新入生が入学してきて、高校生活をスタートさせる頃。
そんな時分には、部活をやっている人間たちは
なりふり構わず新入生を引きこもうと勧誘に必死になる
それは理胡たちの所属する吹奏楽部とて例外ではない。
そう、季節はいつのまにか、春になっていた。
………豊臣秀吉とは相変わらず、友好的なようなそうでないような。
竹中半兵衛とも相変わらず、敵愾心むき出しの彼と、トムジェリのようなそうでないような。
それでも、なんとかほかの部員と彼ら二人との橋渡しをして
なんとか上手くやっていた所に、嵐が、来た。
「秀吉様、半兵衛様!」
「やぁ、待っていたよ、三成君」
「良く来た、三成」
「お二人とも………。…勿体ないお言葉です…」
…部室の音楽室に入るなり、目につく所できらっきら繰り広げられている光景に
理胡は思わず目を眇めた。
…なんだありゃ。
いや、なんだありゃと言った所で、秀吉と半兵衛へと
見知らぬ簾頭の青年がキラキラしながら話しかけているだけなのだけれども
そのキラキラ具合が半端じゃないので、なんだありゃ、と思うのだ。
まじキラキラしてる。
例えるならば大好物と大好きなご主人さまがいっぺんに近づいてきて
興奮しきった犬のようなキラキラ具合だ。
…………いい年こいた男に、そんなキラキラされても、なぁ。
人は理解の範疇を超えた出来事が起こると、思考停止をしたがるもので
理胡も多聞に漏れず、考えるのを放棄して、鞄を机に乱暴に放り投げた。
………乱暴に放り投げたので、鞄の金具がこすれて、ガションっという金属音が
室内に響いたのは、計算外だったが。
そのけたたましい音に、三人が一斉にこちらを見た。
それと、ついでに部室内でなんとなく遠巻きに三人を眺めていた他部員もこちらを見る。
「いや、わざとじゃないし。散れ」
視線の煩わしさに、理胡はこっそりつぶやいてみる。
こっそりなのは、三人の内、半兵衛とそれから見知らぬ青年が物凄い目でこちらを睨みつけているからだ。
なんだよ、わざとじゃないんだって。
だけれども、それも言えない。
二人の視線は殺気さえ含んでいるようで、とてもとてもそんな言い訳ができるような状態ではなかった。
「…秀吉様、あの者は」
「三成、あの者こそが、この吹奏楽部を束ねる者よ」
「なんと…長たるは秀吉様以外にはありえません!何故あのような者が…」
「三成君。その気持ちは僕には大変に良く分かる。
彼女は長には相応しくない。
だが、彼女がこの吹奏楽部の長たるもの、部長であることもまた、現実なんだよ」
「………そんな………」
「うん。あんたら、本人が居るのに聞こえる位置でそれ言うと
陰口じゃなくて悪口だからな?」
「聞こえるように言ってるんだよ」
「わざとか、竹中。長に刃向うのならば帰れ」
「ふ…悪いが、僕が従っているのは秀吉だ。君じゃない」
「…くそ、訳の分からん言い逃れしやがって」
「何と口の悪い女だ…」
「いや、ていうか、そもそも君誰よ。新入生…だよね?
