ここまで見たならば、ただ単なる侍女が自分とはまったく異なる世界の人間にほのかな憧れを抱いて少し接近した。
それだけの話に見えるだろう。
だが、物事は一面だけ見るものではなく、多面で見るものだ。
由衣の視線から見れば、風魔小太郎は偉大な北条の守護神めいたもので
守ってくれる頼れる存在である。
そしてそのように思っている者に近づかれて、親切にしてもらえれば、そりゃあ嬉しかろうよ。
だが、だが、だ。
風魔小太郎と言う人間は黙して語らず、誰一人として、北条氏政ですら声を聞いたことが無い。
だから、彼が何を思って、由衣に親切にしたかなど、誰も推測できないことで
誰かに聞けば、あれはそのようなことをする男ではない。ただの気紛れだろうと、答えるのだろう。
彼の考えを知らぬから。
それを掴ませる言葉すら、風魔小太郎は周囲に与えてくれさえしないから。
さてではしかし。
彼の視点から物事を見れば、話は変わる。
自身の考えが分からぬ人間など居らず、彼の視点から物を見れば、彼の考えが分かるのは、当たり前のことである。
そして彼の考えを辿ると、由衣に親切にしたのは、彼女のうなじが美しいから。
ただそれだけにすぎない。
…………風魔小太郎は、うなじが好きだ。
心底好きだ。愛している。
人間という下らない弱い生き物で、唯一評価できる所はうなじがあることだ。
健康的に日焼けした小麦色のうなじも味があって良い。
だが、女の黒いつややかな髪の下にある白いうなじの素晴らしさには、敵うまい。
くっきりと分かれた白黒版画のようなうなじの形がすらりとしていると、なお良い。
一本筋が通り、細すぎず、太過ぎず、適度な横幅のあるうなじが、小太郎は好きだ。
もう一度言う。
風魔小太郎は、うなじが好きで、愛している。
この世で一番うなじに対しての執着があるのは自分だと、小太郎は自負している。
ま、とどのつまり、風魔小太郎と言う男はうなじ愛好家の変態だった。
それが喋らぬから世間さまに露見していないに過ぎず、
彼が喋れたらとてもとても、今の北条の守護神様、きらきら。な視線は送ってもらえないだろう。
だって、小太郎の価値判断基準はうなじだ。
うなじが綺麗だと、こいつは殺すのが勿体ないとすら思ったりする。殺すけれども。
そんな彼は城の人間のうなじは老若男女問わず把握しており、その中でぴか一の星印をつけているのが、由衣なのである。
彼女のうなじは良い。
小太郎の大好き、愛してる基準を全て満たしていて、完璧だ。
飾っておきたいぐらい完璧なのだ。
だから、彼女が小太郎の居た木の近くでこけ、あまつさえ紙くずをばらまいたのには、しめたと思った。
恐らくとして彼女以外がそのようなドジを踏んだのならば、嘲笑しか浮かべなかったであろうが
彼女ならば、紙くずを拾うふりをして、ぴか一のうなじを間近で拝むことができる。
それだから、小太郎は彼女に近寄り、思う様舐めまわすようにうなじを見
そして、彼女の顔が、首が、何故かほのかに桃色に染まるのに
たまにはこういう色のうなじも趣があって良いと、くっと口の端を吊り上げた。
…まぁ、小太郎側から出来事を見ると、そんな感じである。
ただの変態が琴線に触れる部位をもつ女の、好みの部分を
思うさま堪能出来て幸せだったという、何とも言えない話に早変わり。
そして何も知らず、ただほわほわと幸せな由衣にとって最悪なのは
風魔小太郎がこの接近遭遇に味をしめ、好みのうなじを堪能しても構うまい。という気持ちに傾いていることである。
何も知らない彼女は、その接近遭遇を、嬉しく幸せに思うのだろうけれども。
嗚呼。
知らないって不幸。
それとも、幸せ?