今日から赴任だ。
と意気込んでいたのが三週間前。
一週間して始業式があって、授業が始まり。
指導教員宛の授業計画と報告書を、毎日書かないといけない長曾我部さんは
半分グロッキー状態です。


授業で使うプリント作成、授業で使う小テスト作成、その他授業計画、報告書。
新任教師は色々と作らないといけないものがあって大変なご様子。
授業計画と報告書は、三カ月だけで良いという話なので
夏を過ぎればいくらかは楽になるのだろうが、今が大変ならそれは慰めにもならない。
とりあえず、色々大変すぎる長曾我部さんの夕食の手伝いはお断りして
ご飯を待っている間もノートパソコンを持ちこませて報告書を作らせているけど。
…凄いね、先生って。
うちの会社でもそこまでじゃないわー。
せいぜい報告書の提出と、夕方に指導担当と新人とのミーティングが毎日あるだけだ。
うーわ。と思いつつ、夕食を作って、長曾我部さんにとらせる。
本日は皿うどんとおにぎりと餃子。
ここのところ、出来るだけぱっぱっと、食べられるものにしているのだけど
本人気がついてないな、これ。
普段なら気がつくだろうけど、疲れ切った表情をしながら
夕食を食べる人に気がつけというのは酷過ぎるだろう。
だから私は自分が作ったものが、どれだけもそもそと食べられていても
会話が無くても怒ったりはしない。
心配はするけど。
大丈夫か、これ。
「…長曾我部さん、大丈夫?」
「ん?ああ。大丈夫だ。心配いらねぇよ」
…なんという信頼性の無い言葉。
そんな疲れた顔して言われても。
うっすらと隈の出来た長曾我部さんの顔を見ながら
私が眉をはの字にすると、長曾我部さんは微かに笑った。
「あと一月もすりゃあ慣れるだろ。心配いらねえ」
「ん、まぁそうだろうけど、その一月がつらいんだと思うよ。
私は新人の頃なんて、もうあんまり思い出せないけど」
「…思い出せないのかよ」
「四年前って、結構昔じゃない?」
肩をすくめてみせる。
大学生が卒業してしまう年月は、長いと言って良いだろう。
けれど、長曾我部さんは納得行かないような表情をして
「覚えてろよ、その辺は」
「忘れたよ。その辺は。でも長曾我部さん、お風呂シャワーで済ませたりしてないよね?
湯船につからないと疲れとれないんだよ。
疲れてる時こそお風呂はいらないとだめって知ってた?」
「………湯を入れてる時間がねぇ。掃除をするのもめんどくせえ…」
…気持ちは分からんでもないけど。
ぐったりとした長曾我部さんが、これまたぐったりと言う
予想通りの答えに、いっそありがとうございますと頭を下げたくなりながら
私はふぅとため息をつく。
想定内過ぎて涙が出てくるな、これは。
学校が始まる前にこうなるかな、と思った通りのことが起きていて
私としては想定しておいて良かったというかなんというか。
とりあえず、私は無言で夕食の席を立って
お風呂に行ってから設定温度を四十三度にして、給湯ボタンを押して、戻る。
「…とりあえず、長曾我部さん」
「ん?」
「お風呂入れるから、お風呂入って戻ると良いよ。
四十三度のお風呂に半身浴で十分。疲労が一番回復するお風呂の入り方でございます」
「おい、待て」
「何?」
分かっているのに首をかしげて空とぼけて見せる。
すると、長曾我部さんは苦々しい表情をして、私の目をまっすぐに見た。
「…デフォルト、俺は、あんたにおかえりが言いたいんであって
あんたに迷惑かけてぇんじゃねえよ」
「私も、あなたがそんなに疲れているのを見てらんないだけで
迷惑ともなにとも思ってねぇよ」
同じような言い方で返してやると、長曾我部さんはにがにがした表情を変えずに頭をかく。
「くそ、ああいえばこう言いやがるな、あんたは毛利かなんかか!」
「…前から思ってたけど、毛利って誰よ。
それはともかく、良いじゃない別に。
生まれ変わる前の時には衣食住全面私が見てたじゃない。何が違うの」
「生活基盤があるのが違げぇ。それがあんなら男としてそこまで面倒みてもらえるわけねえだろ」
おや、やりかえされた。
私が自分の席に戻りながら目をぱちくりさせていると
長曾我部さんが軽いため息をつく。
「…あんた、あんまり俺を甘やかそうとすんな。
もう一回言うけど、迷惑かけてえ訳じゃあねえんだ」
困った調子。
困らせたいわけではないので私も困った顔をしながら
長曾我部さんにでも、と口を開く。
「でも長曾我部さん、私と同じ立場に置かれたら、長曾我部さん心配しない?」
「………………するな」
「同じようなこと言わない?」
「……………………………それとこれとは、話が別ってことにしてぇんだが」
「やだよ」
沈黙の長さは、反論の難しさを表している。
私も大概長曾我部さんに親切だが、この人もこの人で私に優しい。
だって毎日どんなに疲れてても、おかえりなさいを忘れられたことないもの。
ずっと毎日、欠かさず、笑顔でおかえりなさいを言い続けるって多分すごく難しい。
だから、この人だって同じ立場に置かれたらそうしてくれる。
そうして、それを本人も自覚しているよう。
お互いがお互いの立場に置かれたら、立場が逆転してしまうのが
簡単に予想できるから、彼は更に難しい顔をして
折れてくれないかと、私に向かって視線で訴える。
その視線を暫く受け止めた後、私は仕方なくこっくんと頷いて是を示した。
いや、困らせたいわけではないからね。
「でもその代わり、ヘッドマッサージと肩もみね」
だけど安心するのはまだ早いよ、お兄さん。
ほっとした表情をする長曾我部さん相手に
わきわきと両手を動かして言ってやると
彼は私が折れた代わりに自分も折れて、仕方なく私の提案を受け入れたのであった。



夕食後、がっちがちになった長曾我部さんの首筋と肩を揉む。
揉む、というか、押す方が正しいかも。
首の付け根を押しながら、こりの具合を確かめる。
…しかし、固いなこれ。
押しながら、あんまりの固さに私は顔をしかめた。
疲れすぎてるよこの人。
「…やっぱり、湯船には浸かったほうが良いよ、長曾我部さん。
スーパー銭湯近くにあるから」
「………ん…そうすっかな……」
長曾我部さんが返した声は非常に気持ち良さそうだった。
……前にシャンプーしてた時にも思ったけど
この人大型犬っぽいな。
実家で飼っていた大型犬を、マッサージしてやるとこんな感じだったかな。
思い出しながら首筋を下がって肩を押し、耳の後ろから米神までを
円を描くように揉んでやると、長曾我部さんがうっとりと眼を閉じているのが目に入る。
その表情に、なんとなく微笑ましいものを感じながら
私は暫くの間彼のマッサージを続けたのだった。