恐らくとして、毛利元就は酷く今の現状が不満だった。
結婚を契機に、自分が変わったと噂され、さも親しげに話しかけてくる者が急増した状況。
それを打開しようとたくらんだ結果が恐らくとして、今日の出来事なのだろう。
―全ては、自分に対しての周囲の意識を戻す為。
本人の口から何一つとして聞いていない以上、予測にすぎないが
恐らくとして合っているに違いない。
その事を夫の去り際の笑みで直感した
里香は、夕食の買い物をすませた後
買った食料品を袋詰めにしていた手を止める。
自然と、眉間にしわが寄った。
………不愉快だ。
「……どこからだった?」
むしろいつまでだった?
恐らくとして、会議室の事件から。
いつまでは、いつまでだろう。噂が消えるような出来事が起きるまで。
たまたま、今日中に全て片付いたから良かったようなものの
帰りの伊達政宗営業二課長の事件がなければ、延々と冷たくされるような状態が続いていたに違いない。
いや、いやいや。
毛利元就という人間のことを考えれば
今日、営業二課長が自分の所に怒鳴りこんでくるのは予測済みだったのであろう。
そう考えると、お昼休みに会議室に長曾我部元親が居たのも
自ら差し向けたのかもしれぬ。
そんな馬鹿な。そこまで人を良いように操れるはずがないという人間もいるかもしれないが
毛利元就という人は、その謀り事の才のみでもって、現在の地位を維持している。
人の心を解さず、人と関わらず、人を寄せ付けぬ人間が
どうして突出した特殊な才もなしに、組織で上に立つことが出来ようか。
であるから、
里香はどこまでも元就の計だったと聞いた所で
驚きはしないけれども。
ただ、真実が分かったとはいえ、このまま何事もなく済ませるのは癪に障る。
里香は、食料品を袋詰めにする手を再開させながら
視線を厳しくして、目の前のガラスに映った自分の顔を睨みつけるのだった。
………食せなくもない程度と言った言葉が本心かどうかは知らないが、言った報いは自身で受けるが良い。
「おかえりなさいませ」
ガチャリと玄関戸が音を立てて開いたのを、
里香はリビングの机に体重を預けて夫を出迎えた。
常ならば玄関まで迎えに来て鞄を受け取る妻のこの態度に、元就は表情一つ変えず
「大体察しはついたであろう」
「その口ぶりで言うと、考えたことで合っておるのでしょうか」
「知らぬ。我は貴様の頭の中など覗けもしないものでな」
「自分への評価を元に戻したかっただけでしょう」
答えを言う声は、少し尖ったものになった。
里香の出したそれに、元就はネクタイを緩めながらこちらに視線をくれる。
そして、口を開いて
「分かっているのならば、わざわざ聞くでない。時間の無駄ぞ」
「意思疎通は大事ですよ。……伊達営業二課長が怒鳴りこんでくるなら、私の件は要らなかったのでは?」
「布石は多ければ多いほど良い」
「あぁ、そうですか」
私を巻き込むなと遠回しに皮肉気な調子で言ってみたのに、ごく当たり前に返されて
里香はただ肩をすくめる。
この人には何を言っても無駄。
聞き入れる気がないのだと、伊達政宗との会話、そして以前からの経験則で知っている
里香は
元就の言動をスル―する。
…スル―する事が出来たっていうことは、大分復活してきたってことだな。
昼過ぎにはふらふらしていたが、大分安定を取り戻してきた自分に
よしっと心の中でガッツポーズしつつ
里香は手を伸ばして
いつものように元就の脱いだスーツの上着を受け取り
―ふと、なんとなく思いついて、彼に向かって問いかけてみる。
「あぁ、そういえば、お昼御飯は食べられましたか?」
少しだけ、嫌味な調子が混じるのは許して欲しいものだ。
本心かどうかは知らないが、人の作ったものを食せなくもない程度と言いやがって。
思いっきり根に持ちながら、
里香がそれを問うと
あからさまに根に持っていることを察したのか、元就は嫌そうな表情を浮かべる。
「食べておらぬ」
そして、割と、
里香の予想外のことを言った。
「え?」
里香的には、無論食したに決まっておろう。ぐらいの返答が返ってくるものだと思っていたのだが。
…いや、何故そんな返答が返ってくると予想していながらも問いかけたのかって?
人には言わねば居られない時があるものだ。
しかし、それにしても食べてない?
この人が?
里香はまじまじと自分の夫を見つめる。
食に興味はないが、仕事で能率を上げるために、三食欠かさず食べねばならぬ。
ぐらいの考えをしていると思っていたのだけれども。
食べてないのか。
……え、なんで?
