「お客様何名様でいらっしゃいますか?」
「二人」
「はい、ではこちらにどうぞ」
流れるような接客の店員に私と長曾我部さんは案内され、個室へと通された。
というか、ここのイタリアン居酒屋は全個室を売りにしているので
個室しかないんだけど。
まぁ、他人に話を聞かれなくてちょうど良い。
黒いシックな机と、L字型に配置されたソファーしかない、モノクロの部屋を進んで
L字型の横棒に腰かけると、長曾我部さんは縦棒側に座る。
「何飲む?」
「生中」
「私………カルーアミルクにしよ」
「…飲みに行くといっつも思うんだけどよ、甘いもんを食事の最中に良く飲めるな」
「気にしない気にしない」
うえっという表情でいう長曾我部さんに、私はひらひらと手を振った。
そこは気にしたら負けだ。
「ていうか、私の方こそ長曾我部さんに言いたいけど、ビールなんてよく飲めるね。
あれおいしくないし炭酸だし苦いし」
大人になればおいしさが分かるよと、いつも言われてきたけれども
大人になっても私はビールのおいしさが分からない。
大多数の人間が、とりあえず生でというのも、基本言いやすいからだと思っている。
え、だって美味しくないじゃない。
そして長曾我部さんも私の考えを裏付けるように
「だってよ、普通の居酒屋ならともかく、ここで日本酒頼むのはちげぇだろ」
「あぁ、それは、うん」
それは明らかに違う。
モダンでシックなお部屋で熱燗一丁!
………悪いとは、言わないけど。という感じだ。
彼の言葉にそりゃあねえと言ってから、私はこの長曾我部さんは
本当に現代ナイズされた長曾我部さんだと思った。
躊躇い無く生中を頼んで、カルーアミルクが何なのか分かって
ここで日本酒を頼まない常識がある。
コンビニでも買い物してたしねぇ。
ありとあらゆることが、二十三年を教えてきて
これは、一続きだけれども、現代の人だと、すとんと事実が心の中に落ちた。
昔殿さまをやっていた記憶のある、でも先生になりたい普通の男の人。
そういう人なのだと納得しながら彼の顔を見ると、長曾我部さんは何か勘違いしたのか
机端の呼び出しボタンを押す。
「…あ、食べ物まだ決めてないのに」
「え、催促じゃなかったのかよ」
「いや違う。長曾我部さんの顔見てただけだよ」
否定すると、長曾我部さんはどう反応するのか困った顔をして
見ても仕方ねぇだろと言いながら、私にメニューを広げて見せてくれた。
やだなにこの人、相変わらず生き神様。
生まれ直しても変わらない優しさプライスレス、と思いつつ
礼を言って、二人で頭を突き合わせてメニューを眺める。
「…明太子バケットおいしそう」
「マルゲリータ食いてぇ。牛肉のタリアータもうまそうだな」
「あー…おいしそう。サラダはシザーサラダ温泉卵のせで良い?」
「かまわねぇぜ。お、ニョッキか」
「ジャガイモが良い」
ぱらっぱらとメニューをめくるたびに注文が増えていく。
そうこうしていると、店員さんが来たので今決めたものと
それと前菜盛り合わせとカキとほうれん草のリングイネを注文した。
…明らかに多くない?メインばっかり。というのは無視無視。
暫くしていると料理も来た。
それに舌鼓を打ちつつ他愛無い話をする。
そうしていると長曾我部さんは、性格は変わらないけれども
明らかに現代人資質となっていて、時の流れというのはすごいなぁと
彼の変化は私にそう思わせた。
でも、付き合っていく分には、都合良い変化なのかもしれないとも、同時に思う。
戦国大名の長曾我部さんは何処までいっても王様だった。
だからその分壁があったけれども、この現代ナイズされた人は違う。
「でも、よくそこまで現代ナイズされたねぇ」
「そりゃあな。生まれてきて赤ん坊からやり直してんだ。
母親に意識はっきりしながら下の世話されてりゃ
大名だっただのなんだのの矜持も何も、吹っ飛ぶってもんだ」
「なるほど」
感嘆混じりに漏らした言葉に、はっきりとした答えが返ってきて
私は多いに納得した。
そりゃあ、それをやられれば、大抵のものは吹っ飛ぶだろうと思う。
屈辱的で無力感に溢れると、想像するのは容易い。
………そんな目に合って、ここまで成長してきたのか、この人。
せめて記憶がなければとも思うが、あるのだ。
思わずため息をついてしまいたくなるような、苦労がしのばれる人生。
