穴から突然出てきた男と暮らすこと、一月弱。
別れたと思ったら、生まれ変わって(いや、生まれ変わったのは向こうだけだが)
また再会したのが、二週間前。
そうして、私たちがどうなったかといえば、どうにもなっていない。
いや、会ってすらいないのだから、どうにもなりようがないだろう。
再会した日には色々なことを聞いた。
死んで、死後の世界で神様に、私がただいまと言ったなら
おかえりと言ってくれる人が出来ますようにと言ってくれたこと。
本当は海に出る仕事に就こうと思っていたが
何の因果か『生まれる前』と同じように、左目を無くしてそれを諦めたこと。
その後一年休学している間に、学校の先生に随分と励まされて
同じ道を歩もうと考えてその通りにしていること。
随分と色々な話をして、随分と長いこと語りあって
そうして、私たちは気がついたのだ。
長曾我部元親という戦国大名と私は一緒に暮らしていたが
その彼と、今の学校の先生になろうとしている長曾我部元親との間には
二十三年の月日があり、一続きであっても同一でなく
それはかなりの齟齬を我々の間に産むのだと。
私は、戦国大名の長曾我部さんと暮らしていた。
だから、姿かたちがそっくりそのままで、その通りの記憶のあるお隣の長曾我部さんは
どうしても一緒に暮らしていた頃の長曾我部さんとして扱ってしまう。
けれども、向こうさまからしてみれば、二十三年もこちらで暮らしているのだから
私と暮らしていた時の記憶は随分と薄れ
大変昔にお世話になっていた人間に、現状報告をしているような状態で。
(そもそもが、戦国大名長曾我部元親が死ぬ前までの何十年という隔たりもある)
ブランクのない私が、ブランクのある長曾我部さんに
そのままの調子で話しかけてしまえば、がきりと、歯車が音を立ててうまく回らなくなるのは当然のことだった。
だから、本当は、ただいまといったならばおかえりというような
帰る前の関係を構築する気だったろう長曾我部さんは、私との距離を測りかねて
ちらちらと途中から違和感を覚えているような表情を見せていたし
私もまた、そのようなことを感じていた。
まぁ、まぁまぁ。そもそもが生まれ変わってこっちに来るとかそういうこと自体が非常識なのだ。
違和感があるのは仕方あるまい?
けれど、それで姿を見せなくなるというのはどういう話なのだろう。
わざわざ隣に引っ越してまで来たくせに。
言いようのない気分になりながら、私は仕事帰りの疲れた体を引きずって
自分のマンションまで帰りついた。
そうしてエレベーターに乗って自分の階まで上がろうとすると
「乗るからちょっと待ってくれ!」
閉めるボタンを押す直前に、声が扉を割って飛び込む。
それに反射的に開くボタンを押すと、一人の男が、というか長曾我部さんがエレベーターの中に飛び込んできた。
…噂をすれば影がさすを体現してくれなくても…。
微妙な気持ちになりながら、私は閉めるボタンを押して扉を閉める。
次に自分の階を押してやると、エレベーターはかくんっと、ほんの僅かに中を揺らして動作し始めた。
すると、長曾我部さんは慌てて操作ボタンの方へと向き直って
そこで、初めて一緒に乗っているのが私だということに気がついて、一瞬動きを止める。
「…こんばんわ」
「おう、こんばんわ。今帰りか?」
「まぁ。そっちは…買い物」
疑問符は付けなかった。
手に持ったコンビニの袋と、そこから覗くカップラーメンの容器を見れば
一目瞭然だ。
なんつーか、侘しいな。
一人暮らしの男の実態のようなものを見て、私が何とも言えない気持ちになっていると
長曾我部さんは、しかしと口を開く。
「あんたと会うのも久しぶりだな」
「そうね。そっちが引っ越してきて以来?」
白々しいことを向こうが言ってくるので
同じように白々しく言ってやると、しかし長曾我部さんは私が思ったようなリアクションはせず
こっくりと頷いて鼻の頭をポリポリとかいた。
