5時25分。教育者兼家政夫の朝は早い。
時計が音を鳴らせる5分前。桂嗣は日常通りに瞼を開いた。
日常風景。
「……久しぶりにゆっくり寝られましたねぇ……」
桂嗣にとっての熟睡とは、つまり深夜の訪問が無かった証拠。
むくりと上半身だけを起こし、眉間を揉み解す。そしてボンヤリと朝食の献立を考え、布団から出た。
5時35分。
動きやすい服装に着替えてから洗面所に。洗顔はクリームになるまで泡を立て、ようやく顔に塗りたくる。
連れて歩く頻度が高い所為か、鶴亀家の女性は桂嗣達を装飾品の一つとして考え、肌が荒れただけでも文句をつける。
お陰で桂嗣達は洗顔一つにも気を使う必要があり、不必要に見目麗しく……な状態でなくてはならないのだ。
5時50分。
そして台所に向かい、昨晩から水に浸しておいた白米を炊飯器に入れ。
味覚的年寄りが多い鶴亀家では柔らかめなご飯が好まれるので、加水量も少々多めだ。
その内に誰かが走って来る音が廊下側で響いた。相手は辰巳。このところ桂嗣の手伝いに命をかけているらしい。
「おはよう、桂嗣!!」
扉を開けて桂嗣の姿を確認すると同時に抱き付く。
髪を結い上げていることから推測するに、辰巳は桂嗣よりも早くに起きているのだろう。
幼子が出来るとは思えない程巧妙に結ばれた髪を揺らしながら、上目使いで桂嗣の顔を覗き込んだ。
「おはよう御座います、辰巳様。今日も可愛らしいですね」
「ありがとう!! 桂嗣大好き」
褒め言葉待ちであったことを瞬時に理解をして吐き出した言葉。間違っていなかったらしく、辰巳が嬉しそうに笑った。
6時15分。
朝食の匂いにつられたようにして、羅庵が台所にやって来る。
先に牛乳をパック飲みして、それから洗面所に。昨晩は帰宅が遅かったので、まだ寝呆けている模様。挨拶が無かった。
桂嗣に夢中……ではなくてお手伝いに必死な辰巳はそのことにさえ気づかなかったらしい。
机の上に置かれた空の牛乳パックを、突然現れたと叫んでいた。
6時30分。
当主の龍貴と妻の咲枝が起きた頃。栗杷が架愁の目起きを襲う時間なので、取り合えずソレを止める。
そしてそのまま声をかけないと寝つづける危険性のある蔓貴を起こしに行った。
掛け布団の裏に張付いている蔓貴をどうにか剥し、洗面所に連行。幼い辰巳の方が遥かに聞き分けがいい。
6時45分。
他愛も無い会話をしながらの朝食。
献立は炊き立てのご飯、塩鯖、ほうれん草と里芋の胡麻和え、キュウリとタコの酢漬け、味噌汁。
桂嗣の隙を見計らい、蔓貴が胡麻和えを羅庵の更に移し変えている。朝くらいは、見逃しておこう。
そして朝食を済ませたものから席を立ち、其々の仕事場にと向かう。
龍貴は役場で、咲枝は琴の教室。役場と教室は隣接して建っているので、2人仲良く家を出る。
本当ならば地主である鶴亀家の人間は外に働きに行かずとも十分に収入はあるのだが何故か当主は外で仕事をするのだ。
それは龍貴に限ったことではなく、何代も前からなのだが。
「今日は良い天気だから学校をさぼろうかのぉ」
「まろ様。体育の授業が面倒だからって休んではいけませんよ」
それも現当主で終るだろう。次期当主が『社会の流れを見るためには必要だ』などと外に仕事に出るとは思えない。
今日は学校のカウンセラーとして呼ばれている羅庵に蔓貴を持たせ、一緒に栗杷達のお見送りも済ませる。
11時50分。
朝食の片付けに始まり、掃除、洗濯、庭の手入れまでを終らせる。
架愁が図書館から帰ってきたことを確認してから、ご近所の奥様方とオープンしたばかりの和食店に。
毎晩のようにお転婆娘が騒音を出しているため、ご近所の方には出来る限り良い顔をしておく必要があるのだ。
なにより今日は町会の役員の顔合せも兼ねている。とはいっても桂嗣は毎年役員に就かされているが。
今年はどうにか会長を免れたので良いとしよう。特に記入する項目も無いが、書記としてノートだけは持参した。
14時00分。
長い昼食……役員会議も含めて……も終了し、そのまま町の小さな公民館に行く。
此処で桂嗣は学校に通っていない子供達に、無料で勉強や剣術を教えているのだ。
4代前の鶴亀家当主に『宝の持ち腐れは許さん』と言われて、ついで町からの要請もあって始めたのだが、
元来子供好きで、遠い以前に教員免許を取得していた桂嗣には中々合っているらしい。
本日は剣術の日なので、公民館に付属している体育館に入れば、早々に十数人の子供達が其々に練習を始めていた。
「センセ〜! 今日は〜」
「はい、今日は。元気があって凄く良いですね」
取り合えず一度集合させ、準備運動。その後にまた打ち合いの練習をさせて指導していく。
子供の数より、その周囲で練習を見守っている奥様の数が多いのは多分気のせいではない。
16時30分。
帰宅。先に帰っていた辰巳が即座に抱きついた。
軽く頭を撫でてから、架愁にお願いしておいた『洗濯物の取り込み』と『夕飯の買い物』が終っているか確認。
