昼休みに注意をして以来、豊臣秀吉はなんとなく理胡に好意的だ。
いや、そもそもが部長就任以来、理胡の意見には耳を貸してくれていたから
……………………やっぱり、猿にはボスという肩書が有効、ということか…。
理胡は、裏でゴリラとあだ名されている
背が高くてがっちり体系で、おまけにサル顔の後輩を思い浮かべながら
あんまりなことを思った。
彼女は時々、物凄く失礼な生き物である。
ただ、救いは本人の前では全くそのような考えを悟らせないことであろうか。
悟らせたら人間としておしまいだろうというのは、言いっこなしだ。
それはともかくとして、豊臣秀吉は、良い。
理胡が潤滑剤の役割を期待され、部長職に就いたのも何となく理解しているようだし
彼は理胡の仕事の邪魔にはならない。
問題は残る一名。
今まで豊臣秀吉の片腕となって、弱小の吹奏楽部を共に立て直してきた竹中半兵衛の方である。
彼に関しては、未だツンの状態で、デレが来そうな気配など欠片もなく
部活の度に嫌味を言ってはツンっとして立ち去って行くばかりだ。
………あれもなぁ。正直面倒なんだよなぁ…。
一応、先輩として敬っているのか、ある程度のラインは超えてこないが
それでも常にツン状態だと、正直鬱陶しく感じる。
いい加減でれるような出来事起こんないかなぁ…
新入生が入ってくる四月までにはなんとかしたいよなぁ。
そう考えながら、理胡が部活に出んと、音楽室の扉を開けると
―――――パンパンパンパンパン!
目の前で、激しく音が鳴り響いた。
おまけに直近で舞う白い粉塵に、理胡は目を瞬かせ、後ろへと飛び退く。
「な、な、な、なになになに?!」
「ふ…予想通りだよ、理胡君。こうしていれば、君は永遠に部室内に入れまい!」
慌てふためきながら粉塵を見つめる理胡。
そしてその粉じんの向こうから聞こえてきた声は
竹中半兵衛のものであった。
…うん、ある意味予想通りだ。
半眼になりつつも、理胡は警戒姿勢を緩めずに次第に晴れてきた粉塵の向こうを見つめる。
そして、そこに立っていたのは…
「…うん、あのさ、竹中。
なにも自分がチョークの粉まみれになるような手段とらなくてもいいんじゃね?」
黒板消しを両手にはめて、黒の学ランを白ランに変えている竹中半兵衛のその姿に
頭痛を覚えて理胡はかくんと項垂れた。
…お前、いくつだよ。
もうじき高校二年生になるのだから、十六才だろう。
おまけに彼はこうでも学年主席だったはずである。
…学年主席の十六歳が、黒板消しを両手にはめて、それを叩いて嫌がらせとか…!
あんまりの事態に、理胡の心は折れる寸前だ。
だけれども、このままスル―すると、余りに半兵衛が痛々しいので
一応、たしなめながらも突っ込んでみる。
「…学ランとか、真っ白じゃん。帰ってからお母さんに怒られたりしないの?
もうちょっとこう…後先考えて、だね」
「何を言っているんだ、理胡君。僕の犠牲など構うものか!
君が部長の座を秀吉に譲り渡す。その目的のために
僕は行動しているというのに我が身の犠牲を恐れ
目的を達成できないなど、恥でしかない」
「あぁ、うん。…あぁ、うん…?」
「さぁ、理胡君!音楽室に入りたければ言いたまえ!