入部希望者?」
「この者は石田三成、我が配下の者だ。既に入部手続きは済ませてある」
「あ、そりゃどうも」
秀吉に紹介された理胡は、反射的に頭をぺこっとさげて三成に挨拶するが
彼は理胡のその反応に顔をしかませて、顔を思い切りこちらから背けた。
……うわぁ…あからさまに面倒くさい人間が来たな…。
彼の行動に、なんとなく石田三成の立ち位置が、半兵衛二号であることを直感して
理胡の背を冷や汗がつぅっと伝うのだった。
秀吉信者、一名様ご案内です。
そうして、直感した事柄は正しかったようで、石田三成は明らかな秀吉信仰、理胡敵対の態度をとり。
その態度に影響されて、同時期に入部してきた一年生の何割かは
理胡を引きずり下ろして、秀吉が部長になるのが相応しいという、反理胡派となることとなったのである。
更には彼らのその尻馬に乗り、二年生の中でもそういう反応をする人間が現れる始末。
不幸中の幸いなのは、さすがに三年生で反理胡派になる人間が居なかったことであろうか。
彼らはむしろ、二年一年のその態度に眉をひそめて、中立派の人間まで
部長には今まで通り理胡が相応しいという親理胡派になり。
…………つまり、親理胡派と反理胡派で部の二分化が起きようとしていた。
おまけに、全国大会への切符を手にするための県大会を視野に入れた
練習が始まったことに比例して、練習量は更に加速度的に増え、不満者が続発する始末。
「…練習、厳し過ぎだよなぁ…」
「ゴールデンウィーク休みなしで練習だってよ」
「げぇ………俺さぼろうかあなぁ…」
「さぼったら大会出場無しだぜ?」
「そんなの、ほら、風邪引いたって言っちまえばいいじゃんよ」
部活が終わって片づけの最中、一年生の部員がだるそうに会話しているのを
横耳立てて聞きながら、理胡はまぁ仕方がないと思った。
豊臣秀吉・竹中半兵衛・石田三成の三人が、先ほど声をひそめず話していた内容は
今言った通りゴールデンウィークに休みなしで練習を行うというもので
部長も顧問も通していないから未だ計画の段階ではあるが
話を聞いてしまえば、このような会話がなされるのも仕方無いだろう。
大型連休は、休みたいよねぇ。
ごく普通の感覚に、そりゃそうだと理胡は思って特に咎めることもしなかったが
その後ろ側に居た別の一年生は、違った。
「…………そんな根性無しで大会になんていけるもんか」
「んだと?」
彼はあからさまに顔をゆがめて、さぼりたいと言った一年に向かって、吐き捨てる。
すると言われた方は自分のことを指していると明らかに分かるから、流しもせずに怒りの形相で彼を振り返った。
……まずいな。
さすがに目の前でみすみす喧嘩をさせるわけにはいかない。
理胡は片づけの手を止めて、パンパンと手を叩いて注目を促す。
「喧嘩すんな、部員ども!っていうか、ゴールデンウィーク休みなしで練習は許可できない」
「なんでなんですか、それ。部長が練習面倒くさいからですか?」
よし、良い度胸だ。
根性無し発言をした一年生、梧桐の部長を部長とも思わぬ発言に
心の中では青筋立てて、しかし表面は冷静に、理胡は一年生どもに向かってゆっくりと首を振ってやる。
「いやいや。違う違う。去年のシルバーウィークにそれに近いことをやったら、保護者から苦情が来たから」
「…………あーそういや、きょういっちゃん言ってたなぁ、そんなこと」
「ていうか、高校生にもなって保護者って…」
きょういっちゃん。とは吹奏楽部の影の薄い顧問である。
秀吉と半兵衛に指揮のやりかたを叩きこまれ、いつも演奏の際には皆の前で堂々とタクトを振っているはずなのだ、が!
いかんせん秀吉と半兵衛と、それから今度は三成も加わった三人の印象に押しつぶされ
おそらく一年は顔も覚えられていない者が、幾名か居るはずだ。
…だって去年そうだったもの。
新二年生、旧一年生の一番のつわものは、六月に入るまできょういっちゃんの顔を覚えて無かった。
だから、今年もそう言う人間がいるに違いないと、思考を横道にそらせながら
理胡はやはり不満げな梧桐の顔を見る。
さぼり発言をしていた高橋と富沢は素直に納得しているというに。
「誰に養われてんのさ、あんたら」
だから、思わず素直な発言が飛び出した。
それに三人がぱちくりと目を瞬かせたのに、意味が理解できなかったのか?
