エンドリューの案内で城内を横切り、ウェインはすんなりと玉座の間へと通された。
先にエンドリューから全ての兵士がイグラシオに続いたと聞いていた通り、城内にはまだかなりの数の兵士が残ってはいたが、自分達に剣を向けてくる者はいない。通された玉座の間にも兵士はいたが、みな剣を腰へと収めている。
玉座の間をイグラシオの背中越しに観察し、は眉をひそめた。
床に広がった血の海の中に、粗末な鎧の男が二人『転がって』いる。先程手際を誉められたエンドリューも、『部屋の掃除』にまでは手が回らなかったらしい。『掃除』よりも、騒乱の終結を優先したのだろう。人員は外の騒乱を鎮めるために割かれ、玉座の間というわりに扉の前に衛兵はいなかった。自分達以外の部屋に居る者といえば、玉座に座ったでっぷりと太った男と、その横に並ぶ2人の兵だけだ。彼らもイグラシオに続いた兵なのだろう。侵略者であるウェインが部屋の中へと足を踏み入れても、手が腰の剣へと伸ばされることはなかった。
玉座を彩る色とりどりの宝石に、まずの視線は吸いつけられる。
宝石の価値など判らないが、それが想像もつかない値段であろうことだけは判った。
次に玉座に座る男へと視線を移す。『ゲームに出てきた』はずの顔ではあったが、の記憶にはない顔をしている。夢に出てきそうな醜男だ。でっぷりと太った体と同じく、太い指の一つひとつに大きな宝石のついた指輪が鈴なりになり、指輪一つで孤児院まるごと何年食べて行けるのだろうか等と関係のないことまでつい考えてしまった。
部屋とボルガノを観察して眉をひそめるには気づかず、ウェインはボルガノの眼前へと歩く。
その後ろに、イグラシオが続いた。
「僕はハイランドのウェイン。
おまえがボルガノか?」
「そうだ。辺境の君主風情が、わしに何の用だ」
耳を塞ぎたくなるような下卑た声で、ウェインの名乗りにボルガノが答える。
ボルガノは玉座に座って胸を張ってはいるが――――――それが虚勢だという事は、にもわかった。いまやボルガノの味方は城内に誰一人として残ってはいない。
「おまえの圧政でトランバンの民は苦しんでいる。
今すぐ領主の座を降り、自分の所業を悔い改めるのだ」
「悔い改めろだと? 青二才めが笑わせる」
イグラシオの背中越しにボルガノとウェインを見つめていたが、はふと視線を落とす。
何か、視界に違和感があった。
は違和感の正体を確かめようと目を凝らし、微かに。本当に微かにイグラシオの拳が震えていることに気がつく。
「市民に自由などいらぬわ。
みな、わしのために働き、死んでいけばいいのだ」
微かに震えるイグラシオの手が気になり、はそっと自分の手を重ねる――――――と、その上にイグラシオの手が重ねられた。
「それこそがトランバンの民にとって名誉かつ幸福なのだ!」
ボルガノが口を開く度に、段々と激しくなるイグラシオの拳の震えにはそっと目を伏せる。
顔を上げることはできない。
今はきっと、イグラシオは自分の顔を見られることをよしとはしない。
は震えるイグラシオの拳に力を込める。
これが自分達の領主だったのか、と耳を疑うような発言を繰り返す男に、腹が立つより先に悲しくなった。
この男が、長年イグラシオを苦しめてきたのだ、と。
「……やはり、話し合いでは解決しないようだな」
玉座の間にウェインの深いため息が響く。
ボルガノはウェインのため息をどう『勘違い』したのか、気味の悪い声で笑った。
「それはこちらの言う台詞だ。ちょうどいい。
ここでおまえを片付けて、わしがハイランドの王になってくれる」
イグラシオから顔を背け、はボルガノを視界に収める。
脂肪で相好の崩れた顔をした男が『玉座に座ったまま』玉座に立てかけてある剣へと手を伸ばす。
その姿に、気がついた。
ボルガノは『玉座に座って』いるのではない。恐怖から腰を抜かし、『玉座から立ち上がる』ことが出来ないのだ。