栗杷に稽古をつけている架愁に、室内から有難う御座いましたと声を掛け、夕飯の準備に取り掛かる。
ちなみに縁側で口に餡子をつけたまま昼寝をしている蔓貴には、薄手の『蔓貴の昼寝用布団』をかけた。
19時00分。
鶴亀家の全員が食堂に集合。朝食と同様に他愛も無い会話を楽しみながら夕食。
蔓貴がゴマドレッシングのサラダを羅庵に渡しているので、空いた皿にもう一度盛り付けて渡す。
夕飯はハンバーグなので、子供達からハンバーグのみでのお代わりコール。付け合せの野菜はいらない模様。
独りどんぶり茶碗の羅庵だけが白米を大盛りでお代わり中。架愁はきっりち一人前でご馳走様。
当主夫妻は煮物が気に入ったらしく、しかも蓮根ばかりを食べている。繊維質が食べたいようだ。
20時30分。
辰巳の要望で一緒に風呂へ。先に湯に浸かっていた蔓貴に声を掛ければ、寝ていたらしく返事が無かった。
危険なので起すと、桂嗣がいるから溺れても安心、などと意味不明文を吐き出しもう一度瞼を閉ざした。
取り合えず辰巳の髪を洗い、蔓貴が溺れていないか確認しつつ、桂嗣も洗髪する。
広すぎる浴槽は3人入っても未だ広い。両手を伸ばし、年寄りらしく軽く溜息。
21時50分。
子供達の就寝時刻。架愁に夜這いを掛ける栗杷を止めさせて、読書で夜更かし気味の辰巳にも声をかけておく。
月の見える部屋で龍貴の晩酌に羅庵共々付き合い、軽くアルコール摂取。
話の内容は、大概が子供のこと。最近の子供は……などと時代に乗り遅れた年寄りの会合だ。
23時00分。
鶴亀家の殆どの明かりが消える。
廊下全てと庭を見回り、不審者が居ないかを確認する。
無論見回らなくとも、此処の大人陣は不審者が出れば直ぐに気配を察することが出来る。此れは形式的なものだ。
そして桂嗣自身も就寝しようとして………………
「……鬱灯。貴方、何しているんですか」
「おや桂嗣。今日は少し早かったですね」
桂嗣の部屋。何故か鬱灯が小さなテーブルにノートを広げ何かを書いていた。
其のノートを盗み見れば、書かれているのは桂嗣の行動日記。しかも分刻みである。
「……本当に何しているんですか」
何故に鬱灯が桂嗣の日記を書いているのか。全く持って意味が判らない。
しかも日付が数日後であるところが、さらに意味不明だ。
眉間に皺を寄せた桂嗣に、鬱灯がわざとらしく溜息をついた。
「昨年の誕生日に送った日記帳を一切使ってもらえていなかったので、私が代筆しているんですよ」
人から貰ったものを使わないのは教育者として有るまじき行為ですよ、と吐き捨てる。
確かに桂嗣は昨年の誕生日に、鬱灯から日記帳を貰った。
桂嗣だって別に初めから使わないつもりだったわけではない。
例え鬱灯からの贈り物だったとしても、貰った以上は感謝して使おうと思った。だが。
「貴方の顔が印刷された日記帳なんて開きたくないに決まっているでしょう」
しくしくとウソ泣きをする鬱灯に、今度は桂嗣が吐き捨てた。
そう、今現在鬱灯が書き込んでいた日記の全てのページには、鬱灯の顔が印刷されているのだ。
桂嗣にとっては嫌がらせでしかない贈り物。使わないのも当然であり。
「なんて酷い。貴方がいつでも私と居られるように、特注で作ったというのに」
「そんなお心遣いは無用です。捨てないだけでも有り難いと思って下さい。しかも何で数日後を書いているんですか」
「溜め書きですよ。明日から何日か遠出する仕事がありますので、帰ってくる日まで書いておこうかと」
ウソ泣きをやめた鬱灯が、また桂嗣の前で『桂嗣の日記』を書き始めた。
迷うことなく進む筆。それはもう、ごく当然のように書いているから恐ろしい。
「……どうして私の数日後の行動が予測出来るのですか」
「もちろん私と貴方が深い場所で繋がっているからでしょうね」
「もし繋がっているなら即座に切らせて頂きたいですが」
再度溜息を付いた桂嗣を、やはり無視した状態の鬱灯が日記に筆を走らせている。
取り合えず書き終わるまでは、部屋を出て行ってくれないということだろうか。
夜もどっぷりと更けて、桂嗣としては布団に入ってしまいたいのだが。
仕方がない。
「判りましたよ。其の日記の続きは私が書きますので、もう出て行ってください」
どの位か考えたのち。桂嗣は鬱灯の手元にある日記帳を奪った。
★後書き★ 9万打を踏んでくださった、風羽様からのリクエスト『桂嗣の朝から夜まで』のSS話です。
とかいって真面目に変な文章になってしまい申し訳ないです……! 日記風にしようと思い書いたのですが、
オチも微妙だなぁ……とか。無論、僕なりに精一杯書かせて頂いたのですけれど(泣。
でも素敵リクを下さり有難う御座いました! 読んでくださった方も有難う御座いましたv 05.6.19 端宮創哉
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