BSR高校。
そこには潰れかけた弱小の吹奏楽部があった。
部員は三十五名。
ただし幽霊部員が多くなだけ在籍しているような者が半数で
合奏のための編成を組むにも一苦労するような、そんな弱小部…だった。
つい二年前までは。
そう、二年前、二人の男が入部してきたことによって
弱小吹奏楽部は生まれ変わることとなったのだ。
男たちの名は、豊臣秀吉と竹中半兵衛といった。
彼らは入部するや否や、合奏すらもままならない吹奏楽部に部員を集め
独自の練習メニューを組み、見る見る間に弱小だった部を
一年で見事、県大会準優勝を飾るような強豪へと押し上げた。
だが、彼らは満足しなかった。
四月、秀吉と半兵衛を追いBSR高校へと入学してきた石田三成を加え
二年目には県大会優勝を成し遂げ、全国大会・普門館へと部員達を導いた。
だが、全国の壁は厚かった。
BSR高校は入賞をすることができず、三年目の今年こそは!と
秀吉・半兵衛・三成の三名が先頭を走り、全国優勝を掴み取らんと
部員たちを引っ張って、日々研鑽を重ねている。


………こう書くと、どこの漫画だと言われそうな話であるが
全て理胡の高校で起こった本当の話だ。
というか、理胡は吹奏楽部の元部長であるので
目の前でミラクルを見てきたため、信じられないけれども本当ですと
胸を張って言うことができる。
うん、信じられないけれども。
理胡がBSR高校に入学して、吹奏楽部に入部したとき、前述の通り
吹奏楽部は本当に、弱小だった。
むしろ部として機能して無かったと言っても良い。
まず、顧問に吹奏楽の経験がなかった。
音楽の先生に「子供が小さいから&介護があって」などの理由で顧問に就いてもらえず
何ら関係ない科学の先生が顧問で、あまつさえ彼は楽譜を読めもしなかった。
その上更に、音楽室は軽音楽部が部室として使うということで
放課後も早朝も立ち入らせてもらえもせず、運動場で楽器を吹く日々。
これで上手くなれるはずがない。
だがしかしところがどっこい。
理胡から遅れること一年。
秀吉と半兵衛が入部してきて状況は一変。
彼らはどういう手段を使ったのかは知らないが、軽音楽部から音楽室を譲り受け
練習場を吹奏楽部に与え、顧問に楽譜の読み方、タクトの振り方を叩きこんで
弱小部を強豪へと変貌させたのだった。
まさにミラクル。魔法を使ったとしか思えないような展開であるけれども
理胡は渦中にあった頃、それを手放しで喜ぶことはできなかった。
どうしてかって?それを今、お話しよう。







