そうに苦笑した。

「その……悪い」

「別に構わないよ。
 ガイだって、別に私が嫌いで触れられるのが嫌なわけじゃないでしょう?」

「だから気にしていない」とは笑う。
 ガイが触れられないのは、だけではない。
 女性であれば年齢を問わず。
 誰にも触れることができないのだから。



 何ごともなかったかのように笑うが恨めしい。
 は知らない。
 自分がどんな気持ちで……「抱きしめていいか?」と聞いたのか。

 今日、自分は自らの意志で女性に触れることができた。
 情況から、『要救護者』というスイッチが入ったのかもしれないが。
 けれど、確かに触れることができたのだ。

 ずっと触れたかった女性に、触れたいと欲がでてしまっても、不思議はない。

「抱きしめていいか?」と聞いて、快諾された。
 それも、深く考えずに。
 にとって、自分は男性のカテゴリーに含まれていないのだろう。
 それはわかった。
 わかったが――――――だからといって、諦められるような想いは抱いていない。

、ごめん!」

 ガイは深く息を吸い、きつく目を閉じる。
 言葉の勢いを借り、の体を抱きしめた。

 正直、背筋を冷や汗が伝うのがわかる。
 情けなくも自分の腕がガクガクと震えているのもわかった。

 けれど、それ以上に。

 鼻孔をくすぐるの体臭は甘く、優しい。
 震える自分の腕の下にある、の体は温かい。
 男の堅い体とは違う、抱き締められて潰れる2つの柔らかい――――――

「わ、悪いっ!!」

 辿り着いた不埒な思考に、ガイは慌ててから体を離す。
 引き離されたは、何が起こったのかわからない。とでも言うようにきょとんっと瞬いていた。
 丸く見開かれたの瞳に、耳まで赤く染めた自分の顔を見つけ、咄嗟に逃げ出そうとしていた足を踏み止まらせる。

 今なら言えるかもしれない。

 女性に触れることすらできない体では、誰にも言えない言葉であったが。
 一瞬とはいえ、抱き締めることができた。

 今ならば、言える。

 伝えれば……少なくとも、「抱きしめていいか?」と聞かれて深く考えずに快諾することはなくなるだろう。
 それは少しだけ残念なことではあるが。
 男としての目に映ることに繋がるはずだ。

 一瞬の抱擁に、自分のことのように無邪気に喜ぶ
 「おめでとう、ガイ」と微笑む顔に、邪気はない。
 それを利用して、再び腕の中に捕らえてみよう。
 今度は少し、慎重に。
 勢いに任せるのではなく、目をそらさずに。
 自分のことを弟か何かのように扱うは、もう一度抱き締めようとしても、快諾するだろう。
 そこが狙い目。

 腕の中に捕らえたならば、今度こそ伝えよう。

 ずっと、伝えたかった言葉。


『君が好きだ』と、たった一言――――――






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