場面は冒頭へと戻る。
と、まぁ。このような感じで、この一年、割と理胡は苦労していた。
なので、県大会優勝を成し遂げ、全国大会・普門館にこの間行けたことを
凄いねー楽しかったねーと、手放しに喜ぶこともできなかった。
そういうことだ。
そうして理胡は去年前部長に呼び出されたのと同じように
お昼休み、誰もいない音楽室に豊臣秀吉を呼び出して、彼に向かって、こう言う。
「喜びなよ、豊臣。当たり前だけれども君を部長に選ぼうと思の」
「そうか」
「…喜べって言ったんだから、喜びなさいよ」
いちゃもんに等しい理胡の言葉に、秀吉は怒りもせずにただ肩をすくめる。
「当たり前のことを言われた所で喜ぶことなど出来ぬ。
我が手放しで喜ぶとすれば、普門館で勝利を飾ったときよ」
「…わぁお…ハードルたっかい…」
「三年もかかるとは予想外であったがな」
「…来年の勝利が確定してるような言い方しやがったよこいつ…
しかも、超弱小の状態から三年もかかったですって?
他の高校の人間に殴られるわよ、あんた」
「それがどうした。弱者に強者を阻むことなど出来ぬ」
「はいはい。はいはい。あんたのそのセリフは実力に裏付けされてる分性質悪いわぁ。
つぅか、あんたさぁ」
「なんだ」
「…これから、大丈夫?」
心配になって問いかけてはみたものの、彼には何の事だか分らなかったらしい。
眉を寄せてこちらを見てくる秀吉の表情にそれを知り
理胡は仕方なく、説明を付け加える。
「潤滑剤がいなくて大丈夫かって聞いてるの」
自分が部から引退することで、一番心配なのはそこだった。
秀吉も、半兵衛も、あとちょっとだけ三成も、夏の一件以来
僅かに態度を軟化させてはいるけれど、相変わらずワンマン気味である。
だから、また同じようなことになるのではないかと
一年潤滑剤をやってきた理胡としては、心配でならない。
もっというと、再来年、三成の代になった時がもっと不安であるけれども。
そして、その不安は秀吉も持っていたらしく、彼はいつもの即答はせず
躊躇いと沈黙を、こちらに見せた。
「…どうにかはなるだろう」
「あぁ、その物言いはは、ちょっと不安という所だね」
笑いながら指摘する。
このいつも自信満々の後輩でも、不安になることがあるのだと思うと
面白くて仕方無かった。
それが表情に出ていたのか、それとも不安を見抜かれた恥ずかしさからか
秀吉はむっとした表情をしてこちらを睨みつけてくる。
「五月蠅い。どうにか出来ぬ我と半兵衛と三成では無いわ」
「なるほど。夏の二の舞は繰り返さない、と。…………んでも」
「なんだ」
躊躇いがちに言葉を切った理胡に、秀吉が続きを促す。
その彼の表情が、他の人間に相対している時よりも穏やかなのに
どこか安堵をおぼえながら
「んでも、相談に乗ってあげなくもないよ」
「…………三月を過ぎれば、卒業するだろう」
「いや、携帯とかで連絡取ればいいじゃん。アドレス、教えてあげるよ」
「……………」
「……………」
さらっと言ったつもりだったのに、何故か沈黙が落ちた。
え、なんで?
戸惑いながら理胡は秀吉の顔を見るが、彼の表情は迷いが見て取れる。
……何を迷うことがあるのだろう。
えー?と思いつつ、理胡は一生懸命迷いを覚える原因を考えてみるが
思い当らない。
普段の反応を鑑みるに、彼はこちらを嫌ってはいないと思う。
だから、嫌いすぎてアドレスを受け取りたくもないのも無い。
必要無いから受け取らない。というのならば、別にこいつの場合すぱんと言い切るだろう。
じゃあ、なに?