一言、秀吉に部長の座を譲り渡すと」
「………あぁ、うん。じゃ、豊臣に部長の座をあげる」
なんかもう、本当面倒くさくって。
投げやりに今の言葉を言った心境を問われれば、理胡はこう言うだろう。
まじ、竹中半兵衛面倒くせぇ。
テンションの高さと、行動の幼稚さのギャップについていけず
半眼で言葉を投げた理胡に、半兵衛も無言になり。
………沈黙が、落ちた。
その沈黙はしばらく続いたが、やがて半兵衛が戸惑ったような表情をして、首を傾ける。
「…僕が言うのもなんだが、理胡君、そんなにあっさり部長の座を明け渡していいものなのかい?」
「駄目だろうけどいいんじゃね?」
そうして、それに対してやはり適当に理胡が言葉を投げつけると
目の前の彼は眉間にしわをぐっと寄せる。
「その物言い…………君という人間は、どこまで無責任なんだ…。
秀吉のことがなくても部長には到底相応しくない」
「それはいいから、通してよ。言ったら通してくれるんでしょ?」
何事か言っている彼の言葉を遮り、理胡がそこを通せと
指先でドアを示すと、半兵衛は少しためらった後、半身をずらして
こちらが通る隙間を作った。
「………良いだろう。通りたまえ」
「どもー」
礼を言いながら通り過ぎ、無事、音楽室に入った所で
理胡はくるりと入口を振り向いた。
そこには変わらずチョークの粉で真っ白な半兵衛がいて
理胡は思わず口元が歪むのを感じた。
…ちょろすぎる。
その理胡の表情に、思う所があったのか、彼が不審げに眉をひそめたのを視認してから
理胡は髪をかきあげ挑発的な表情をして、口を開く。
「ところでさ」
そして、小首を傾げて。
「…何かな」
頬に人差し指をぴっとりつけて。
「紙面でない口約束には、拘束力ないよねー」
物凄いぶりっ子の声を作って言ってやると、面白いぐらい半兵衛の表情が一変した。
うーん…愉快だ。
「君という人間は!」
怒髪天を衝いたという様子で可愛くない後輩が怒鳴るのを
理胡はすっきりとした心で眺めた。
毎日毎日嫌なこと言われてりゃ、こっちもストレスたまるんだって。
例えて言うならトムジェリ的な関係になってきている自分たちに
多少の愉快さと面倒くささを感じつつ
理胡は真っ白に染まっている半兵衛の学ランに視線をやり
「ということで、部長命令でそのチョークの粉はたき落としてきなさい」
「………今に見ていろ」
「…わぁお」
理胡の命令に、捨て台詞を吐いて去って行った半兵衛はまんま悪役である。
愉快すぎる、あの後輩。
部長になるまでは、半ば尊敬の視線で見つめていたというに
(部を立て直した二人を、本当に理胡は凄いと思っていたもので。いや、今も思っているけれども)
人間、関係は変われば変わるものだなぁ。
…理胡的には、こういう変化は求めていなかったのだけれども。
前の、理知的な竹中半兵衛の方が、世間的なイメージは良かったんじゃないかなぁ…。
いや、今のも今ので面白いんだけど…ちょっと面倒くさいよね。
少なくとも、あれを彼氏には絶対したくない。
人間として大切な何かを思いっきり放り投げている半兵衛の様子に
理胡は眉間に手を当てて、ふぅと息を吐いた。
すると、そのタイミングで横から声がかかる。
「半兵衛をああも見事にあしらうとは。大した女よ」
声が掛けられた方に理胡が目をやると、そちらには豊臣秀吉がいた。
彼は、教室の隅に置かれた椅子に座り
トライアングルを叩く棒に結わえつけられた紐を結び直しながらこちらを見ている。
目をやった時に、音楽室の中をざっと確認してみたが
彼以外にはまだ人は来ていないようだ。
まぁ、まだ時間早いからなぁ。
教室の時計に目をやるが、授業が終了してから十五分もたっていない。
おそらく他クラスはまだホームルーム中か何かだろう。
他の部員が来るのは、あと五分ぐらいはかかるかな。
考えながら、理胡は秀吉の傍に近寄って隣に腰かけ文句をつける。
「うん、いいから。見てないで助けろ、後輩兼副部長。
今の竹中がばしばし黒板消しを叩く所から見てたでしょ、あんた」
「その言葉遣いさえ無くば、我から見て文句のつけどころがないのだがな」
「うるさい、黙れ。言葉遣いは個人の個性を表している。
お前に強制される言われはない。それより助けろよ」
だけれども、帰ってきたのは見当外れのお説教で
理胡は思わず秀吉の肩を小突く。
そんなのお前に言われるこっちゃない。
あんたは私の母親かなんかか。
だけれども、見当違いのお説教を寄こしたくせに
可愛くない後輩代表豊臣秀吉は、さも嘆かわしいと言いたげに呆れ交じりの視線を寄こす。
「その言葉遣いでは、品性が疑われると言っているのだ。
知性と容姿と性格に見合った言葉遣いに直すが良い」
「いや、助けろって」
「言葉遣いを、直すが良い」
意地でも、直してもらいたいらしい。
秀吉が一歩も引かぬのに、理胡は頬をひきつらせたが
面倒くさくなったので、両手を上げて降参を示す。
「…………分かった、善処するから。言うことを聞いてください、プリーズ。
ああいう時には助けてくれませんか、後輩」
「なんとかしたではないか」
「めんどいんだって、助けてよ、ねぇねぇ。
かーわいい先輩の頼みでしょ、ね?」
見ていた譜面を手で押しのけて、しなだれかかるように
彼の体に体重を預けて、かわいこぶりっこしてみると
秀吉の視線がこちらに向いた。
そしてそのまま彼は、嘆かわしげに首を振る。
「はしたない」
心の底からそう思っているような、あきれ果てた声。
だけれども、首が赤く染まっていることを目ざとく見てとって理胡は
―…猿が赤くなるのは尻だよなぁ、と実に失礼なことを思いつつ
秀吉の方にますます体重を預けるのだった。
…いや、反応が面白かったからね、つい。
他意はないよ、他意は。