ビルから降りる地下通り。
手前から三軒目。自己主張をあまりしない店。
扉に手を掛ければ、地上ではまず聞くことのない古臭い鈴の音。
そして 又。
線路下の小さなボロアパート。
深夜であっても通過する電車の振動で、室内はガタガタと揺れている。
たとえ昼間でも、太陽の光なんて一切入らないのだろう。かび臭く、湿った空気。
耳を澄ませばカサコソと虫の這いずる音が聞こえそうだ。
『こんな部屋の住人を誘拐して来いなんて、依頼主は何を企んでいるのだか』
頭の端でちらりと考え、はベットの手前で足を止めた。
しかし自分は依頼をこなせば良いだけの存在。下らない疑問を掻き消し、再度足を進める。
ベット脇。住人は静かな寝息をたて、まさか自分が此れからどうなるかなんて一ミリも気づいてはいない様子。
月明かりさえ殆ど入らない室内で、は住人の顔を見ようと目を凝らした。
「……っ」
目を凝らし、視界に捕らえた此の部屋の住人。
あまりに見知った顔があり、は想わず息を呑んだ。
何故、コイツが?
あまり動揺を見せるタイプではないが、全く予想外の人物に驚きは隠せない。
何せベットに眠っていたのは、が足蹴に通っている店のバーテンで。
「何だ、アンタでスか」
背後に気配を感じて振り返ったのと、気配の主が言葉を発したのは同じタイミングだった。
相手が上手なのか、はたまた己が【こんなボロアパートの住人相手だ】と、気を抜いていたからなのか。
どちらにせよ背後を取られるのは屈辱。
薄暗い室内でも妖艶に輝く血色の髪を持つ青年を睨みつけ、は舌打ちをしながら相手の名を呼んだ。
「……櫂音」
「まさか此処で皆さんに会えるとは想いませんでしたね」
何故、お前が此処に?
睨みつけるに、にたりと笑みを返す櫂音。其の横に、もう独りの影が現れた。
誰もいなかったはずの場所に影だけが生まれ、そして輪郭を持つ。
床にまで広がる銀髪。此方も櫂音同様に、不気味に輝いている。
「鬱灯か……」
顔がはっきりと浮かび上がる前に、が溜息を付いた。
まさか又此のメンバーで依頼が被るとは。
頭の端だけで、目の前の邪魔な2人を消すコトも考える。
しかしこんな小さな部屋では住人……、バーテンが気配を感じて目を覚まさないとも限らない。
実際大の男が3人も余計にいて目を覚まさないというのが可笑しい。
勿論余計な3人っていうのが、その道のプロである達だから……ということもあるけれど。
其れでも、やはり危険が大きい。
「……お前達は何を?」
誘拐と言うのは、連れて行く相手の息の根が止まっていても問題はないのだろうか。
一応他の2人の依頼が【住人の殺害】であることを予測し、くだらない事を考える。
確かの依頼は【住人に怪我を負わせないように、誘拐してくること】だったはず。
さて、ではどうしようか。
「俺はバーテンの誘拐。何でも上の関係で、大きな融資がある処から依頼があったンですって」
「私も同じく。……もどうせ其れが目的でしょう? で、相手を知って驚いた……と」
にたりと微笑む鬱灯。まるで見透かされた気がしてイラつく。
実際其の通りであり、言い争う事自体が面倒なので何も言わないけれど。
しかし此のメンバーに誘拐を依頼されるなんて、此のバーテンは一体何者だ?
此の部屋を見る限り、安月給で生計をたてている今時の若造なのだが。
「私も此処で顔を見て驚いたのですけどね。彼、此れでも財務省長官の一人息子なんですよ」
鬱灯と言うヤツは心の中が読めるのかもしれない。
そう思わせるほどのタイミングで鬱灯がペラペラと説明をしてみせた。
挙句に『依頼の写真とは違いすぎる顔付きですけど。5年前までは正装の似合う顔立ちでしたよ』
と中々失礼な発言をして、に一枚の写真を渡す。
其処には5年前のバーテンの姿。確かに痛んだ金髪を無造作に纏めている今の姿とは異なりすぎている。
「何でも4年前に家出したそうですよ。いずれパン屋を開くための修行に出るとかいって」
今よりは数段良い暮らしを捨てた理由は何故か? が考えるより早くに鬱灯が答えをくれた。
なるほど。以前あの店でバーテンが得意げに話していた。
『オーナーが焼いたパンは絶品なんですよ。知っているでしょうけど、お手製のジャムなんかも最高で』
一口食べて虜になり、作り方を教わるついでに仕事も与えて貰っているのだと。
「4年も放っておいて、今更連れ戻すと?」
「そこ等へんは家庭の事情が絡んでいるのでしょう」
あの時の誇らしげな笑顔と、写真に写った虚ろ気な青年の顔。
服装や髪型もそうだが、まるで同一人物には思えない。
今時の若造だと想っていたが、それなりの過去はあったということか。
「ま、仕事は仕事だからな」
胸の奥に下らない感覚が生まれそうで、は己に言い訳するように小さく呟いた。
バーテンの事情が何であれ、コイツを連れて行くことが仕事なのだと。
2人から視線を外し、ベットに眠るバーテンに手を伸ばす。
怪我をさせるなという依頼。バーテンが目覚める前に口と目を覆ってしまえば良い。
元々用意しておいた包帯。巻きつける手前で、眠っているバーテンの口から言葉が漏れた。
「……オリーブパン、美味しくなったんですって……」
眠っているくせに眉間にたっぷりの皺を寄せ、不満げな声を作っている。
夢の中でさえ、オリーブのパンを断られたということか。
想わずの手が止まり、変わりに口の端が上がる。背後の2人からも、小さく噴出す声が聞こえた。
***
小さなビルから降りられる地下通り。手前から3件目。自己主張をあまりしていない店。
地上の店では先ず聞くことのない、古臭い鈴の音を鳴らせて中に入る。
いつも通り、カウンター席には下らない遊びをしている美人が2人。
軽い挨拶だけを交わして座れば、即座に出されるアルコール。カチンとグラスを鳴らせ、先ずは一杯。
そして。
「バーテン。今日はオリーブパンを注文してやるよ」
白いチョークで書かれた今日のお勧めメニューを一読し、がそういった。
昨晩のことなんて全く知らないバーテンが驚きの表情を作る。
そして恐る恐る差し出されたオリーブパンに、3人が視線を合わせて笑った。
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★後書き★
心地良く意味の判らない話が産まれました(汗)
ということで222222HITリク『繰り返し』の続編でゴザイマス。
こんなのでも良いのだろうかと激しく緊張。宜しければ貰ってあげて下さいませ、風羽さん^^;
あ。勿論いつも通りに焼却も可能ですので!!! キリ番リクを有難う御座いました★
そして此処まで読んでくださった方も有難う御座いました!! 2006/09/20 端宮創哉。