「それと、どうしても聞かないようなら、色々と手はあるだろう」
半兵衛が、更に言葉を追加する。
くっと口の端を上げ、言う彼の表情は悪い。
その表情に彼が何を行うつもりなのか、理解して理胡はかっと頭に血が上るのが自分でも分かった。
今よりにもよって、こいつ、部活の仲間に脅しを掛けると言ったか。
黒い手段を使うと仄めかしたか。
あぁ、うん。そりゃあ、ね?この人たちにとってはボイコットしたような人間たちは許し難く理解しがたい人種なのでしょうよ。
私だって、分からないからね。
言えば良いじゃんって思うよ。別に豊臣も竹中も、自分が悪いって思えば、理由があれば聞くからさ。
ゴールデンウィークだって、『保護者から去年苦情入ってんだから無理でしょ』って言ったら
『そうであったな、修正しよう』って、ふっつーに修正入れてくれたもの。
だから、あの人たちも普通に言や良かったのよ。
宿題をする時間も考慮して欲しいから、その辺りを含めて盆は休みにしてくれとか
モチベーションがあるからとか、保護者からまた苦情入ると思うよとか。
理由をつけて言えば、豊臣竹中、ついでに石田も何にも言やしないのに。
だのに、それをしなかったのが、悪い。
藤井の件に関しても、本人を差し置いて、外野がぎゃあぎゃあ騒ぐようなもんでもない。
それは分かる。
あまつさえそれをボイコットなんて他人に迷惑を掛ける幼稚な手段で表した。
それは、こいつらにとっては一番許せないことだろう。謝りたくもないだろう。頭を下げたくもないだろう。
分かる。分かるよ。
だけれども、でも、だからって、やっちゃいけないことってあんだろうがよ!
目を見開き、唇を戦慄かせて怒りをあらわにした理胡に
半兵衛が「そう怒るものではないと思うけど」と口にしたのが更に癇に障った。
無理だった。
許せなかった。
だから、堪忍袋の緒がプチっと切れたのを黙認し
理胡はすぅっと息を吸って
「ざっけてんじゃねぇぞこらぁあああ!!」
怒りの叫びと共に繰り出したアッパーパンチは、見事に半兵衛の顎に決まり
ダッパーーーーンと、良い音を立てて、竹中半兵衛は水中に沈んだ。
半兵衛様?!!という驚きの声を上げた三成も、理胡はついでに蹴り飛ばして、半兵衛と同じ道をたどらせてやる。
好いている人間と同じ道を辿れたのだ。
幸せだろう。
感謝しやがれ。
半兵衛、三成のいずれかが沈んだ時に、ピピっと頬に散った水滴を拭いながら理胡が座った目で秀吉に視線を移すと
彼は呆気にとられた表情をして、こちらを見ていた。
見てんじゃねぇ。
完璧に柄の悪いあんちゃんの思考で思う理胡は、ついでにこいつも落しておこうと
秀吉の方に一歩足を踏み出そうとして
「何をするんだ、君は!」
「貴様………!!」
水面に浮きあがってきた後輩二匹の声に、そちらに視線を向ける。
…おかしいなぁ。
水の中に叩きこんだら、少しは頭冷えるかと思ったのに。
無表情、据わった瞳をして理胡はことんと、目の前の二人の様子に思う。
おかしいなぁ。
「大体が、言葉で言わず暴力にいきなり訴えるとは。
これだから君は嫌なんだ。もう少し知性を身につけたまえよ」
…おかしいなぁ。
プールに叩き落とされた半兵衛が、こちらに向かい抗議の声を上げる。
その内容は全く正しいが、理胡としてはその言葉、おかしいなぁ以外に思う所は無かった。
頭全く冷えてねぇし、反省してやがらねぇよこいつ。
なので、彼女はその感情のまま、上履きを脱いで彼に向かって投げつけ、怒鳴りを上げる。
「何をするんだ、君は!!」
「じゃっかあしいわ、クソガキ!お前が言うな!
さっきから、いやずっと前から、人の感情を無視って話してんじゃねぇよ、この馬鹿が。
人と人が関わりあう以上摩擦が起きんのは当然だけど、目的のために人を切り捨ててんじゃねぇ!
