潮風を受けて、隣の人と海の浜辺を歩くのは、三度目といえば良いのか、一度目といえばよいのか。
ともかく私と長曾我部さんは海の浜辺を歩いていた。
ちなみに夜の海を見に行く話が出たのは火曜日で、今日は金曜日だ。
うん、週末じゃないと仕事に差しさわりが出るからね。
社会人らしいね。
……………なんだかなー。
一度渋った私を『良いじゃねえか、夜なら紫外線も無いだろ』と説得して
夜の海に行きたがった長曾我部さんにはそんなに海が好きかと言いたいし
ふと懐かしくなってそれを了承した私にも馬鹿かと言いたい。
…暑いんだよ、夏の海。
長曾我部さんは平然としているけど、私は無理。
じっとりとした暑さが体を蝕んで、とけてしまいそう。
「…あつい…」
「潮風が生ぬりいからな」
零した単語に、至極冷静な言葉が返ってきて、私はうぅっと唸った。
そういう言葉が欲しいんじゃないんだって。
向こうの方に、誰か若い子たちが花火をしている光景を見ながら
私が潮風にべとつく前髪を横に流すと、長曾我部さんはははっと笑い声を上げる。
「あんた暑さに弱いのか」
「…暑いの嫌い。冷房の利いた部屋が良い」
「まぁそう言うなよ。波の音、耳を澄ませて聞いてみな。
少しは涼しくなるだろ」
笑いながら言う長曾我部さんの言うように、耳を澄ませて海の方を見る。
夜の暗い海は深い黒色をしていて、夜の闇と混じり合って
月星の光に照らされる波の白が、浮かび上がるようだった。
それをじっと眺めながら、私はざざぁんという波が海を打つ音を聞く。
その涼しげな音に海の中に入ってしまいたいような衝動にかられたが
替えの靴もタオルも持ってきていない。
もうちょっと、若かったならば海の中に入ったのだろうか。
例えばあそこで花火をしている集団のように。
高校生ぐらいの男女のグループが、輪になって線香花火をしているのを横目で見る。
きゃあきゃあという声が耳に入ってきて、私は若いなぁと漏らした。
その私の呟きを拾って、長曾我部さんも可花火のグループの方を向く。
いつの間にか、足は二人とも止まっていた。
六人ぐらいのグループが、線香花火が落ちた落ちないと騒ぎながら
楽しそうに笑っている。
「…夏っぽいなぁ」
「青春だな」
ノスタルジックな気分というのは、こういうことを言うのだろう。
ああいうことをやった記憶は無いが、似たような他愛もないことで騒いだ日々がただ懐かしい。
隣の長曾我部さんも同じような気持ちになっているようで
懐かしみと微笑ましさの混じった視線で、私たちは彼らの花火の様子を暫くの間眺めた。
線香花火が終わると、高校生たちは花火の残骸が入っているのだろう
バケツを持って撤収をしていった。
がやがやと賑やかに去ってゆく子供たち。
その後ろ姿を見送った後、私と長曾我部さんは並んで夜の海へと視線を移す。
そこには一面の黒が広がっていた。
ざんざんと鳴る波の音。
その音を聞いていると私は
「…こう…夏の海って良く引きずりこまれるっていうよね…」
「………………海に出てた頃には、船幽霊の話は良く聞いたもんだ。
あと盆の時には絶対海には出なかったぜ」
散々ノスタルジックな気分になっておいてこれ。
しかも長曾我部さんまで乗ったもんだから始末に悪い。
けれども思ったものは仕方がない。
夏の夜の海って怖いよね。黒いし。呼ぶって聞くし。
「でも、夏より冬の方が性質悪いらしいよ、幽霊って」
「あぁ、話聞くな。けどよ、海は夏だろ」
「…夏だよね。怪談も夏だよねー」
ざぁん、ざぁんと波の音。
その光景を見ながら、私と長曾我部さんは目を合わせた。
思う所は一つのようだ。
「…長曾我部さん、最近心霊系のテレビ番組ってやらなくなったと思わない?」
「だな。昔は嫌っつーぐらい良くやってたのに。いつの間にかな」
それはやらせが次々と発覚したからです。
でも心霊系好きなんだよ、怖いけど。
「…夏は海だけど。夏は怪談だよね、百物語だよね、ホラーだよね」
好きだけど怖いから一人じゃ見たくないけど夏は怪談。
そう思って、遠回しに誘うと、なんとなく見たくなったらしい長曾我部さんは
だなっと言って何かを思い出すように、顎に手をやり上を向いた。
「…駅前に、確かビデオ屋あったよな」
「あぁ、あるある。あそこ行こうか。で、うちで一緒に見ようよ」
「おう、いいぜ。明日は休みだしよ。夏らしいこと、一回はしねえとな」
からりと笑う長曾我部さん。
季節感を意外と大事にするらしい。
ひょっとして夏の海に来たのもそれか?と思ったものの
わざわざ聞くようなことでもない。
私はじゃあ帰ろうよと言いながら、長曾我部さんを促して夏の海を後にする。
ポケットから取り出した携帯を開いて、時刻を確認すると
夜の九時を回った所。
多分九時半ぐらいには家に帰れてるでしょと思いつつ、長曾我部さんと並んで歩いて
―ふと思い立って、夏の海を振り返った。
黒い海、ざんざんと寄せては返す白い波。
その中に、ふと肌色の手がゆらりと揺れた気がしたが
多分、気のせいだろうと思う。
…いや、是非気のせいにしたい。