と、不要な発言ではあったが打ちきることもできず、理胡は更に言葉を重ねる。
「保護者はパトロン。芸術の道を行くんなら、パトロンにたまには気を遣っときなさいよ。
悪いようにはならないから」
だけれども、何が功を奏すか分からないもので
腰に手を当て呆れた、と言わんばかりの調子で言った理胡の言葉に、梧桐は目を瞬かせながら
毒気を抜かれた顔をする。
高橋と富沢も然り。
「…なんですか、部長。あんた幾つですか」
「ぴちぴちの十七歳」
「………なんか、年誤魔化してません?」
しかもそのまま疑いの眼差しでこちらを見てくるのだから、全く。
若いと単純で良いわぁと、疑われるような思考で思いながら理胡は
「黙れ。なんでこの年から年齢詐称しなくっちゃならないのさ」
「いや、……なぁ?」
「うーん。まぁ、なぁ」
「うわ。調子揃ってるし。あんたらそう言う時ばっかり共謀して。やんなっちゃうわぁ」
「………絶対誤魔化してるよな、これ」
「なー」
「ちょっと、あんたらね」
おばさん臭い発言をする理胡に、口元をひきつらせて笑いをこらえる後輩たちは
すっかりお互いが一触即発だったことも忘れて顔を見合わせて頷きあう。
その様子に内心で胸をほっと撫でおろしながら、理胡は拳を振り上げ
三人をぶつ真似をした。
理胡の動作に、後輩三人はわざと悲鳴を上げながら、怖い怖いと逃げ出して。
…後に残された理胡は、三人が去った方角を見て、目を伏せる。
「…………まずい、なぁ」
声を漏らすと、想像した以上の苦みが胸の内へと広がった。
今の様子を、見ただろう。
予想以上に部員の対立が進行している。
早めに手を打たなければ、部が真っ二つに割れかねない。
そして、割れたならば全国大会を目指すどころじゃなくなるぞ。
何を、豊臣一派は考えているというのか。
音楽室には居ない彼らのことを考えながら理胡は、教卓に近づいて体重を預け
いやだねぇという、疲れたサラリーマンのような呟きを、漏らした。
先ほど、部活を行った時合奏をしたが、その時に理胡は言いようのない不安感を感じたのだ。
楽器は心を映す鏡だ。
心が曇っているのならば、その心を演奏に反映させる。
そうして、今日の合奏は違和感がバリバリしていた。
今回の楽曲はフルートの前奏から始まるが、そこは全員…こういう言い方をするのも嫌だが、反豊臣派だから綺麗に揃った。
だけれども、その後金管が入りーの、木管が入りーのすると、もう駄目だ。
綺麗な演奏なのに、どこかガタガタしているような、そんなアンバランスな演奏になっていた。
特に木管側に豊臣派、金管側に反豊臣派が多いのか、それぞれが休んでいる時にはまだ良いのだけれども
この二つが同時に演奏するような箇所は、……ガシャーンビシャーンドーンガーン…みたいな。
そんな、感じ。
こればっかりは感覚だから、他人に上手く説明できる気がしないが
例えるなら、水と油を混ぜたような、そんな感じで
心が割れているのが、演奏に思い切り出ていた。
これは、良くない。
例え練習をこれから物凄くして、見た目の技術がいくら向上し
傍目には上手くなったように思われても
耳のある人には、鋭い人にはそんなのすぐに分かってしまう。
だから、全国大会、いや、県大会までには何とかしないと。
思えば思うほど、理胡は唇を、噛みしめる。
吹奏楽が好きだから、上手くなれたら嬉しい。
そのために努力したい。
それだけしか気持ちを持たなければ、きっと合わさるのに
どうして、人と人が組み合わさるとこんなにも複雑になるのだろう。
なんとかしないと、なんとか。
思うけれども、理胡にはなんとか出来る算段が全く出来ず
ひたすらに、暴風が吹き荒れる予感がした。