どれほど意識の隔絶に悩まされてきて、どれほどの苦労があったのだろう。
―私のことをかみさまに頼まなければ良かったのに。
と、いうのは思うけれども、さすがに言ってはいけないことだろう。
それをすれば、そんな苦労はしなくて済んだけれど
よりにもよって私がそれを言うのは、全否定すぎる。
だから代わりに私はマルゲリータをそっと彼の方に押し出して
食え食えと勧めてやった。
そのついでに、リングイネを自分の皿にとり、牡蠣をフォークで指して口に運ぶ。
プリッとした触感の牡蠣に噛みつくと
冬のおいしい牡蠣のうまみとソースの塩気が口の中に広がって
幸せな気分になる。
「おいし」
「確かに居酒屋じゃないぐれえに、美味いなここ」
「でしょ、見つけた時良いとこ発見したな、と思ったもの」
マンションから歩いて十分。
通りを抜けて行った端にあるこじんまりとしたイタリアン居酒屋を
長曾我部さんは気にいったようだ。
もっちりとした生地のマルゲリータに彼がかぶりつくと
チーズがたらっとピザから零れおちた。
…ここのピザ、チーズたっぷりでおいしいんだよね。
一つ頂戴、と断ってからピザをとってかぶりつく。
おいしー。
「はーおいしいもの食べると幸せだよね」
「だな。ここんとこ、ろくなもん食って無かったから余計に美味いぜ」
「あぁ、カップ麺」
「と、コンビニ弁当」
今日の晩御飯だっただろうコンビニの袋の中身を私が言うと
長曾我部さんがそこに付け足しを加える。
そうか、カップ麺とコンビニ弁当。
………ちょっと待て。
「え、それって二週間、カップ麺とコンビニ弁当で暮らしてたってこと?」
「いや?」
「あ、そうだよね」
「大学の時からだから、四年と二週間だな」
「ちょっと待て!」
なお悪いわ!
返答に私が顔をひきつらせると、長曾我部さんは気まずそうに私から目をそらして明後日を向く。
「…だってよ、料理とか、俺出来ねえし」
「いや、努力しようよっていうか、コンビニ弁当とカップ麺は栄養偏るから!
自炊しろとは言わないけど、もうちょっとサラダ食べるとか果物食べるとか、努力を」
しかし私の言葉に斜め前の男は、ますます更に明後日を向いた。
だめだ、この人。
典型的な男の一人暮らし生活するつもりだ。
侘し過ぎる。
体壊してもしらないよ、と言おうと思ったが、ふと思いついて
頭の中で試算しながら、指折り数えてみる。
「………うーん」
「言っとくがよ、自炊は無理だからな」
「いや、そうじゃなくて。五千円ぐらいくれたら、夜ごはんは作ってあげても良いよ、って話」
「………は?」
私の言葉に、長曾我部さんは目をまぁるくした。
そんな彼を頬杖ついて、私は眺める。
一続きの隔たった人、この人とフェードアウトするのは、すこぉし、躊躇われる。
名前のつかない感情は、寂しいとまでは言いきらせてくれないけど。
それでも、躊躇うんなら捕まえておくべきじゃないかしら。
「幸いにして、私は基本ご飯を家で作って食べるから
夜の九時ぐらいで良いなら、毎日あったかい食事を提供してあげる」
「そ、れはありがたいけどよ、一月五千円は、安すぎやしねえか?」
「いや、別にいくらでも良いけどね。対価は材料費と、あとは長曾我部さんのおかえりなさいで貰うから」
「あ」
私の言葉に、長曾我部さんは声を上げて、私の顔をまじまじと見る。
今頃利点が二つあることに気がついたらしい。
ふはは、馬鹿め。
冗談交じりにそう思って、それから私はどうするの、と彼に再度問いかけた。
断ってくれるなよ、とは思いながら。
強制的に顔を突き合わせる学校、会社の繋がりがないのなら
人間同士の関係を繋ぎ続けるには、本人たち同士の努力が不可欠だ。
だから、私は料理という労働の努力を。
長曾我部さんはお金という対価の努力をしましょうよ。
そうして、長曾我部さんが悩んだのは一瞬だった。
「いいのか、それ本当に。後で無しとか言ってくれんな」
「言わない言わない。ついでだし、おかえりなさいがあるなら私も仕事に張りが出るし。
…女子高生の方が良いけど」
「そこでそれかよ、変わんないな、あんた」
はっは、と、長曾我部さんが声を上げて笑う。
了承ということなんだろう。
なんだかようやく繋がった気がして、私も笑いを洩らした。
そうして、私と長曾我部さんは、夕食、休日の朝昼晩のお食事ご提供を
一月一万円契約で結んだのである。