今更ここでウェインを討ったとしても、戦局は覆らない。それが判らないほど愚かではないと思いたいが、伸ばした手を滑らせて剣が倒れると、ボルガノは玉座に体を預けながら剣を拾いに歩く――――――からは床を這っているようにしか見えなかったが。
「……ウェイン様」
不意に重ねた手を強く握り返されて、はイグラシオを見上げる。
険しく柳眉を寄せたイグラシオは、真っ直ぐにウェインの背中を見つめていた。
イグラシオの視線につられてウェインを見つめたは、イグラシオと同じようにウェインの腕が微かに震えていることに気がつく。
男二人の拳の震えは、ボルガノへの怒りだ。
自身よりも他者、とくに弱い者を労わる心を持った二人には、ボルガノの発言はとてもではないが感受できる物ではない。
「そこの男は、かつての我が主。
どうか私に……一言ご下命ください」
抑えられてはいるが隠し切れない憤怒が滲むイグラシオの声音に、はウェインとイグラシオを見比べる。
ウェインはしばらくの間沈黙したが、やがてゆっくりとイグラシオを振り返り、道を明けた。
「……いいだろう。卿に任せる」
そう口を開き、ウェインは腰の剣を抜く。イグラシオの腰には未だに折れた剣が下げられていた。そのままではボルガノを討とうにも、討てない。
から手を離し、イグラシオはウェインの元へと進む。
恭しくウェインから剣を拝借し――――――イグラシオはボルガノへと向き直った。
「イグラシオ、この恩を忘れた犬めが」
ようやくのことで剣を拾ったボルガノは、前へと進み出てきたイグラシオに対し憎々しげに顔を歪める。
それに対するイグラシオは、ボルガノへの怒りを腹の底へと押し込め、静かに対峙した。
「……私は恩を忘れてはいない。
だから、かつての主君であるあなたに降伏を勧めにきたのだ」
まだ出会って数刻に満たないウェインであったが、敵であった自分の『軍に加わりたい』という申し出をすぐに受け入れてくれた。それどころか兵を与えてトランバンへの従軍を認め、今また騎士の誇りでもある剣を貸し与えてもくれている。
この王であれば、ボルガノが自らの悪行を認め降伏をしたならば、命までは奪はないだろう。
離反を決意はしたが、ボルガノが長く仕えた主であることも事実。
恩ある前領主の息子を、可能であれば生かしたい。――――――そう願っていたのだが。
「馬鹿め。何故、偉大な指導者であるわしが、降伏せねばならんのだ。
イグラシオ、たっぷり後悔させてやるぞ」
イグラシオの願い空しく、ボルガノは緩慢な動作で剣を振り上げた。
「君主に背く大罪人め!」
太った体から振り降ろされる鈍い一撃を、イグラシオは僅かに体を反らしただけで避ける。続けて2撃、3撃と剣が振り下ろされたが、ボルガノの刃がイグラシオの体に届くことは無かった。
「私の罪は……」
ボルガノの剣を剣で受け止めることも無く、イグラシオは攻撃を避け続けながら考えた。
自分の罪。
それは領主への恩に目が眩み、騎士道を隠れ蓑にボルガノを放置してきたことだ。
そして、本来恩がある領主はボルガノではない。
恩があるのは自分を現在の養父に紹介し、引き取らせた前領主だ。彼のおかげで、自分は孤児院出身であるにも関わらず、騎士などという立派な職につくことができた。彼が自分にとって何者であったのか、『噂』は聞いたが『真実』は知らない。ただ彼と同じ銀色の髪は、自分の誇りでもあった。
その大恩ある前領主の息子に剣を向けることは確かに罪なのかもしれない。
が、自分の罪は違うところにある。
自分の罪は――――――
「私の罪は、忠義にとらわれ、正義を見失っていたことだ!」
何度目かになるボルガノの剣を避け、イグラシオは一気に間合いをつめた。
今の自分がボルガノの為に出来ることは、せめて『苦しまぬように』一撃で『送って』やることだけだろう。
イグラシオは大きく剣を振り上げ、ボルガノに瞬く間を与えずにそれを振り下ろした。
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