誰一人として起きてはいない筈の鶴亀家の深夜。

自室で眠っていた桂嗣は天井側より不穏な視線を感じ、ゆっくりと瞼を開けた。







下らない会話をしよう。







「何か御用ですか」

平和呆けをしているとは言っても、この家には優秀な護衛を兼任する医者と科学者がいる。

その者達に気付かれずに此処まで来たということは、相当な使い手なのだろう。

否。どうせいつもの相手だからと、皆が見逃したのかもしれないが。

どちらにしろ、桂嗣にとっては害虫でしかない。

大切な睡眠時間の邪魔をしに来た視線の主に対して、怒りをこめた声で桂嗣が呼びかけた。



「嫌ですねぇ、そんな怖い顔しちゃって……ちょっと遊びに来ただけですよ」

寝起きのせいもあるが、まず子供達には見せられない目付きの桂嗣に対して声の主が笑った。

そしてスタリとほんの僅かな音だけを立て、丁度睨まれていた天井の1マスを外して床へと降り立つ。

障子越しに入ってくる月の光。

少しずつ闇夜にも慣れはじめた桂嗣の目に、主の顔がボンヤリと映し出された。



「……どなたでしょう!?」

予想外の相手の顔に、桂嗣は思わず上半身をガバリと起こした。

天井から感じた気配も視線も、確実によく知った相手のソレだと思い込んでいたのに。

驚きながらも警戒心を強めた桂嗣に、相手は特に表情を変えるでもなく、肩に手を置いてコキコキと首を曲げた。



「おやおや、桂嗣ってばいつになく乗り気ですねぇ。そんなに暇を持て余していたのですか」

「この時間帯は就寝の時間と決めてますので、初めから暇なんてモノは存在しません。……いや、そうではなくて」

「では私に会いたかったと。中々気持ちの悪いことを言ってくれますね」

「そちらこそ気持ちの悪い想像をしないで頂きたい。……ではなくて」

「まさか夢の中で私に会っていたとか!? 悪いんですけど、貴方の愛は受け取れません」

「もともと貴方に渡す愛など持ち合わせておりません。……じゃ、なくてですね」



下らない会話のテンポさえもが知った相手と同じとは一体どういうことだろうか。

まさか似た人間が2人も存在するとは考えたくない。

そんなことを思いながらも、桂嗣は一つ溜息をついてから、相手に尋ねた。



「もし前に会ったことがあるなら大変申し訳ない質問なのですが……どなたでしょうか?」

人の顔を覚えることがあまり得意ではない為、少しだけ引け目を感じつつの質問。

相手もまさかこんな質問をされるとは思っていなかったのだろう、両目を大きく開き、首を軽く傾げた。

そして互いの顔を見つめて数秒。



「とうとう痴呆が……」

「違いますよ」

見られた側がムカツクほどに哀れみを込めた目の相手の言葉を、桂嗣がすぐさま否定した。

言い切る前に反論され、相手が少しだけむっとした表情を作る。



「ではどうして今さら名前を尋ねるのです? 羞恥プレイでも始める気ですか」

「そんなに恥かしい名前をお持ちなんですか貴方は。……違いますって。本気で判らないんですよ」

「恥かしい名前だなんて失礼な。親が聞いたら泣きますよ。……私の顔を見忘れましたか」

「もとは貴方が振った話でしょう。羞恥プレイという言葉に親が泣きますよ。……残念ながら、貴方の顔に見覚えはありません」

「聖職者がそんな卑猥な言葉を使うなんて。生徒達の将来が不安でなりませんね。……眼球を何処に落としてきたんですか」

「その卑猥な言葉も貴方が先に使ったものですよ。……眼球を落とすなんて器用な真似はしたことがありませんけど」



またも続いてしまう下らない会話。このままでは永遠に相手の名前を聞き出すことは不可能だろう。

いや、別に相手の名前何てどうでも良いのだが。

とりあえず知り合いならば、どういう関係だったかだけでも思い出して起きたい。

桂嗣はこめかみを軽く押した後、睨みつけるようにして相手の顔をじっと観察した。



床に付く程に長い銀髪。

月の光を受けて青白く輝く肌。

少々垂れた目と、唇の左端だけを上げて作った笑み。



特徴も此処までならば、桂嗣の良く知った相手と被ってくれるのだが。

現在桂嗣の部屋にいる相手と、毎夜といって良いほどにこの部屋に訪れる害虫とはただ一つ、決定的に違うところがある。

それは。



「貴方が幼児趣味なことは知っていましたが、そんな熱い目で見るのは止めてくれませんか」

