砂漠の花


「――――」

 音の無い声を聞き、少女は振り返った。
 視線の先には、闇色の奇妙な鳥。
 身を焦がすような灼熱の太陽の下を、真直ぐに飛んでくる。

「……お帰り。何か……見つかった?」

 少女が声をかけると、その鳥は上空で旋回した後、ゆっくりと少女の肩にとまった。
 そのまま声を出さずに、嘴を動かす。

「……そう……近くには何も無いのね」

 小さな溜息とともに呟く。
 鳥の音にならない言葉を、少女は確実に理解していた。
 それも当然のことだ。その鳥は少女の使い魔なのだから。
 優れた風使いの中でも、選ばれた者だけが使役できる自由を象徴する存在。

「やっぱり、ここに入って行くしか……ないのかしら?」

 目の前には、一面の砂漠が広がっていた。
 今立っている場所が、砂でない最後の場所だ。
 それも、僅かに立ち木が存在する程度。人の気配はない。
 旅に慣れてきたとはいえ、ここから先は死と隣り合わせの過酷な土地。
 入り込むのには、かなりの勇気がいる。

「……それでも、行かないと……」

 無意識に、耳を飾る宝玉に触る。

「人の住む場所には見つからなかった……けれど、強い風の吹くこの地なら、あるいは……」

 広大な砂の大地に目をやり、自分の使命を思い出す。

 風の一族として、宝玉の番人としての大切な役目――――


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「――我々の知る、最後の大気の泉が消えた……」

 一族の存亡に関わる言葉は、予想されたものだった。
 大気の泉が減り続けているのは、かなり以前からのこと。
 既に何年も前から、一族の何割かは新たな泉を探していた。
 そして最後に残った場所、すなわち彼女が守り続けていた地からも、風の力が失われたのだ。
 ついに風の一族は、総出で大気の泉を探すことになった。
 それは、まだ幼さの残る風使いの少女にとっても、例外ではない。
 むしろ、立場からすると責任は重い。
 彼女は惟一人の、宝玉の番人なのだから。

 もっとも、風の一族は総じて旅が嫌いではない。
 自由を愛する性質のためか、何処へでも気の向くままに赴いた。
 他の一族に比べ、一族同士の干渉も少ない。
 結束が弱い訳ではない。一人でいることを、孤独とは感じないからだ。
 耳を澄ませば、常に大気の声を聞き取ることができる。
 寂しいと感じることは少ない。

 しかし、今回の旅は、一族にとっても困難なものになるだろう。
 以前から探している者たちでさえ、未だに見つけることが出来ていない。
 何より、誰も口に出すことはないが、本当に存在するかどうか判らないのだ。
 砂の中の小さな宝石を探すよりも難しい。

 それでも、探しに行かなければならない。
 一族にとって、何よりも大切な宝玉のために……。

 そうして、少女は旅に出た。
 自らが守る、空色の宝玉と共に――――


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 息が切れる。
 手にした杖にすがりつくようにして、何とか身体を支えた。

 灼熱の太陽の下を、どれくらい歩いたのだろう。
 目に映るのは、砂の大地だけ。どれだけ歩こうとも、景色は変わらない。
 体力は、とうに限界を超えている。
 足は普段の倍くらいに重く感じられ、大量の汗によって体中の水分が失われていた。

 ついに意識も薄れ、砂の上に座り込んでしまう。
 陽を遮るものもない中、そのままでは体調が悪化するのは目に見えていた。

 ――そこに、微かな大気の揺らぎが生まれる。

 ふわり、と涼しい風が、少女の全身を撫でていく。

「……ソール?」

 返事は無い。
 姿も現さない。

「ありがとう、ソール」

 それでも、礼を言う。当然、応える声は無い。
 風の王子は、人間に縛られるのを嫌っている。
 だから、表立って人に手を貸すようなことはないのだ。
 ただ、少女が本当に困ったときは、いつも助けてくれていた。

 心地よい風が、少女を包んでいる。
 溜まっていた疲れが、僅かながら薄れていくのを感じた。

 同時に、気が緩む。

 ――いけない!

 そう思ったときには、既に意識が朦朧としていた。

「――おい!」

 宝玉と同じ色の瞳を持つ少年の声を聞きながら、少女は砂の中に倒れ込んだ……。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 期待と落胆。希望と絶望。疲労と焦燥。

 そんなものが、少女の心と体を支配しつつあった。
 訳の判らない焦りが、全身を衝き動かしている。
 どれだけ探し回っても、目的のものは見つからない。

 ――もう、存在しないのではないか?

 その気持ちが、形となって襲い掛かってくるような感覚。
 
 後ろを向いて逃げ出す。

 ひたすら逃げる。

 心臓が破裂しそうになるまで逃げる。

 逃げ切れない。

 足が縺れる。

 身体が傾く。


 ……もう、逃げられない。


 ぎゅっと、目を瞑る。

 ………… 

 …………

 ……

 ……



 最初に感じたのは、微かな揺れ。
 次いで、冷たい温もり。
 ……どうしてだろう。感触としては冷たいのに、気持ちが温かくなる。
 目の前にある、広い背中。
 うっすらと、今までのことが夢だと認識できた。