「面倒くさかったんですか?」
理由がとんと思いつかず、好奇心から
里香が問いを投げると
元就は
里香を睥睨してため息をつく。
あからさまに面倒そうだ。
だけれども、機嫌とりなのか何なのか、彼はまたも口を開いて、さも面倒そうに答えてくれる。
「なぜわざわざ貴様の作ったものでない食事を口に入れねばならぬ」
また、予想外の答えを、だ。
「………はい?」
そうして重なる予想外に、さしもの
里香も度肝を抜かれて、思わずアホ面を晒すと
元就は嫌そうに顔をしかめてこちらのの顔を見ながら答える。
「一食抜いたとて支障はない。
それと、わざわざ添加物まみれの美味くもないと分かっておるものを
口に入れる事とを比較して、何故夕食まで待とうと思ってはならぬのか」
…とりあえず、
里香は真っ白になった頭で、スーツの上着を上着掛けに掛けた。
言葉が返せないから、誤魔化す為だ。
だって、なんかもう…。
え、なんだこれ。
インプラント?偽物?誰かと入れ替わってんじゃないの。これ。
予想もつかない所に転がっていく展開に、
里香の頭は爆発寸前である。
彼女的には、全部無言で睥睨・一蹴されて終わりのつもりだったのに
意外と優しいというかごく普通に回答が返ってきて、どうしようかと思う。
本当に。
想定してないから、反応を返せない。
だけれども、黙っているわけにもいかず、自然と態度に殺しきれない動揺が出る。
「えぇっと、あー…でも…じゃあ、お昼のあれは」
だから、動揺のまま、思わず本当に根に持っていることを問いかけてみる、と。
「昼のことを気にしておるのならば、無意味だ。
我はまずいと思うものを延々作らせ続けるような自虐の趣味は持っておらぬ」
「…………………えーっと…お昼のは嘘で、意外と、気にいってるんですか。私の料理」
「最初の食材以外に、我が文句を言うたことがあったか?」
「ありませんね。ただし今日の夕食はこれですが」
やはり、さらりと高評価が返ってきて、
里香は沈没しそうになった。
なんでって、上記のように予想していた反応は、無言で睥睨・一蹴であったから
余裕で意趣返ししようと思って、夕食を、山盛りのゆで卵にしていたからだ。
隠すためにかぶせていたクロスをとって、かご入り山盛りゆで卵(夕食)を夫の方へと押し出して
里香はそっと彼の方から目線をそらした。
…っだって、お昼ご飯食べてこないとか思わなかったし
おまけに美味しくないご飯食べるぐらいだったら夜まで待つとか言うとは、ほんと予想外で…!
ついでにいうと、文句ない程度には美味しいと思ってるのが正評価でしたとか、ね、うん。
…………気まずい…!
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
ひたすら沈黙が流れた。
いや、かご山盛りのゆで卵が今晩の夕食☆
と言われたならば当たり前の反応で、これで
里香は溜飲を下げようと思っていたのだが
…先に割と作る料理は気にいっていると言われてしまっては、こんなのただの子供の駄々にしか見えない。
夕食作り直そうかしら…。
まさしくどうしてこうなった気分で額に手をやり、迷う
里香をよそに
元就は沈黙したままリビングテーブルの椅子を引き、腰掛けゆで卵を手に取った。
しかも、べりべりと黙ったまま殻を剥き、小皿に塩を出して食べようとしているではないか。
「え……」
「何だ」
続く予想と余りにも違う反応に、
里香が思わず声を出すと
元就はゆで卵を口に含む寸前、顔を上げてこちらを見る。
「……えーいや、文句が飛んでこないとは思いませんで」
「このような下らぬ意趣返しに、文句を言う方が下らぬ。
阿呆めが。下らぬことをしおって」
そうか、下らないことにわざわざ付き合っていただけるのか。
それはありがたいが…あの……今、確実に文句言われた気がするんだけど、気のせい?
だけれども、あんまりにもナチュラルに夫が文句を言うので
言ったことすら気がついていなかろうと、
里香は復活してきたスルースキルを発動させて
その事を流してみる。
なんだろう、この人。
思いながら
里香も椅子を引いて座り、ゆで卵を食べ始める。
二人で殻を剥きながら、黙々と食べて食べて、籠半分ぐらい食べ進めた所で
里香は沈黙を破って、元就に問いかけてみた。
「…それにしても、元就さん。私が頭に血を上らせて
帰ってくるなり離婚届突きつけるとかいう展開になってたらどうするつもりだったんです?」
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