「私が部長、ですか?」
「そうだ、君が部長だ」
さかのぼること一年前。
秋、大会に出場するなど夢にも思っていなかった所から
県大会準優勝を成し遂げた興奮冷めやらぬ中、当時の吹奏楽部部長に呼び出された理胡
話された内容にぽっかりと口を開けた。
そして、音楽室の中央に置かれた教卓に行儀悪く腰かけ
口を開けた間抜け面を披露し続けている彼女を見やった部長の方は
その反応が予想外だったようで、困った表情で首を傾げる。
「…そんなに意外かな?」
「いや、意外も何も…。私は、二年生をとばかして
豊臣が部長、竹中が副部長に収まるものだと思っていましたから」
理胡は驚きさめやらぬ中で、辛うじて答えた。
春に入部してきて様々な革新をなし得た二人を、トップに据えないはずがないと理胡は考えていたから
正直この人事には戸惑いしか覚えない。
だって、普通そうだろう。
弱小部を県大会準優勝まで押し上げた功労者がトップにならないでどうするというのか。
だが部長には部長の意見があるようで、彼は理胡の意見を聞いた後
ふるりと左右に首を振った。
「豊臣が部長、竹中が副部長かぁ。うんにゃ、それも考えた、が。
それにゃ問題がいくつかあるのだよ」
肩をすくめて嘆息をする部長は頭が痛そうだ、が。
彼はその続きを一向に話そうとしない。
もしや、理胡が答えるのを待っているのか?
十秒ほど経過した後、ようやくそれに気がついた彼女は
慌てて答えを考えて見るけれども、思いつかない。
だって、功労者だよ?革新の張本人たちだよ?
トップに据えない意味が分からないし、理由なんて思いもつかない。
豊臣が部長、竹中が副部長という考えで固まってしまっている理胡には
部長が言う問題など思いつきもしなかった。
そしてそれが分かったのだろう、嘆かわしげに部長がもう一度、ため息をつく。
理胡君は頭が悪いね。君は良いかもしれないが、豊臣と竹中のやり方は強引だから
反感抱いてる奴が居ないこともないんだよ?」
その言葉に、理胡ははっとした。
「あぁ、それは………」
「そういう輩は僕が部長時代には話を聞いて、取りまとめてきたけど
まぁまぁ。後、一年は彼らには我慢してもらわないと。
一年生は七割が豊臣竹中勢力。二年生は五割がそう。だけど残りは反と同義なのだからね。
ニュートラルが居ないっつーのも、才能なのかなぁ。あはははは」
「笑い事じゃないですよ、で、それをなんとかなだめすかして
調整する役として私を部長に据えるって?」
にこやかに笑う部長を相手に、理胡はぶるぶると震えながら、懇願の視線で彼を見る。
確かに、彼に言う通りでもある。
半数以上の部員は彼ら二人に好意的であるけれども、革新を成し遂げるような人間には敵がつきものだ。
例えば、秀吉と半兵衛はカリスマで人を引っ張っていくタイプだけれども
そのやり口は強引だ。
月一の合宿も、夜遅くまでの練習も、肺活量アップのための早朝からの走り込みも
結果は伴っているけれども、不満を抱いている部員は少なくない。
おまけに、そのどれかに不参加であると、コンクールメンバー(レギュラー)を外されるなどの
ペナルティがあるのだから、さぼることもできないとあっては、尚更不満に感じる。
更に、秀吉と半兵衛のどちらかが、直接の不満のはけ口として
話を聞くような人間ならまだしも、彼らにはそういう気遣いというものが欠けていた。
いや、気遣う必要性を感じていない、と言った方が正しいか。
不満ならば、辞めてくれて結構。
ついてこられる者だけが、ついてこい。
弱者は不要だ。強者のみが勝利の美酒を味わえるのだ。
彼らはそういった自分たちの意思を行動で示しており
どんなに上手い人間が部を辞めようとも、決して引き留めることはなかった。
その代わり、同パートの人間を辞めた人間『以上』に上手くさせることでその穴を埋め
『代わり』はいくらでもいるのだと、何例も実例を作り
気遣いの必要のなさを自らの行動で示して見せたのである。
…自分の代わりがいくらでもいることを、まざまざと見せつけられたい人間が居ようはずもない。
そのため、今はどんなに練習がきつくても、辞める者はいないけれども。
「…よくよく考えて見ると、あの人たち、割と敵作る要素が多いですね」
「今更ぁ?」
そうして、考えた末に理胡が部長を見ながらそういうと
彼はえぇっというような表情をしてこちらを見た。
…なんだ、その馬鹿を見る目。
けれども、彼は一向にその表情を改めず、仕方なく理胡は言い訳をすることにした。
馬鹿じゃないもん。
「いや、だって普通にしてたら普通に接してくれるから
なんも考えないでも普通に出来てたっていうか。
言うとおりにしてたら、上手くなるから楽しいでしょ?
楽しかったら、ついていけばいっかな!って思うじゃないですか、普通」
そして彼女が言い募った言葉達は、かき集めると酷く馬鹿っぽいので救いようがない。
馬鹿じゃん。
ただまぁ、言いたいのは普通に練習していれば彼らは普通に接してくれるし
言うとおりにしていれば上手くなれるんだから、そこまで反感を抱かなくてもいいんじゃない?
ということなのだけれども、それにさえ部長は左右に首を振って
「ううん。多分違う。人間って、君みたいに単純に出来てないから。
頭いい人間への嫉妬とか、年下から色々言われることへの反発心とか、色々あんのよ。
あの二人まだ一年生だしね」
「………はぁ、まぁ、そうですね。で、二年で次三年の私を頭に据えて
年下から言われることへの反発を押さえて…えっとさっきも言った通り
強引な二人と、部員の調整役をしろと」
「そうでーす。よろしく」
「いや、よろしくって」
よろしくされたくない。
明らかにそれ貧乏くじだろう。
だけれども、部長はそんな理胡を無視するように
ぴょんっと教卓から降りて、こちらの肩をポンッと叩いて、視線を音楽室の奥へとやった。
つられて、視線を移すとそこには今年獲った県大会の準優勝トロフィーが飾られている。
そして、トロフィーが日の光を受けて、きらりと輝いた所で再び部長は口を開いて
「折角強くなれたんだから、このまんまで居たいでショ?
僕はこのままいさせたい。だから、有効な策をうたせてもらうよ。
ちーなみに、副部長は豊臣君だから。
二人で仲良くやってねぇー」
「ちょ、ちょ、ちょ!?」
あろうことか、部長は理胡を置いてダッシュで音楽室の入口へと逃げていく。
慌てる理胡だが、文化系体育部で鍛えられている部長の足は実に健脚で
反応する間もなく、彼はあっという間に理胡を通り過ぎ。
「君の気の強さと面倒見の良さは、意外と部長向きだよ。よろ!」
「ぶ、部長?!待って下さい、部長、部長!私まだ引き受けるとも何とも言ってませんっ!
部長、か、カムバーック!!」
手を伸ばして服をつかみ、彼を引き留めようとする理胡だが、その手は残念、届かない。
部長はひらりと身をかわして、華麗に立ち去っていった。
残るは呆然と彼の背を見送る理胡のみ。
「…ど、どうせいと…?」
漫画なら汗をたらしてアホ毛を飛び出させているような状況だなぁと
真っ白になった頭で思って、それから理胡は吹奏楽部やめちゃおうかな、とへなへなと床に崩れ落ちた。
…だって、明らかな厄介事の気配がするもの…。


そしてその予感は良く当たった。
というか、当らぬわけがなかった。



それでも、理胡は吹奏楽が好きで、愛してるから
厄介事が起きると分かっていても、起こった後も
辞めます!というのはまったくもって出来なかったのだけれども。