月を掴む


空気の凍える夜。
息も白く染まるそんな夜、外に出たのはただの気紛れ。
彼女に逢う期待など、微塵もなかった。
地味な、皮のコートを羽織り、向かった先は森の泉。
…彼女と、初めて出逢った場所。

其処に在るのは、静謐なる空気と、澄み渡る水面のみ。
全てが眠りに堕ちたのか、僅かな動きさえ其処にはなく。
彼女の匂いさえも消えてしまった、寂しい場所。
それでも、思い出の中に、彼女が蔑むように向けたその瞳は鮮明に残っている。
まるで女神だと…神をも恐れぬ自身が呟いてしまった、美しい女性。
心から欲した、初めてで唯一の存在。

力を求め、金を求め…権力の座を登りつめた。
欲して手に入らぬ物など、最早有り得ない筈だった。
それでも、決して足取りを掴めぬ彼女。
凛とした気高さを纏う、美しい銀の髪の女は、水面に映る月のようで。
無意識に、それに手を伸ばす。

掴めたと、そう思った瞬間…痛みにも似た、凍てつくような冷たい感覚が指先を伝い。
波紋を広げる水面に月は揺れ、掻き消えてしまう。
その手に残るのは、寒さと虚しさと、僅かな雫のみで。
やがて穏やかさを取り戻した水鏡に、再び美しい満月が映し出される。
その様を、男は忌々しげに見つめ、歯軋りする。

「…いつか、絶対に手に入れてみせるさ。
 どんなに時間をかけても…どんなに手間をかけようとも」

その為に、魂すらも売ったのだから。
何を犠牲にしようとも構わない…。
求めてやまぬ、あの美しい宝石を手に入れる為ならば。
どれだけの命であろうとも、捧げてやろう──。


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