バレンタインより一月。
ホワイトデーの頃には、名字デフォルトと毛利元就は夫婦となっていた。
その間は、結納、式場選び、招待状の作成。
様々な行事が間には挟まっていたが、そのどれもをそつなく元就はこなし
名字デフォルトはそれにはいはいと頷きつつ、ついていくだけで良かったので
大変に楽なものだった。
たぶん結婚してからもこのように、はいはい言いながら
日々が飛ぶように過ぎていくのだろう。
そう、名字デフォルトは思っていたのだけれども
それは希望的観測が過ぎる。
自分が結婚するのが、「あの」毛利元就であることを
彼女は微妙に失念しかけていたとしか思えない。
「デフォルト」
名字デフォルトの下の名前はデフォルトと言う。
会社では今だ名字デフォルトのままだが、家で名字デフォルト名字デフォルトと夫が呼ぶわけにもいかないので
毛利は結婚してからと言うもの、名字デフォルトを呼ぶのを下の名前へと改めていた。
きんぴらとコロッケとサラダとみそ汁とご飯。
夕食を机を挟んで向かいに並び、静かに食べていた名字デフォルトは
夫に名前を呼ばれたので顔を上げ
「なんでしょうか、毛利さん」
…彼女の方は、毛利のことを、未だ名字呼びである。
夫婦としてはどうかと思うが、けれども、毛利元就本人が
それで良いと言ったのだから仕方ない。
愛もないことであるし。
打算に裏打ちされた、歪んだ結婚生活を営み始めて一週間。
新婚旅行にも行かず仕事をし続け、引っ越しをしたぐらいしか
変わりが無かったせいですっかり平和ボケしていた名字デフォルトは
毛利に一枚メモを渡され、何も考えずにそれを見る、が。
「………なんです、これ」
「見て分からぬか」
内容を一瞥して、思わず顔をゆがませ聞くと、バッサリと切って捨てられる。
愚かな。そのような眼玉など要らぬだろう。
侮蔑の視線の中にそのような声を聞いた気がしたが
名字デフォルトはそれをスルーした。
長年の経験から行くと、そういう毛利の要らないことに付き合っていたらきりがない。
愚か者ですいませんと思いつつ、名字デフォルトはもう一度手に持ったメモへと視線を走らせる。
メモの中身は、リストだ。
味噌だの肉だの野菜だのが、いちいち何処の製品、何処産と横に注釈がつけられて
ズラリと並んでいる。
野菜は国産、味噌も国産、ビネガーとマスタードはマイユ。
マヨネーズはドゥルイですか。
…とりあえず、米酢でも無いビネガーなんて使わないと思うのだけれども。
一通り目を通した後、名字デフォルトは嫌な予感を感じつつ、毛利を見る。
ちらり。
すると、毛利は眉間にしわを寄せ、愚物。という主張の混じった視線を更に強くした。
そうされると、もう仕方がない。
諦めて名字デフォルトははいはいと頷いておく。
見た瞬間になんとなく察してはいたが、ようするに毛利に渡されたこのメモ。
これはこの内容の食べ物でなければ受け付けぬ。ということであろう。
今後の食事はこれで作れということか。
オーガニック的な内容のメモをぴらりと揺らして
名字デフォルトは、はぁとため息をつく。
「…あの、毛利さん。もう一週間もたつのですから
早くに言ってくだされば良かったのに」
結婚して一週間。
一緒に住み始めてからこちら、食事は名字デフォルトが三食ずっと作ってきた。
朝ご飯、昼にお弁当、夕食。
そのどれも、その辺りのスーパーで適当に買ってきた食材で作ったもので
間違ってもこの内容にあるような、お高そうなものではない。
いちきゅっぱ、にーきゅっぱ、さんきゅっぱはお友達。
それを、一週間かける三食で二十一食。
カタカナ明記の多く混じるメモを見ながら、早くに言えとため息をつけば。
「我とて譲るぐらいのことはする」
「……………さようですか…」
尊大な調子で言われて、名字デフォルトはもう一度ため息をついた。
…そうか、譲ってくれていたから、一週間待ってくれたのか。
慣れない環境で我儘を押し付けるのはどうかと言うことで、一週間も。
…………それ、一生続けてくれればよかったのに。
思いながらも、なまじ、それが毛利にとっては物凄い譲歩だと分かるから
名字デフォルトは何一つ文句も言わず、はい。と頷いて
メモを鞄の中にしまうのであった。
ちなみにその次の日の夕食後。
毛利から渡されたメモのものは、確実にその辺りのスーパーに無いことは
予想がつくので、わざわざ百貨店の地下食料品売り場までいって
揃えてきた名字デフォルトだったが、残念ながらドレッシングだけは
指定の物が無かった。
だから、店員をひっ捕まえてメモを見せ、これを書く人間が納得するような物を出せと
半ば懇願して別のお勧めを教えてもらったのだけれども。
これで味が分かって無かったら笑えるよなぁと
件のドレッシングをかけたサラダを口に運んだ毛利を見ながら思っていると
彼は一度咀嚼して、それからぴたりと一瞬動きを止めた後
飲み込み名字デフォルトの方を鋭く睨んだ。
「………ドレッシングの味が、我の書いたものとは違うようであるが…?」
「無かったんで、店員さんお勧めの物を買ってきました。
きちんと添加物無しのものなので、まぁ大丈夫かなと。
お口に合わないなら、残していただいて構いませんけれども」
「いや、いい」
そう言ってサラダを口に運ぶのを再開する毛利に
名字デフォルトは頼んだものの味は、やはりわかるのか。
と、誤魔化しがきかないことを身をもって知り
適当に買ってこなくて良かったと胸をなでおろしたのだった。
…まぁ、とどのつまりようするに、これは毛利夫婦が
それなりに上手くやっていますよ、というどうでも良い話である。