『本当はもう一つ、欲しいものがある』

 だから私はダメなのだ。

 ―――――そう、思った。






 昨日までは仲間であった男に、ロイドは剣を向ける。
 怒りと戸惑い、混乱を纏った剣筋が、剣の師である男に通じるはずはないのだが――――――今回に限っては、クラトスにも本気を出せない事情がある。
 ゆえに実力の上ではロイドを凌ぐクラトスが、やや劣勢をしいられていた。が、コレットをのぞいた1対5という人数差でも簡単には倒せないあたり、さすがは大戦の英雄といった所か。

 実力が違う。

 今の自分達の力では、まず勝てない。
 にも、そう解っていた。

(弱点でもあればいいんだけど……)

 ちらりとはロイドに視線を走らせた。

 クラトスが対峙し、剣を向ける――――――向けさせる相手。
 クラトスと同じ、鳶色の髪と瞳を持つ少年。
 現段階では仲間の誰も知らないことだったが、二人は血をわけた親子だ。
 今のクラトスにとって、一番の弱点と言えるだろう。
 が、の内心はどうあれ、現在敵対しているのはクラトスであり、まさか仲間であるロイドを人質に取るわけにもいかない。
 それこそ本末転倒……というか、収拾がつかなくなる。

 それに、無理に勝つ必要は無い。

 は知っている。
 この勝負、勝っても負けても『物語』は進む。

 そう思いいたり、は軽く目を伏せた。
 息子に致命傷は与えまいと、絶妙な加減で攻撃することに意識を集中しているクラトスからは、リフィルの法術をさえぎる程度にしかしかけてこない。良い意味で、後衛には余裕がある。

(……あたしが欲しいのは、ミトスも笑っている未来……)

 それだけのはずだった。

(……人間って、欲張りだ……)

 最初に願ったのは、たった一つ。
 本当の再生がなされた後に、ぎこちなくでもミトスに笑って欲しい。
 生きて欲しいと……それだけを願った。

(他はいらない。望んじゃいけない)

 そういい聞かせながらも、の目はクラトスの姿を追う。
 気づかず芽吹き、今やミトスの影よりも大きく育った感情の支配者を。

(無駄だから。
 いくら想ったって、無駄だから……)

 背に輝く蒼い羽根をまとった男の姿を見つめる。

 彼のこれからは息子のために捧げられ、心は今も亡き妻の元にある。
 再生の旅に付き合い、ロイドと共に剣術の指南を受けたとはいえ、はクラトスにとって、ただの他人だ。
 きっと、物の数にも入ってはいない。

(好きになったって、無駄なのに……)

 わかってはいても、胸が苦しかった。

 相手はただの『登場人物』で、ここは『物語』の中。
 決められた筋道を、決められた展開にそって進むだけの――――――

(……どうなるんだろう)

 もしも、筋書きとは違う展開が起きたら。

 元々この『物語』には、という異分子が間切れこんでいる。
 筋書き通りに進むはずがないのだ。

(できる……かな)

 剣の柄を握り、深く息を吸いこんだ。

 はロイドではないし、もちろんアンナでもない。
 どんなに頑張っても、クラトスの視界に入ることは叶わない。
 特別な存在になど、なれないのだ。

 叶わぬ想いなら、いっそ――――――




「……クラトスっ!」

 は一足飛びに間合いをつめる。
 ロイドとはイセリアから救いの塔まで、一緒に剣を学んだ仲だ。が呼吸を合わせるのはたやすい。連携を組んでクラトスを追う。
 ロイドのスピードと、の技術。
 2人合わせてやっと一人前だと……そう言ったのはクラトスだった。
 平和な日本で暮らしていたには、剣を振るうことにはどうしても躊躇いがある。
 その躊躇いが、いつもはの動きを鈍らせていた。
 が、今はそれを捨てられる……捨てた。

 は気がついてしまった。
 たった一つだけ、クラトスを手に入れる方法があることを。

 が間合いに踏みこみ剣を振るうと、クラトスは盾で受け、流す。
 すかさず踏みこんだロイドを軽く往なし、クラトスが体制を崩すことはない。
 実力の差がありすぎた。
 が、ロイドはコレットを諦めない。
 も諦めたくはない。
 コレットも、ミトスも――――――

 『殺す』という行為を自制する心を閉じ込める。
 誰かを殺したいと発作的に思うことはあっても、実行に移す人間はそうはいない。
 けれど、今だけはそれを封じる。
 それができなければ、今の自分たちにクラトスに勝つことはできないのだ。

 躊躇いを捨てた変わりに得たスピードで、自身の守りを捨てて、クラトスの懐に飛びこむ。
 横からロイドが作り出したわずかな隙を狙い、白刃を閃かせた。

「……っ!?」

 白刃を伝う赤い雫にの体が止まる。
 クラトスの肌を薄く裂いたところで、の腕は動かなくなった。

 殺してしまえば、が叶わぬ想いに苦しむことはない。
 愛されることはなくても、クラトスが誰かを愛することもなくなる。
 クラトスの心がロイドとアンナに占められることもない。

 けれど、それ以上に――――――鳶色の瞳が、二度と開かれなくなるのが辛かった。

「……どうかしたのか?」

 息一つ切らせることなく、静かな低い声がの耳をくすぐる。
 首筋に当てられた刃に臆することなく、クラトスは悠然と構えていた。

「……あ……」

 口を開いても言葉は出てこない。
 ただ何か言葉を発しなければとは口を開き、また閉じる。
 そんなの様子を静かに見つめ、クラトスが唇を開く。

 小さく紡がれた言葉に驚いてが顔をあげるより早く、クラトスの手刀が落とされた。
 意識を手放す寸前、優しい鳶色の瞳が見える。
 ロイドではなく、崩れ落ちる自分の姿が映っているのは気のせいだろうか。




『おまえも死ぬな』

 確かにクラトスはそう呟いた。

 


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