彼の存在はとてもとても大きく。
 自分の存在はとてもとても小さく。

 本当ならば隣に立つこともできない存在で。
 本当ならば声をかけることもできない存在で。

 視界に捕らえられる距離に在る幸せ。
 別の誰かへの言葉をこの耳に拾う幸せ。






「――――――ああ、ええっと……?」

です」

 こちらの姿を認めて眉をひそめた男に、は間をおかず答える。
 実のところ、このやり取りは18回目だ。
 もちろん、知り合ってからの計算になる。
 日に10回以上同じ相手から名前を聞いているのなら、ただの記憶力が残念な人だ。
 彼は違う。そうじゃない。
 彼の記憶力が残念なのではなく、の存在が悲しいほど彼に印象を残さないだけだ。

 ――――――彼の存在はひと目での中に君臨したというのに。

「なにか御用でしょうか」

 ラムダ様、と愛しい男の名前を呼ぶ。
 私はおまえの名前を覚えているぞ、と言外に込めて。
 彼にとっての自分は、名前を覚える価値も無い、取るに足らない存在だけど。
 自分にとっての彼は、そうではない。

 眉ををひそめられ、名乗り直すたびにチクリと胸が痛む。

 本当は、眉をひそめられる度に名乗らなければ避けられる苦痛だ。
 それでもは名乗ることを止めない。
 他の下働きの少女達のように、その他大勢で片付けられたくはなかった。
 想い返されたい等と贅沢は言わないが、せめて名前ぐらいは、と。
 
 
 
 
 
 
 他愛のない用事を申し付けられ、彼に割り当てられた部屋を辞する。
 おそらくは、次に用事を申し付けられる時も、彼はの顔を見て眉をひそめるだろう。
 その仕草にが勝手に傷つき、また傷つくために名乗り直すのだ。

 ――――――これでいい。

 そう思う。
 胸は確かに痛むが、これでいい。
 他の少女達はすでに彼に名前を覚えられることを諦め、戦線離脱している。
 あとは顔を合わせる度に諦めず名乗り続け、彼の中での顔と名前が一致するまで粘るだけだ。
 今のところ名前と顔が一致しないまでも――――――顔だけは覚えられている。
 それだけで他の少女達よりもが一歩リードしていた。

 ――――――これでいい。

 そう思う。
 



 
 
 そして、結局このやり取りは、彼が地上から姿を消す日まで続いた。