指定席 |
「あ、ヴィラーネ」
呼びとめられて、振りかえる。
「何か御用ですか?兄さん」
あまり感情を見せない黒い瞳が、いぶかしむように細められる。
兄エリオスが彼女に話かけることは稀だった。
普段は自分のテリトリーに閉じこもって好きかってに本を読み、取りたいときに食事をとる。
そんな生活をしているのだ。
自分に家族がいることすら、忘れているのではないだろうか。
時々本気でそう思う。
当然同じ城内に暮らしていても、顔を合わせることすらまずない。
エリオスが自分から家族に会おうという気にならない限りは。
そんな兄が珍しく話しかけてきたのだ、何かやっかいで大事な用事なのだろう。
ヴィラーネは持っていた本を抱きしめ身構えた。
「やっと見つけた。探してたんだよ」
陽がほどけるように柔らかく、穏やかに微笑むエリオス。
その笑顔は、なんだか本当に楽しそうだった。
「見せたいものがあるんだ」っと、エリオスはヴィラーネの都合も聞かずに手をひき、歩きはじめた。
薄暗い城内の廊下を歩く。
歳が近いとはいえ、幼い子供にとっての1年の差は大きい。
10歳と7歳のエリオスとヴィラーネの歩調もそうだった。
エリオスは優秀だが、人に『合わせる』ということを知らない。
いつもすぐにヴィラーネの息があがる。
「兄さん、どこまでいくの?」
常だったら息をきらしていそうなほどの距離を兄と並んで歩いているが、今日は一向に息が切れない。
ヴィラーネは不思議に思ってエリオスを見上げる。
いつもと変わらない横顔。
何かに夢中になっている時の、周りが見えていない目だ。
それから視線をエリオスの足元に移す。
どこか歩き方がおかしい。
何もないところで、時々躓くように足並みが乱れる。
(……? もしかして……)
「兄が変わった」
書斎で適当な本を読み、時間をつぶしているケディ・ローの隣に腰を下ろし、ヴィラーネがぽつりっとつぶやいた。
「前は私の歩調に合わせて歩くなんて、できなかった」
ずっと抱きしめていた本を机に置き、その上に自分の両手を乗せる。
その左手には、綺麗に編まれた白詰草のブレスレットがはまっていた。
先ほどエリオスに連れていかれた中庭の奥。
そこに咲いていた花でエリオスが編んだものだ。
「私が笑うと『嬉しい』って」
花をいじりながら、ぽつりぽつりともらす言葉に、ローは文字を追うのをやめた。
「『珍しい』とか、『新発見』とかいって、喜んでいた。今日はたくさん兄と『会話』をしたわ。……なんだか『家族』みたい」
ローは本から顔を上げ、隣に座る少女を見つめる。
「急に『兄さん』になられても………困る」
花を見つめながら、ほんのりと頬を染める。
今までいてもいなくても同じような兄だったエリオスが、急に『お兄さん』としてヴィラーネに接しはじめたのだ。
どう反応をしていいのか、困ってしまう。
「エリオスは嫌いか?」
「……嫌いじゃない。でも…」
「少し苦手」と、珍しく困惑気味にまゆを寄せるヴィラーネ。
あまり見せない少女の人間らしい表情に、ケディ・ローはつられるように微笑む。
普段なら子供らしくなくてためらわれるヴィラーネの頭に手を乗せた。
兄どころか父ですらしないケディ・ローの行動に、ますます頬を赤らめる。
記憶にある限り、誰かに頭を撫でられた覚えはない。
結構気持ちがいい。
「兄が変わったのは、ケディ・ローの影響ね」
「俺は何にも教えてないけどな」
「でも、実際に兄は変わったわ。父の望み通り、『外』を見るようになった。」
努力と勉強が大好きなエリオスには、実際家庭教師として教えることは何もない。
興味を持ったことは勝手に本を調べて、一人で行動を起こす。
誰かに相談することもない。
エリオスという子供の『世界』には、エリオス1人しか住んではいなかった。
「兄はここから、何がみえるのかしら?」
ケディ・ローの隣の椅子に座るには、少し背のたりないヴィラーネ。
短い足をぷらりぷらりと泳がせる。
ヴィラーネが今座っている『ケディ・ローの隣』は兄の指定席だ。
兄を少しづつ、それも良い方向に変えた『指定席』
兄もこの『指定席』で今の自分のように、足を泳がせているのだろうか。
そんなことを考えながら、ヴィラーネはじっと『指定席』に座っていた。
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