私の隣の長曾我部君は、今日は暇そうに頬杖をついている。
私も暇なので、頬杖をついて授業を受けているので、
おそろいなのかもしれない。
いや、言っているだけで特に意味は無い。
フランダースの犬を見て号泣した長曾我部君に、ハンカチを貸してから一週間。
ハンカチはまだ返ってこない。
返すっていったくせに、嘘つきめ。
薄黄色のふわふわしたハンカチは、別にお気に入りというわけでもなかったが
手元を離れると途端に、惜しくなるのが人間という奴である。
私は気付かれないように、長曾我部君のほうを見た。
彼は何食わぬ顔で、ぼーっとしている。…ように見える。
あぁ見えて、何か深遠なことを考えているのであれば
私も彼のことをとっても見直すのだけれども
しかし、残念なことに私には、彼が何を考えているのか知るすべは無い。
なぜならば、ハンカチを貸した日数分私は彼としゃべっていない。
即ち、号泣事件をきっかけに仲良くなるなんていう
漫画的な展開は二人の間に起こっていないからだ。
その状態で彼に話しかけて、今何考えてるのだなんて
とてもとても聞けやしない。
いや、別にこんな勿体つけた言い回しで持って
授業の暇つぶしをしているわけではない。
決して無い。
私は、机についていた手を組み替えて、目の前の黒板を見た。
大人しく歌わせておけばいいのに、音楽の先生はこの歌はどういう人が作って
どういう気持ちを歌った歌で、ここは強く、悲しく
しかしここに入ると途端に弱く嘆きをこめて歌うのだと
一生懸命にご教授くだすっている。
……皆聞いて無いけど。
ほぼ九割がたの人間が、だるそうに聞いているというのに
あんなに一生懸命に説明できるなんて、先生というのは
ものすごい人格者か、それかよっぽど空気読まないか
のどちらかになるしかないのではないかと、
本当に下らないことを私が考えていると。
かさり。
紙の軽い音が手元でする。
ふと下を見ると、四つに折りたたまれたルーズリーフが
いつのまにか置かれていた。
「………?」
首を傾げながら、しかし私のところにあるということは、
私宛なのだろうと広げてみると、そこにはあんまり綺麗とは言いがたい文字で
「屋上で待つ」
と、書いてあった。
………いつと、差出人ぐらい書きなさいよ。
この文字に見覚えが無かったら、ぶっちしてやるのだけれども。
私は隣の長曾我部君をチラッと見る。
彼はその視線に気がついたようだったけれど、
決してこちらを見ようとはしなかった。
…お前ね。ほんとなんなの。
音楽の授業が終わると、昼休みだ。
お弁当派なので、学食に座れなくなるとかそういう心配は無いが
やっぱりお腹は減る。
ので、お弁当持参で今日は屋上ランチとしゃれ込んでいる。
の、だ、が。
「………さむ…」
真冬にそういうことをするのは、無謀だった。
私はひょっとして馬鹿なのかもしれないと
自分に対する認識の改めを行いながら、私はお弁当の箸を咥えて屋上からの風景を眺める。
「うーん…街」
うちの高校は、郊外ではなく街の中心に立っている。
良く行くコンビニだとか、雑貨屋を見下ろしながら見たままの感想を呟くと
「なんだそりゃ」
後ろから呆れた声がした。
その声に振り向くと、そこに居たのは手提げ袋を一つ持った長曾我部君だった。
彼は寒そうに腕をさすっている癖して、制服の前を全開にしている。
「…冬場の小学生じゃないんだから…」
「一緒にすんな」
思わず零すと、長曾我部君は嫌そうに顔をしかめた。
そんなこと言ったって、同じに思えるんだもの。
多分、長曾我部君のそれはファッションなんだろうけど。
許されるなら、あけっぴろな前を閉めてやりたい衝動に駆られつつ
私は長曾我部君と向かい合う。
「えぇと、呼び出したの長曾我部君よね?」
「あぁ。悪いな、こんなに早く来てると思わなくってよ」
「いや、別に」
首をふると、いやでも悪ぃといいながら、長曾我部君は
手に持っていた手提げをこちらに差し出す。
手を伸ばして受け取り、中身を覗き込むと
そこには貸していたハンカチと、もこもこしたクマのぬいぐるみが入っていた。
「教室じゃ、目立つかと思ったんでな」
「あ、ありがとう」