はてな?と首を傾げて相手を見上げると、秀吉は理胡のその表情に言葉を詰まらせ
それから更に長い長い沈黙の末、言葉を苦々しげに、吐きだす。
「……………携帯電話が無い」
そして理胡の方は秀吉のその答えにかくんとコケる。
それだけ引っ張っておいてそんなオチかよ。
今どき携帯を持ってないのはさすがに思いつかなかったが、豊臣秀吉ならば、あるだろう。
こいつはそんな男だ。
というか、考えてみれば持ってた方が、案外意外かもしれないが。
「何だそのオチ。ていうか、あんたの名簿に載ってた番号ってじゃあ一体…
確か、吹奏楽部の連絡名簿に、あんた携帯の番号載せてたよね?」
思い出した事柄は、今言っている事実と結びつかない。
まさか母親か父親の携帯電話を書いて載せたんじゃなかろうな。
疑いの眼で見る理胡に、秀吉はまたも躊躇った様子を見せたが
彼女が答えるまで許さないと言った態度を見せると、不承不承、口を割る。
「あれは半兵衛のものだ」
そして、秀吉の答えに理胡は瞬時に突っ込みを入れた。
入れざるを得なかった。なんでそいつの名前が出てきた。
「何で竹中!!父親と母親ですら無かった!!」
「……………家が隣同士だから、窓を開ければ伝えてもらえる」
答えたくない。
だが、答えないと更に分からん誤解を生む予感がする。
そんな二律背反に悩まされた結果、やはり物凄く躊躇った末に
嫌嫌なことが丸わかりの声で言った秀吉の答えに、理胡は一瞬あっけにとられたが
シチュエーションを想像して、ぶはっと吹き出した。
窓を開ければ話ができる隣家の幼馴染。
気が合っていつも一緒なの。
完璧すぎる!完璧な八十年代少女漫画の世界だ!!
しかもそれがむくけき秀吉と、麗しい半兵衛の組み合わせで
やられてるというのだから、笑いが止まらん。
「ぶっあははははっはははははは!!あ、あんたらどっちか女なら完璧だったのに」
「そういう反応をすると予測していたから、言うのが嫌だったのだ!」
叫ぶ秀吉は本当に嫌そうで、少なくとも彼にその気は無いらしい。
ちょっと目がうるうるしかけている秀吉の表情が殊更おかしく
笑いが治まらない理胡は、仕舞には教卓まで叩いて笑い続けた。
「あはははははは!普通こうでしょ!じゃあ、どうしようかな。
アドレスだけ教えておくから家の電話で電話してくると良いよ」
「いや、良い。携帯電話を今度の休みに買いに行こう」
そうして、笑いながらも携帯電話を持っていない後輩のために
妥協案を示すと、彼は諦めた表情で理胡の笑いを眺めながら、首を振る。
「あぁ、そう。いや、そこまでしなくっても」
「どうせ持とうと思っておった。良いきっかけだ」
「あっそー」
まぁ、それならば良い。
確かに今どき携帯電話をもっていなくては、不便で仕方あるまい。
うんうんと理胡は頷き、秀吉はその理胡の様子をじっと見て
それから、珍しく躊躇いがちに
「………が、我は詳しくないからな。誰か、詳しい者が欲しい」
その言葉に、理胡は笑いをおさめた。
………これは、ひょっとして遠回しに誘われているのだろうか。
いや、だろうかというか、そうに違いない。
そうに違いないけど、素直についてきて欲しいって頼めばいいのに。
ちょっとだけ呆れて、けれどもついてきて欲しいと頼む秀吉は秀吉らしく無い気もして
仕方ないと理胡は微かに笑いを浮かべた。
うん、仕方ない。
「ついていきましょうか、後輩さん」
「あぁ」
だから、理胡は小首を傾げて秀吉に問いかけ
秀吉は理胡のその恩着せがましい口調に苦笑を浮かべながら、頷いた。
そこで、ちょうどチャイムの音がする。
穏やかな空気に割って入る予鈴の間の抜けた音を、ほんの少し邪魔だと理胡は思ったが
秀吉が「詳しいことは部活の後に話す」と言って教室の方に帰っていくのに
慌ててその背を追って、そしてふと悪戯心を芽生えさせる。
そして彼女は秀吉の後ろについていきつつ、彼が音楽室の扉に手を掛けたのを見計らって
「あ、ねぇねぇ、これってデート?」
ゴンっと重たい音がした。
見事彼女の悪戯に引っかかって、秀吉が思い切り頭をぶつけた音だ。
扉についているガラスがびりびりと震え、扉が割れてしまうのではないかというぐらい
動揺して強く頭をぶつけた彼に、理胡はぶはっと再度吹き出して
可愛くない後輩の可愛い行動に笑い転げるのだった。
季節は秋。
空が高い、理胡が部長職を引き継いでから丁度一年の節目を迎えた日のことであった。