藤井の件にしてもそうだわよ。あんたらがそうやってきちんと説明してりゃ
余計な問題起きなかったんでしょうが!
人に説明をしろっ!何でもくみ取ってもらえると思うな!
人間はそんなテレパシーめいたものは使えねぇんだ!
人が自分とおんなじだけ頭いいと思うなよ!
あんたらみたいに大人じゃないのがいっぱいいるのよ、高校生なんだから。
そしてそういう状態で良く、さっきの言葉で言わずにってセリフが言えたな、あんた。
あんたたちこそ、言葉で考えを示すべきだ!」
怒りを隠しもせずに、叫ぶ理胡の言葉に、半兵衛が僅かに目を見開いた。
そして、秀吉も。
だけれども、理胡は怒っているからそれを見もせずに、感情のままに叫びを続ける。
怒っている。怒っているのだ理胡は。
「大体が大体、脅して戻ってこさせるぅ?そんなんで心が合わせた演奏ができると思ってんのか!
吹奏楽舐めてんじゃねぇ!音に心は現れるの!
そんな訳分かんないことして、技術だけ磨いても、心のある演奏は出来ないの!
そこをクリアしない限り、絶対絶対!全国大会なんて夢のまた夢なんだから!
吹奏楽が好きなら、愛してるなら、そんな意味分かんないこと思わないで!!」
吹奏楽が好きだから、怒っている。
フルートを吹いて、上手に演奏できるのに、わくわくする。
合奏して、心が重なり合っていると思える瞬間が、楽しい。
なのに、脅すなんてことして、そんな状態で皆が楽しいわけがない。
それは、しないで。
懇願する調子が混じる理胡の声は、怒っているのに物悲しく
敬愛する二人への態度、耐えきれぬと怒鳴りを上げようとしていた三成が
彼女のその声音に言葉をおさめた。
好きだからお願い汚さないでと、願う人の言葉は胸を突く。
プールの中、水がじわじわと制服にしみ込んで行くのを気にもできず
プールサイドで叫んだ理胡を見上げる半兵衛と三成と
それから同じくプールサイド、理胡の目の前で彼女を見下ろす秀吉。
そんな彼らに見られながら、大声で叫んだせいで息の切れた理胡は
もう一度、息を吸って。
秀吉の横っ面を拳で殴り飛ばした。
えー…よりにもよってこの流れで?
今、綺麗に収まりかけてたん違うの。
誰か第三者がいれば突っ込んでくれたことかと思うが、この場には当事者しか居らず
理胡のその無礼に、一旦冷静さを取り戻していた三成はいきり立ちかけ
半兵衛が呆然としつつもそれをおさめ。
そして殴られた当の秀吉は、呆気にとられた表情をして殴った理胡を見た。
もう呆気。
それが一番相応しい。
怒りを覚えた女は何をするか分からんと思いつつ、殴り返すことも出来るわけもなく
どうしたものかと密かに困る秀吉を余所に、秀吉の前の吹奏楽部部長は吹奏楽への愛ゆえに
再び怒りを再燃させて、彼の胸ぐらをひっつかんだ。
「大体ね、豊臣、あんた。
前になんでこの部を強くしてるのかって聞いた時、約束したって答えたけどさ。
豊臣が誰と約束したのかは知んないけど、約束のために部員をぐしゃぐしゃにすんな!
その人だってここまでやれとは言ってないでしょ。怒ってないわけ、今の現状見て!」
いつか聞いた言葉を思い出して、理由も大事だけど、今目の前にあるものも大事にしろと
感情を叩きつけた彼女は、それでも、怒りは叫ぶことで大分発散されたのだろう。
「怒れるわけが無かろう」
秀吉が、その言葉を言いながらちくりと痛んだ顔をしたのに、気がついて。
「はぁ?!」
「ねねは既に死んでいる。死んでいる者が、怒るわけがない」
「……は?」
プールを背にした彼が、じくじくと痛んだ傷を抱えているのを、きちんとくみ取って
それから、呆然とする。
死んだ?誰が。
秀吉が、吹奏楽で全国大会に行くと約束した人が。
あれ、じゃあ、今ちょっと、痛い所を知らずに突いちゃった?
