トランバン城内まで届く喧騒に、エンドリューは僅かに眉をひそめた。
歯がゆい。
本当であれば、自分もイグラシオに続いて暴徒の鎮圧に向かいたかったのだが――――――今日に限ってはそれもできない。城壁から確認された南方より進軍してくる軍隊を警戒し、イグラシオ自らがその討伐に向かっている。そのため、自分が領主の護衛を任されてしまった。イグラシオの信を自分がもっとも受けていると思えば甘受できない命令でもないが、いかんせん護衛の対象が悪すぎる。
金銀あらゆる財宝で飾り立てられた玉座に座る男を背後に感じ、エンドリューは内心で毒づく。
もしも、イグラシオがこの男を見限ってくれたのなら、自分は一命を賭してでも領主の首を取るというのに。
残念ながら、イグラシオの頭には領主に反意を唱えるという選択肢は存在しないらしい。――――――とはいえ、イグラシオが内心では領主に不満を持っていることも知っている。自分の忠誠は領主にではなくイグラシオへと誓ったもの。イグラシオが苦悩しながらもボルガノに仕えるというのならば、自分もそれに従うまでだった。
せめてボルガノの醜悪な姿を視界へは入れまいと、エンドリューは領主とその私兵―――元から仕えている閃光騎士団の他に、ボルガノは傭兵を雇っていた。つまり、愚鈍ながらも自分が『お抱え』の騎士団にも敬遠されていると自覚があるのだろう―――に背を晒し、厚い扉を睨みつける。
城外から聞こえてくる喧騒に対し、煩そうに眉をひそめる領主が不快だった。
街には飢えた子どもが溢れているというのに、自身は口元からボロボロと食べ物をこぼしている。その姿は醜悪な肉塊にしか見えなかった。
脂のたっぷりとのった腹も、首のない顔も、視界に入れることすら厭わしい存在だ。
「報告しますっ!!」
「何事だ!?」
けたたましく鎧が擦れる音を響かせながらノックも誰何も全てを省略し、扉を開いて玉座の間へと走りこんできた伝令兵にエンドリューは答える。
「南門前にて、イグラシオ団長が敵将と一騎打ち」
エンドリューに促され、伝令兵は反射的に姿勢を正した。
それから顔を引き締め『報告』をする。
「敗北しました!」
どこか清々しくも聞こえる声音での『敗北』宣言に、エンドリューは自分の耳を疑った後、眉をひそめた。
一騎打ちと聞いただけでは『どうせ団長の勝利であろう』と確信し、心配はしていなかったのだが――――――伝令兵の報告によれば、イグラシオは敗北したらしい。
自分が知る限り、剣では誰にも負けたことがないイグラシオが。
「……それで、団長は?」
「それが、その……なんといいましょうか……」
頬を引きつらせながら言い淀む兵士の表情は、どこか明るい。
なにやら喜色を浮かべているようにも見える顔からは、最悪の報告だけは出てきそうもなかった。
眉をひそめて自分を探るエンドリューに伝令兵は戸惑いながらも頬を引き締めようと努力してみたが、ぴくぴくと痙攣し始めた己の頬にあっさりと努力を放棄する。
たとえ不謹慎な報告であろうとも、こんなに『素晴らしい』報告ができるのならば、『副団長』に斬り捨てられても本望だ。
頬を引き締める努力を放棄した伝令兵は『満面の笑み』を浮かべると、こうエンドリューに『報告』をした。
「……『敵軍隊』を『引き連れ』、城へと向かってきます!」
耳を疑う『報告』に、エンドリューは伝令兵の笑みの理由を悟る。
「それは……」
つまり、イグラシオが敵に寝返ったという事か。
満面の笑みを隠そうともしない伝令兵に、エンドリューは瞬きながら思考する。
誰が何を言おうとも、決してボルガノを見捨てようとしなかったイグラシオが、ついに動いたのだ、と。
「恩を忘れた飼い犬めが……」
伝令兵の喜びから大声となった報告が聞こえたのだろう。
イグラシオの離反を理解したボルガノが、憎々しげにそう言い捨てた。
「ブタに飼われた覚えはありませんよ」
『かつての主』であった『ブタ』に、エンドリューはきっぱりと言い返す。
これまでは主従関係であったため、どんなに不満があろうとも全て飲み込んできた。が、イグラシオがボルガノを見捨てるのならば、エンドリューにもボルガノに仕える理由はない。遠慮なく物を言えるというものだ。
「なっ!」
身近な位置から発せられた言葉の意味を、ボルガノは即座に理解した。
エンドリューはゆっくりと剣を鞘から抜きながら背後のボルガノを振り返る。背後にはすでに剣を抜き構える2人の傭兵と、でっぷりと太った腕を緩慢な動作で玉座横の剣へと伸ばすボルガノがいた。
エンドリューは抜き放った剣をボルガノへと構えることなく掲げ持つ。それから深く息を吸い込み、城中に響き渡る怒声を出した。
「聞けっ!!」
伝令兵、玉座の間を守る衛兵、その他城中に残る騎士達に対し、エンドリューは宣言する。
「閃光騎士団が副団長エンドリューは、
イグラシオ団長に続き、領主ボルガノに反意を唱えるっ!
我に異のある者は、かかってこいっ!!」
そう宣言し、エンドリューは剣を改めてボルガノに向けた。
背後には伝令兵、さらに後ろには衛兵が二人。前方にはボルガノとその傭兵2人。城に残った騎士を含めるとなると、数はかぞえ切れない。
単純に考えれば数で負けるのは必定であったが、エンドリューには確信がある。
決して、一対多数の戦いにはならないと。
「犬めがっ……」
朗々とした宣言とともに自分へと剣を向けるエンドリューに、ボルガノは眉を怒らせる。その横で傭兵が動いた。
エンドリューに向かって振り下ろされた傭兵の剣を、エンドリューは一歩も動くことなく防いだ。
否、動く必要は最初からなかった。
エンドリューは背後に立っていたはずの伝令兵に守られ、微笑を浮かべる。
悪名高いボルガノを守護していたため領民からのイグラシオの評判は悪いが、騎士として側にいる者達からのイグラシオの評判は良い。
そのイグラシオがボルガノを見限ったのだ。
イグラシオに続く者は自分以外にも大勢いる。
そう確信していたので、エンドリューには最初から動く必要がなかった。
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