銀髪の幼児が、幼児らしからぬ発言をしてふわりと己の髪を掻き揚げた。

「誰が幼児趣味ですが、誰が!」

たとえ自分に幼児趣味があったとしても、こんな子供だけは遠慮したい。

そういう桂嗣に、おや? と幼児が首を捻った。

「違ったのですか? せっかくこんな格好までしてサービスしたというのに」

ついでとばかりにくるりと身体を一回転させる幼児。一体いつどんなサービスをしたと言うのか。

寧ろ嫌がらせみたいな暴言は沢山吐かれたが、実がソレ自体がサービスだったのだろうか。

そんなサービスならば、今後一切遠慮したいものだ。考えながらも、桂嗣はようやく相手が誰かを理解した。



「……どうしてそんな姿になっているのですか、鬱灯」



そう、相手はやはり鬱灯だったのだ。

あの無駄にねっとりと絡む視線や、遊びに来たというには攻撃的過ぎる殺気を帯びた気配。

聞いている方がハラハラするという毒舌交じりの軽い会話のテンポも、似すぎているとは思ったが。



「だから言ったでしょう、サービスだって」

「残念ながら私に幼児趣味がないので、サービスという言葉の破片にすら引っかからないのですけど」

「おや、ならば本来の姿の方がお好みで? 貴方も大概我侭な人ですねぇ」

「好む好まないの問題でいけば、貴方という存在自体を好まない分類に別けてしまいたいのですけども」

「聖職者ともあろう人が、なんて酷いことを仰る。私は現在6歳のお子様なのですよ?」

「中身も6歳児ならば、私もこんな言葉は言いません」



相手が誰か判った以上、上半身を起こして話す必要もなくなった桂嗣は、もぞもぞと布団の中に戻った。

つまりはさっさと出て行け、ということを行動で現した訳なのだが。



「……何で入ってくるんですか」

いつもならばこのまま無駄話を続けるか、桂嗣が遊ぶ気になるまで天井裏で視線を送りつづけるか、

運がよければさっさと出て行ってくれるか……の鬱灯が、今日に限っては何故か桂嗣の布団に入って来た。

現在は子供の身体なので、別に同じ布団でいたとしても狭くはないが、気持ちの良いものではない。

無言でそう語る桂嗣に、全く堪えた様子のない鬱灯が勝手に枕を己の頭の下にひいた。



「実は仕事で、この近くに出没する変質者を捕まえるように言われましてね」

勝手に始まった会話に、枕を取られた桂嗣が仕方なく答える。

「……力を持つ変質者、ですか」

「えぇ。しかも幼児趣味ということで、おとり捜査もどきを始めたんですよ」

ぐりぐりと頭の位置を動かし、枕がフィットする場所を探している鬱灯。本格的に眠ろうとしているようだ。

「毎晩12時頃に現れると聞いたので、先程まで近所をふらついていたのですが全く現れず」

「……暇潰しに、ここに来たという訳ですね」



桂嗣が溜息を付いた。

現在6歳児の格好をしている鬱灯は枕の中央部が一番気に入ったらしく、余った端を両手で握っている。

真面目に此処で寝るつもりらしい。

子供の姿だと、寮に戻ることが大変なのかもしれないが、それなら近場で宿でも取ればいいのに。

文句を言おうとして、6歳児から規則正しい寝息が聞え始めたことに気がつく。

「……明日は来ないで下さいよ」

眠った子供を叩き起こすのは好きではない。桂嗣は更に溜息を付き、仕方なく枕なしで眠ることを決めた。





しかし。





「桂嗣、暇だったので遊びにきました。お礼に添い寝をしてあげましょう」

「私は貴方と違って暇でもなければ、添い寝が必要な年でもありませんので、さっさとお帰えりください」



桂嗣の願いも虚しく、鬱灯は翌晩も桂嗣の部屋を訪れ。

結局この下らない会話は、一週間ほど繰り返されることとなった。
















★後書き★  ということで。希憂様から頂いたリクエストを元にして書いたSSでした。

リクエスト内容は『桂嗣と鬱灯の笑える絡み』だったのですが……はてさて、笑って貰えたでしょうか。

微妙にほのぼの展開で、挙句に毒舌も柔らかくなってしまった気がしないでもないですが。

気に入ってもらえたら嬉しいなぁとか思いつつ。希憂様、リクエストをありがとうございました!  05.3.10 端宮創哉



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