日が傾き茜色に空が染まる頃、商店街の外れに程近い場所にある古い幼稚園に幼女の声が響く。


「せんせぇ、さよーなら、みなさん、さよーなら!」


花凛が幼稚園の先生や「お残りさん」の仲間達に、ペコリと頭を下げつつお決まりの挨拶をする。


「花凛ちゃん、あしたね〜」
「ばいばーい!」

「はい、ばいばいでぇす!」


特に仲の良い友達らに教室を出る際に再度別れを告げ、花凛はパタパタとお迎えに来た父・佐助の元へ駆け寄れば、
彼は片膝をコンクリについて大きく手を広げる。


「パパぁ〜!」

「花凛ちゃぁぁん!」


ひし!

腕の中に飛び込んできた娘をしっかと受け止め、佐助はそのまま抱きすくめるが、
周囲には担任の先生もいるし、花凛の友達らもいる。

恥かしいやら鬱陶しいやらこの上ないのだが、家とは違い妻も幸鷹も不在なこの場に於いてはストッパーがおらず・・・・・
二人は互いしか見えない世界で、ハートを飛ばし合う。

言うまでもないが、必ずこの馬鹿親子は毎日の朝夕の送迎時に、こうしてぎゅぅぎゅぅと抱き合っているのである。

朝は別れを惜しみ、夕は再会を喜び、二人は抱き合うのだ。


「うぅ、花凛ちゃん・・・・・9時間半ぶり・・・・・!」

「ぶぃです・・・・・ッ!」


割と多くの子供たちが、入園当初こそ初めて経験する親との長時間の別れに泣いたりもするものだが、
花凛は入園して既に1年をゆうに過ぎていると言うのに、コレである。

だが、登園して父と別れた後の花凛はかなりアッサリとしたもので、
去っていく父の背が見えなくなるまで見送った後は、既に来ている友達とキャッキャと楽しそうに過ごす為、
泣いたりする事は全くないし、むしろ泣いてる子を宥める側だったりする。

つまりは、父親につられている可能性が高い。

勿論、花凛自身も父との別れを悲しみ、再会を喜んでいるのは間違いないのだが、心の触れ幅として大き過ぎるのだ。

花凛には精神感応に近い「同調」と言う特殊な能力がある為、それが発動していると見るのが正しいのだろう。

そんな訳で、ひとしきりの「儀式」を済ませると、ようやく二人は帰路につく。

父と手を繋いだ花凛は、幼稚園の入り口で最後にもう一度だけ先生に手を振り、佐助はペコリと頭を下げ、それから帰る事になる。

基本的には真っ直ぐ帰るだけだが、時にはついでに商店街で買い物をしてからだったりもするし、
ゆっくりのんびりと手を繋いで歩く時間は、二人にとってはストレス解消に必須なものだった。

家では「二人きり」と言う事は殆どないし、二人ともがそれを特に望みはしない為、
父と娘で水入らずと言うのは、実際の所、貴重なのである。

秘密の話、なんてのもここでしているのだ。


「なぁ花凛ちゃん」

「はぁい?」


歩きながら問うた佐助が、常とは違い何だか曇った表情を見せるので、花凛の眉根も自然と寄る。


「どーしましたか?」

「うん・・・・・あのさ、」

「はい」

「さっき一緒にいた男、誰?」

「オトコ?」

「水色のって男でしょ?」


佐助は見たのである。

いつもならば己が迎えに行く頃には帰りの準備をし教室で待っているはずの花凛が、
親の迎えの遅い子達に混じって校庭で遊んでいるのを。

いや、それ自体は構わないのだが、問題は遊んでいる相手だ。

男の子だったのである。

娘が通う幼稚園の園児たちは、皆スモックを着ているのだが、女児は薄いピンクで男児は水色なのだ。

と言うか、男の子を「男」呼ばわりする辺りが、佐助の異常な粘着質ぶりを物語っているような気がするのだが、
そんな父を持って生まれた花凛が気にする事はない。


「花凛ちゃんは女の子のオトモダチが多いはずだよね?」


アンタが超絶にウルサイからだよ、とは、突っ込み不在の為に入らないが、事実そうなのである。

花凛は母親に似た所為なのか、兄妹の上二人が男だからなのか、
はたまた戦国の世に毎日顔を出して、男共に大層愛でられて育ったからなのかは不明だが、男だ女だという点にあまり拘りがない。

