慟哭 |
「レヴィローズが死んでしまうのよ!?」
ヴィラーネが兄に対して声を荒げるのは珍しい。
彼女にこんな大声が出せるとは、家族ですら思っていなかったに違いない。
それほどまでに彼女は怒っていた。
美しい柳眉を逆立て、濡れた夜の瞳で兄エリオスを睨みつけている。
その頬を伝うものは、涙。
ヴィラーネがエリオスに対して『怒り』という感情に囚われたのは、これが初めてだった。
エリオス本人に自覚はないが、ヴィラーネは常に兄に対して劣等感を持たされていた。
自分が苦労して得た力も、兄にかかれば児戯に等しい。
難解な本もすぐに理解し、自分の物にする……
エリオスは優秀すぎて頼りにくく、何を考えているかわからなくて苦手な相手。
それでも、そんな兄のことがヴィラーネは好きだった。
変に抜けているくせに何でも器用にこなし、こと人間関係についてだけは不器用なエリオス。
同属の魔術師に命を狙われてもそれと気づかず、にこにこと笑いながら乗り越えてきたエリオス。
その兄が一族の至宝レヴィローズの主に選ばれたのは、当然といえば当然。
これまで一度も主を決めなかったレヴィローズに選ばれたのだ、ヴィラーネとしても自分のことのように嬉しかった。
誕生以来誰も手に入れることが出来なかったレヴィローズ。
そのレヴィローズに初めて選ばれた人間エリオス。
が、兄は今夜逃げ出そうとした。
レヴィローズに選ばれたことを、まるで最初からソレに価値がなかったとでいうような兄の態度。
自分がどんなに望んでも得られなかったものを、簡単に捨てる兄。
そして何よりレヴィローズを拒絶する理由も話さず、逃げるように城を出て行こうとしたことが許せなかった。
「さっき、レンドリアに言ったんだ。……『死んでしまえ』って」
幼い頃からレンドリアにぴったりとくっついていたエリオスはわかっていた。
レンドリアが本当に望んでいる物を。
それゆえに、彼が自分を選んだのが『妥協』だとわかってしまった。
今まで散々我侭を言ってまわりをかきまわしていたくせに、最後の最後で妥協してしまったレンドリア。
それが許せなかった。
裏切りと言ってよかったかもしれない。
全ての者を惹きつけて止まない特別の宝玉が、ただの生きた石に堕ちる瞬間。
そんな物は見たくなかった。
「僕じゃだめなんだ。僕じゃない。レンドリアが本当に望んでいるのは」
誰もよりも誇り高い炎の王子。
その誇りを傷つけるものは、例えレンドリア本人であっても許せない。
エリオスは産まれて初めて『怒った』のかもしれない。
だからこそ、大好きなレンドリアに世界で一番冷たい言葉を言ってしまった。
『死んでしまえ』と。
「兄さんの足をもぎ取ってでも、行かせません」
深く息を吐くヴィラーネ。
緊張していた。
兄に対して、攻撃を与えるために魔術を行うのは初めてだったから。
力で勝てないことは重々承知していたが、ここで諦めるわけにはいかない。
一族の至宝、レヴィローズがエリオスを望んでいるのだ。
その望みをかなえるのは、番人の娘として当然のこと。
「ダメだよ。君の魔術は僕には通じない。炎の魔術は、僕だって得意だから」
エリオスは静かな瞳で妹を見つめた。
炎の魔術で自分を捕らえられる者はいない。
唯一の例外と言えるレンドリアは、この場には決して現れない。
エリオスが出て行くことを認めているのだ。
本物を待ちつづける覚悟、それが叶わなかった時の死を受け入れる覚悟ができたのだろう。
エリオスにとって、それだけが救いになった。
自分が全てを捨てることに、意味はあるのだと。
「腕ならあげてもいいけど、足はダメだよ。もう決めたんだ。僕はここから…魔術師ばかりの世界から、出て行く」
静かに告げる別れの言葉。
その言葉に魔術を乗せる。
炎を操ることを得意とする妹が、少しだけ苦手としている『束縛』の魔術。
これならば相手を傷つけることなく、自分の魔力が途切れるまでそこに束縛し、遠くへ逃げられる。
「レンドリア……もう、そう呼んでもいけないね。レヴィローズのことは頼んだよ」
「……兄さん……どうして…?」
何か重いものが肩に乗っているような気分だった。
見事に身動きが取れない。
『束縛』された自分の自由にならない体をヴィラーネは忌々しげに見下ろした。
「訳は言えないんだ。その代わり、それはヴィラーネの『可能性』になるよ」
レンドリアが望んでいるのは『天然』の器。
作られた器では、どんなに大きな器であっても彼にとってなんの意味もなさない。
誰かに教えられた知識では無意味。
器となる者が自分でそれと気づかなければダメだし、むしろ気づかない方が良い。
作られた気持ちでないことにこそ、意味があるのだ。
「分からないわ、兄さん。私には、兄さんが何をいっているのか…」
エリオスと同じように『作られた器』であるヴィラーネに、それに気づくことができるかはわからない。
それでも今は、可能性にかけてみたい。
レヴィローズの望む『天然の器』になれるように…
「レヴィローズが、死んでしまう……」
「……ごめんね」
妹の搾り出すような声から逃げ出すように、エリオスは城から姿を消した。
あの日。
兄エリオスが城を出ていった日。
あの時の言葉の意味は結局わからないまま……ヴィラーネは今日という日を迎えてしまった。
「君が私を突然呼び出すなんて、珍しいね」
栗色の髪と髭の紳士は出迎えたヴィラーネに微笑み……その複雑そうな表情に気がついた。
感情を表に出さない彼女。その表情の違いを見分けるのは至難の技だったが…今の表情ならば、誰が見てもわかるだろう。
炎の一族至高の魔女は、『困惑』していた。
「何か、あったのかい?」
そう尋ねるケイド・ダリネードと視線を合わせ、ヴィラーネは感情を整理するようにゆっくりと一言。
「エリオスの消息が掴めました」
エリオスが城を出ていって以来、ヴィラーネはエリオスを『兄』と呼ばなくなった。
許せなかったのだ。エリオスのしたことが。
約束された未来も、家族も捨て、ろくな説明もせずに家を出ていってしまったエリオスが。
だから『兄』とは呼ばないし、呼べない。
炎の指輪を守るべき『番人』になってからは、なおさらだ。
「あれだけ探して見つからなかったのにかい?」
優秀な魔術師が総出で探しても見つからなかったというのに。
それほどまでにエリオスの魔術は完璧だったのに。
「……死んでいました」
「それはっ…………」
ぽつりと足された言葉に、ケイドは理解した。
だから一族に見つからないようにと張られていた魔術が途切れたのだ、と。
「娘が1人いるようです」
エリオスのしたことは許せないが、指輪の番人として、可能性のひとつとして、その娘とレヴィローズをひき合せたい。
唯一レヴィローズが認めた人間エリオス。
その1人娘なら、もしかしたらレヴィローズは受け入れるのではないか。
坦々と語りながらも揺れるヴィラーネの瞳に、ケイドは深いため息をついた。
どうやら今日は『相談』されているらしい。
長い間ひとりで一族を引っ張ってきた魔女に。
幼い頃から妙に大人びていて、子供らしい姿は滅多にみせなかった女性に。
そんな彼女が悩むことに、自分が解決策を提示できるとは思わなかったが。
珍しく頼られているようなので、誠意をもって応えたいと思う。
「『君は』どうしたい? 私はそれに従おう」
幼い子供にするようにケイドはヴィラーネの目線に合わせ、腰を落とした。
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