「……ごめんなさい、ソール」

 小さな声で、呟く。

「気付いたか……」

 振り向きもせずに、歩き続ける少年。
 少年と呼ぶには、大き過ぎる存在であったが。

「申し訳ありません。……自分で、歩きます……」

「……もう少し、寝ていろ」

「でもっ……」

「……また無茶をして、他人に迷惑をかけるのか?」

 不機嫌そうな声。

「……でも……」

「心配ない。お前は軽すぎる。……もっと丈夫にならないと、この先厳しいぞ……」

 そういう意味ではなかったのだけれど……。
 そう言おうと思ったが、口にはしなかった。
 風の王子である彼に申し訳なくて、自分で歩くとは言ったが、腕も上がらないほど衰弱している。
 彼の身体を気持ちいいと感じるのも、熱があるせいだろう。

「……ありがとう……ございます……」

「……まったく、世話の焼けるやつだな」

 言葉はそっけなかったが、少女を背負う腕には、しっかりと力が込められていた。


『……人間に束縛されるつもりはないが、お前のことが嫌いな訳じゃない』


 少女は、自分が主候補から番人となったときのことを思い出す。
 同じように、そっけなかった言葉。
 けれど、優しかった眼差し。

 その声を聞くと、不思議と安心できた。

 再び身体から力が抜けていく。

「……ありがとう……ソール……」

 そう言って、少女は再び眠りに落ちていった……。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 目覚めたとき、目の前には青い瞳があった。
 重い瞼を瞬かせ、じっと見つめる。

 ――――え?

 ソールの瞳。

 ソールの肩。

 ソールの胸。

 ソールの腕。 

 ………………。

 そこまで目で追って、やっと自分の状態に気付く。



「――っっきゃあぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!」



 思わず悲鳴をあげてしまう。
 風の番人である少女は、守るべき相手の肩に寄りかかって眠っていたのだ。
 悲鳴を聞いても動じることなく、優しい笑顔が見守っている。
 恥ずかしさと申し訳なさで、少女の顔が、みるみる赤く染まった。

「〜〜〜〜ご、ごめんなさい。ごめんなさい! ごめんなさい〜!!」

 パニックを起こした少女を、青い目の少年が抱き締める。

「そ、ソ、ソ、ソール!?」

 ますます顔を赤くする少女の手に、少年の指が触れる。
 
『元気になった?』

 少年の指は、そんな文字を描いていた。
 
「あ……」

 相手に心配をかけてしまったことを思い出し、少しだけ冷静さを取り戻した。
 
「……申し訳……ありませんでした……。本当なら、私が貴方を護らなければならないのに……」

 番人としての言葉は、後悔でいっぱいだった。
 主として認めてもらうこともできず、大気の泉を見つけることもできない。
 その上で、力の弱っている彼に、助けてもらうことになってしまった。
 宝玉の化身である少年を、苦しめ続けている。
 それは正確ではないが、彼の寿命を縮めているのも事実だった。

 気落ちしたような少女の言葉に、少年は黙って首を横に振る。
 しかし、少女は俯いたまま、彼の方を見ようとしなかった。

 ――僅かな沈黙。

 ついに泣きそうになっていた少女の肩を、大きめの手がそっと掴んだ。

 ――ビクッ!

 肩を震わせ、少年の顔を見上げる。
 しかし、少年は少女の方を見ていなかった。
 
「ソール……?」

 不安そうな声に、少年は僅かに少女の方を振り返る。
 しかし、次の瞬間、再び視線を戻してしまった。

 同時に、肩に置かれていた手が、1つの方向を指し示した。

 少女の目が、自然にそちらを向く。


「――わ……ぁ……!」


 思わず、感嘆の声があがる。

 視線の先には、砂漠にいるとは思えないほど、美しい景色が広がっていた。

 澄んだ蒼い水。
 その周囲に広がる小さな緑。
 何より目を引いたのは、水辺に咲き誇る色とりどりの花だった。

 もちろん、町で見かけるものに比べて種類も量も少ない。
 しかし、少女の目には、今までに見たどんな花よりも美しく見えた。

 しばらく、言葉もなく見入ってしまう。

 



「……ね……ソール。私、大気の泉を探す……」

「…………?」

 少女の口から出た言葉は、唐突だった。
 ただ、その顔には、先ほどまでの暗い影はない。

「私……もしかしたら、諦めかけていたのかもしれない。心のどこかで……。大気の泉なんて、もう見つからないんじゃないか……って」

 少年の表情は変わらない。笑顔のままだ。
 ただ、その目は、少女の言葉を聞き逃すまいとしているように見えた。

「でも、こんな厳しい場所にだって、こんなに綺麗な花が咲いている……」

 そこまで言って、少女は少年の方へ振り返った。
 そして、その瞳を見つめて、言葉を続ける。

「大気の泉だって、必ずどこかにあるはずよ……。ね、ソールもそう思わない?」

 番人ではなく、年相応の少女の顔で、少年に問い掛ける。
 少年は、少しだけ驚いたような表情を浮かべると、
 不思議な笑みを浮かべた。

『そうだね』

 少女の手に、そんな文字が綴られた。

 しかし、その顔に浮かんでいる表情は、もう一人のソールのものによく似ていた。

「ソール?」

 風の宝玉に一番近いはずの、風の番人。
 彼女にも、そのときの少年が、どちらのソールなのか判らなかった。 

 しかし、そんな表情は一瞬だけ。
 少しだけ微笑んだ後、少年の目は再び花に向けられる。
 自然に、少女の視線もそれを追った。

 ――そして。

 いつまでも、飽きることなく。 

 砂漠に咲いた、希望の花を眺めていた――――



 ―――― 終 ――――

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