花凛にとって、人間とは「男女」ではなく、「好き」か「嫌い」か、だけであり、
「好き」な人がイヤな思いをするのはダメな事、と言う認識を持っている為、
大好きな父がイヤがる「男友達」を作る事を極力避けているのである。

それに対し、母である花波は『小さな子に気を遣わせるな!』と佐助を叱ったけれど、
彼は素知らぬふりをし続けて今に至っていた。


「あの子、仲良いの?」

「ううん、べつになかよくないれすよ?」

「えーでも、一緒に遊んでたよな?」

「あそんでましたけど、べつにおともだちでもないれす」


シビアである。
考えようによっては、非常に冷淡な言葉を花凛は吐いた。

流石、あの
・・
幸鷹を兄に持つだけある。


「あのね、あのこきょーだけおのこりさんなんだっていってて、なかのいーこがいないからこまってたのれすよ」

「で、何で花凛ちゃんが遊んでやんなきゃなんねぇの?」


上から目線過ぎるが、やはり突込みが(以下略)


「花凛だけがおんなじクラスだったのれす。だからせんせーがおねがいねっていうし、
花凛もさいしょのころ、おねーさんとかおおいし、なんかもにょっとしたれすねぇっておもいだして、だからなのれす」

「や、優しいっ!花凛ちゃん、天使過ぎる!流石、花波の娘!」


腕を引くとそのまま小さな身体を抱き上げて、ぷにぷにホッペに頬擦りし、佐助は大層ご満悦だった。

男関係は誤解だったようだし、何よりもまだ4歳の花凛が、己の過去を鑑みて人に優しくしようと思い至った事が、
佐助は嬉しくて堪らない。

それは佐助にない点であり、彼が愛して止まぬ花波にはある点だからだ。


佐助は子供たちの中に「花波」を感じるたびに、嬉しくて堪らなくなる。


自分に似て欲しいと思った事など一度もないし、出来るのならば、3人全員が花波に似ていて欲しい。

花波自身は認めないが、佐助は彼女の全ては「優しいもの」で出来ていると信じている。

こんなに優しい人は他にはいない。

何でも直ぐに疑う性質である佐助だが、それだけは信じて疑った事がない。


何度となく彼女の心を裏切ったし、殴った事もある。

夫婦になってからも、花波は情緒不安定な己を支え、時に心身ともに傷付けられて来た。

殺しかけた事もある。


それでも彼女は微笑んで「大丈夫だよ、佐助」と抱きしめてくれるから・・・・・。
そんな愛情深い人間が他にいる訳がない。


だから―――花波に似る方が良い。

ゆらりゆらり、と色を変えては濁ってしまう己には似ないで欲しい。


我欲に満ちて、手にした何をも失うまいと必死なあまり小さな娘にまで気を遣わせ、
彼女から世界を奪うような事を平気で言うような存在だから、俺に似ては駄目だよ、と、佐助は思う。


「パパ、だいすき〜!」


まるでゴロゴロと咽喉を鳴らして甘える猫のように、花凛は己の頬を佐助に寄せてふにゃふにゃと笑うから。

きっと伝わっているだろうに・・・・・不安を消してくれようとするから、


「俺の方が・・・・・花凛を大好きだよ」


愛しさが、痛みと共に胸を衝く。


こんな時、佐助は必ず花波に会いたくなる。


言葉にならない心の漣(さざなみ)を聞き取って欲しくなる。

己には解らない、この胸の痛みの名と、それ以上に溢れている温かなものの名を教えて欲しい。

そして、あの柔らかな身体全部で、きゅぅっと抱きしめて欲しくなる。


愛しくて堪らなくなるのだ。



「・・・・・ふふ、急いで帰ろっか」

「ん?」

「花波に会いたい」


ふわりと笑んだ父の顔を見て、娘もまた、


「花凛もママにあいたい!」


そう言ってへにゃりと笑んだ。