「………そうなっちまうか…。あれだな、隣だっつーのに別の部屋に住んでると
やっぱ会わねぇもんだな。あんたがいつ出勤してあんたがいつ帰ってんだかわかりゃしねぇ」
「え、会う気あったの」
長曾我部さんが、困ったようにそう言うのに、言葉が思わず口を突いて出たのは、仕方あるまい。
先ほど考えていたことが考えていたことだ。
彼の言い分からすれば、いつ帰っているのか分からないし
出迎えようがなくて困るということだけれども。
………いや、それはそうか。
このマンションは結構新しくて、防音もしっかりしている。
基本的にはファミリー向けだから、小さな子供が立てる騒音対策でかなり厳重に。
そういうことだから、室内に居ては、私が帰ってきた玄関の音で
気がつくことなど不可能に近い。
そりゃ、帰ってきたときには出迎えられないし、かといって確実に帰ってきているだろう夜遅くには
部屋まで訪ねてきてお帰り、だなんて言いにくいわな。
それはもはや親切でなくて非常識だ。
と、なってしまうともう、長曾我部さん側からリアクションを起こすのは不可能に近い。
休日にしたって、寝ている可能性や何やら考えると、ねぇ。
長曾我部さんが来なかった訳に行きあたるとはっとして
彼の顔を見ると、長曾我部さんは酷い渋面を作ってこちらを見ていた。
「………あのな、あんた。俺が何のために越してきたと思ってんだ」
「あぁ、うん、ですよね」
「会う気がなきゃ、越してこねぇよ。
そりゃあ、あんたがそう思うの無理はねえのかもしれねえが。
俺とあんたの距離感を考えて、どうせ来ねえんだろうと思ってやがっただろ」
鋭く見られて、今度は私が鼻の頭をポリポリとかく。
図星。
ついでにうすら笑いを浮かべていると、長曾我部さんはふぅとため息を吐く。
「…そんなもんな、回数重ねて会やあ、解消されるもんだ。
そうだろ?」
「まぁ、………そうかな」
回数を重ねて会うこと自体が難しい。
けれど、私はそれが分かっているのに、口には出さずに肯定する。
だって、私の方だって長曾我部さんとこのままフェードアウトするのは惜しいと思っているのだし。
二度と会えないと思っていた人が、一続きで現れて
その人との間にちょっとのずれがあった所で、そのままフェードアウトしたいと思う人間がいかほど居るのか。
少なくとも、私は違う。
かみさまにおねがいして帰ってきたのが受け入れ難くったって
長曾我部さんは、今ここに、いるんだから。
でも、そうか。
長曾我部さんの側も同じ気持ちだったのか。
ぽぉんっと、抜けた音を立ててエレベーターの扉が開く。
自分の階に付いたことを確かめてから降りると、私は後ろに居る人の顔をちらっと眺めた。
戦国大名の長曾我部元親と同じ顔で一続きの、先生になりたい長曾我部元親。
彼の方は違うと思っていたけれど、違わないなら接触を躊躇う理由もない。
いや、色々と難しいと思っていたのよ。
彼サイドの気持ちというのは。
だから、このままでも良いかなと思って、無理やりにこちらからリアクションをとるのは控えていたのだけど
違うんなら良いや。
てくてくと歩いて、自宅の玄関まで来たところで
私は長曾我部さんの持つコンビニの袋に目をやって、それから彼に
「所で長曾我部さん、その侘しい食事をどうしてもとりたいんだっていうんでなければ
私とご飯食べに行かない?良い飲み屋知ってるんだけど」
「行く。置いてくるからちょっと待っててくれ」
ご飯は二人分も炊いていないから、外の食事に誘うと
長曾我部さんは慌てて自分の鞄から家の鍵を探し始めた。
いや、そんな急がなくても気が変わったりしないし。
私の方はこのままで良いので、玄関にもたれながら彼のその慌てっぷりを楽しむ。
「長曾我部さん、早くしないと置いていくよ」
「ちょ、待てよ!くっそ、なんでこんな時に限って鍵がねえんだよ」
がっさがっさと鞄を漁る音がする。
焦る彼の持ったコンビニの袋からぽろりと箸が落ちるのが見えて
私はあははと声を立てて笑ってやった。