だけれども、後悔がわきあがる暇はなかった。
呆然としたのが悪かったのだ。
あと、半兵衛と三成をプールにたたき落としたのも悪かった。
理胡は今の明かされたことへの衝撃に、一歩秀吉の方に足を踏み出し
そして、その足元にはプールにたたき落とした時に跳ねた水で水たまりができていた。
更に更に、理胡は呆然としていて足元がおろそかになっており。
「え、わ、あ、ちょ、あ!」
「あ」
「え」
「お」
結果、彼女は足を滑らせ、プールの中へとこけ落ちた。
「い、ああああああああああ?!」
「!?」
ついでに、胸ぐらをつかんでいた手を離さなかったせいで、秀吉までバランスを崩してまっさかさま。
どっぱあああああああん!!と、半兵衛が落ちた時よりもなお派手な音を立て
水柱まで上がらせ、彼と彼女は仲良くプールの中に叩き落ちたのであった。
ごふっと息が詰まる。
変な体勢でプールの中に落ちたから、鼻に水が入ったらしい。痛い。
そのせいで口を思い切り開けてしまって、空気が外に逃げていってしまった。
あ、やばい。
反射的に理胡は思って、て足を無暗にばたつかせかけたがその前に
大きな手が理胡の首をひっつかんで、彼女を無理やり水上へと持ち上げた。
「ぷはっ!」
「…………無茶をするものだ」
上から降ってきた声にそちらの方を向くと、どうやら持ち上げてくれたのは豊臣秀吉であったらしい。
彼は猫の首をもつような感じで、理胡の首をひっつかんでいた。
「あー豊臣かぁ、ありがと。あとごめん」
「良い。頭が冷えた」
色々な意味で謝罪をする理胡に、さして気にした様子もなく秀吉が頷いて
理胡の首を離す。
すると、理胡はどっぱんと水音を立てて、水中にと落された。
冷たい水が顔にかかって、わっと声を上げた所でスカートがくんっと引かれる感触がする。
「持ちたまえよ」
「あぁ、ごめんごめん」
呆れた調子で、半兵衛が注意をしてきた。
どうやら水中に戻されたせいでスカートがふよふよと浮遊して、パンツが見えかけていたらしい。
割と紳士なのか、それとも興味が無いだけなのか。
半兵衛を見ながら理胡はどうでも良いことを考えて、それからふと気がつく。
あれ、今の声音、いつもなら混じっている毒も敵意もなくなかったか?
だけれども、それを理胡が考え切る前に、秀吉を殴るわ水中にたたき落とすわの悪行を行った理胡に
頭に血を上らせた三成が、彼女の胸ぐらをひっつかむ。
「貴様!よくも秀吉様に!!」
「良い、三成」
が、秀吉が制止の声をかけたことで、石田三成は理胡に怒りをぶつけることも出来ず
緩やかに彼女の胸ぐらをつかんだ手を離した。
「秀吉様、しかし……」
「人が自分と同じだけ頭が良いと思うな、か」
ぽつりと、秀吉が言葉を漏らす。
その様はまるで、その言葉を自身の胸に沁みわたらせているようだった。
そうして、彼はしばし沈黙していたが、やがて、穏やかな顔をして頷いた。
「なるほど。道理だ。そして、我の目的のためには
レベルの低い者どもに対応を合わせる必要がある。…半兵衛」
「分かっているよ、秀吉。三成君、怒りを鎮めたまえ。
この場合においては、どうやら彼女の方に道理があるようだ。
何かを好きならば、手段は選ばないといけない。
やり方として、僕らの取った手法は効率が良くなかったようだよ」
「………そのような」
どうやら、理胡の怒りは彼らの何かを動かしたらしい。
頑なだった意見を変えた様子の二人は、お互いに通じ合うと、三成を揃って見た。
すると、二人に対して忠犬のような彼は半兵衛の効率が良くなかった、が気にかかるらしく
気遣わしげな顔をして、首を横に振る。
その様に、半兵衛が微笑ましげな顔をした。
「慰めは要らないよ。だが、ありがとう」
「いえ」
そして、三成も、半兵衛の感謝の言葉に面映ゆげな表情を浮かべる。
…だから、これを他の人間にもやればいいってのに。
思いながら、理胡が秀吉をなんとなく見上げると、彼はその視線に気がついたようで
理胡の方に顔を向け。
それから、分かっていると言いたげに、彼女に向かって首肯してみせた。