『それが、あなたの望みなら』
緊張しているのか、やや白い顔をした少女は残念そうに微笑んだ。
長い黒髪を揺らし、濃い茶の瞳を閉じる。
その瞬間。
彼は少女とのつながりが断たれたことを悟った。
(オレが、間違ったのか?)
屋根の上に寝転び、目を閉じて少女の面影をたどる。
美しい娘だった。
漆黒の髪も、豊穣の瞳も、目鼻立ちの整った愛らしい顔もさることながら……なによりも、その心が。
何も知らず、また知らされることもなく、『力』に手を伸ばしてしまった、良くも悪くも『清らかな』心の持ち主。
あの染まりやすい魂の持ち主は、あの場所で、あの存在の側で、心清らかにいられるものか。
すぐにでも黒く塗り固められ、彼やエルゴの心を踏みにじるのだろう。
稀に見ぬ心の持ち主。
清らかで、余計な知識を持たない。
エルゴに愛された……世界一特別で、真実平凡な少女。
「……ちゃん、いたよ」
小さな声に、思考を遮られる。
「あ〜、いたいた! リプレママ、綾、こっちにいるよ〜!!」
続いて聞こえた声に、バルレルはむっと眉を寄せる。
あまり見つかりたくない相手に見つかってしまった。
あの子ども……名前はまだ覚えていない。
覚える気もないが。
いつも人形を抱いている金髪の方は大人しく害はないが、その姉の方は問題が大有りだった。
歩く広告塔のような彼女に見つかったのならば、昼寝の場所を変えなければならない。たちまちにその家族……主に女性陣が集まってきて、やれ買い物の荷物持ちだ、町の外に出るから護衛だ、と引きずり回される。
「……逃げ……」
「られると思ってるわけ?」
全は急げと体を起こしたバルレルに、頭上からやや低い少年の声が降りて来た。
剣呑な響きを宿すその声に、バルレルが身構えるよりも早く、少年の足技が背中を打つ。
「なっ!?」
反転する視界に、懐かしい面影を残した少年が映った。
漆黒の髪も、豊穣の瞳もさることながら、少女と見まごう容姿に、『彼女』と同じ血の香りを漂わせて……可憐に微笑んでいる少年。
「テテ、プリム、その悪魔が逃げ出さない様に、押さえておいて」
言うが早いか、少年によって呼び出された召喚獣が屋根から落ちて来たバルレルを押さえ込んだ。本来ならば何の枷にもならない微々たる力であったが……残念ながら、現在は力を封じられている。
少女によって呼び出された当初、青年だった姿は本来の力とともに目の前……否、相手は屋根の上にいるのだから、目の上か? とにかく、『綾』という誓約者と『母親役』の少女の前でだけ態度をかえる少年によって。
「綾先輩、リプレさん、バルレル君が喜んで……荷物持ちに付き合ってくれるそうですよ」
「チクショー! おい、ニンゲン。 てめぇ、いい加減にオレ様の封印ときやがれ!」
「……へ? 荷物持ちぐらい自分一人で十分だから、ガゼルと僕は来なくていいって?」
「いってねーだろ、んなことっ!」
「オレの真の力を見せてやる? お得用小麦粉3袋ぐらい、片手で十分だ? すごいね、バルレル。僕もその勇姿、見せて欲しかったなぁ」
「って、勝手にてめぇの都合のいいように変換すんな〜!」