その気遣いは素直にありがたい。
とかく目立つ彼にそんなことをされては、噂が千里を走ってしまう。
…が、しかし。
「でも、これ」
袋の中のクマを見せる。
これは貸してないし、なんなのか。
分かってはいても、聞くのが礼儀という奴だろう。
すると、長曾我部君はなんでもない顔をして、ああと言った。
「ああ。そりゃ…一応…まぁ、その、なんだ。
励まし方はあれだったが、慰めてくれたんだろ?」
「まあ、一応」
うっかり泣かせておくのも面白いかもしれないと思ったことは秘して
私が頷くと、長曾我部君は、私の顔を見てにかっと笑った。
「だからよ、その礼だ。
ゲーセンでとったもんだけど、結構良い感じだと思うぜ」
その笑みに私は一瞬見とれて、その後物凄く悔しい気持ちになった。
………くそう。
格好良い人に格好良い顔をされて格好良いと思ってしまうと
どうしてこう悔しいのか。
私の歪んだ人格が一番の問題だという点には、
目をそむけながら私は心の中で長曾我部君に毒づく。
くそう、お前なんかフランダースの犬で号泣しちゃうくせに。
しかしながら、それはそれでまた、不良の彼がちょっと可愛い的な要素があって
私は一人で臍を噛む。
く、悔しい。
しかし、黙ったままの私を勘違いしたのか
そんな私の心の内を知らぬ長曾我部君は(…知られても困る)
「…悪い、いらなかったか?」
と困った顔をした。
そこで私はようやく我に返って、ぶるぶると首を振って否定する。
「ううん。いる。すごいいる」
ハンカチの御礼にしてはちょっと釣り合いが取れないような気がするけれど
もっこもこのクマは顔もつぶらで、かつ手触りがすごく良くて
遠慮なんかして返したいような代物ではなかった。
ほんとにこれゲーセンでとったもの?
出来ればそのゲーセンの場所を聞いて、二匹三匹とご兄弟をそろえてやりたい。
というか、そろえたい。
もこもこした手触りの良いものと、クマ好きな私としては
見逃せない一品なので問いただそうと意気込んでいると
長曾我部君が私のその様子を見てくっと笑う。
「そこまで喜ばれりゃ、悩んだかいがあったな」
「え?」
「じゃあ、ありがとな」
なんだか、不思議な言葉があった気がして私が目を瞬かせているうちに
長曾我部君は片手をあげて、屋上から去ってゆく。
私は追うこともできずに、それを黙って見送ると
手の中のクマと、顔を見合わせる。
「………なやんだ、かい?」
なんだか悶々とした気分のまま教室に戻った私だったが
そんな私は更に悶々とするはめになる。
「え、それ恋のおまじないぐまでしょ?
持ってると恋が叶うっていう、あれ」
「あーだよだよっ」
「あ、そなの?」
手に持ったクマを目ざとく見つけて騒ぐ友人達に、
私はうすぼけた答えしか返せなかった。
そういう情報は、興味が無いのでしらないのだ。
そうか、恋のクマかと愛嬌のあるぬいぐるみの顔を見ていると
友人達はそんな私を置いて、盛り上がり始める。
この年頃の女の子にとって、恋の話はガソリンだ。
彼女達はどこまでもどこまでも疾走していく。
「A組の松浦さんって、それで坪井君ゲットしたらしいよ」
「まじで?」
「まじまじ。あとさ、佐東ちゃんと竹中もそうらしいよ」
「まじ!!」
「あとそれ、あげてもいいらしいよ」
「まじでか?!」
「まじまじ。あげると相手の意識がこっちに向くんだって」
「乙女チック!」
盛り上がる友人二人を余所に、私は手に持ったクマを見つめて
それから無意味にくるくると回して放り投げてみる。
「ちょ、なにしてんのあんた」
「…いや………」
今聞いた情報がちょっと嫌な感じで。
いや、嫌っていうか、彼がそれを知っていて贈ってきたのか
それとも適当に買ったらそうだったのか。
私としてはぜひとも後者をお勧めしたいのだけれども
「悩んだかい」がそれを邪魔するというかなんというか…
え、ちょ、っと…どういうことなの長曾我部君!
問いただしたい気持ちで一杯だったけれども、
生憎と彼の姿は教室には無い。
そもそも、教室で話しかける勇気なんか、無いんだけど。
手に持ったクマの感触は柔らかく、私はひっそりとため息をついた。
ほんと、どういうことなの長曾我部君。