デフォルトは、愕然とした面持ちで、目の前の光景を見詰めた。
先ほど、地震があった。
かなりの揺れで、洞窟の天井がぱらぱらと零れ落ち
ひょっとしたら崩落するかもしれぬと、生きた心地がしなかったのだけれど。
…けれど、それが終わってみれば。思いもよらない展開がデフォルトを待ち受けていたのである。
デフォルトの足に嵌った鎖の先は、洞窟の入り口付近に埋められている。
その地点の地面は、到底掘り起こせないぐらいに、固く踏みしめられ
指先を突きたてて見ても、少しも通らなかったのだけど、けど。
…丁度、重りが埋まっている辺りの地面が、ひび割れていた。
地震によってのことだろう。
激しい揺れは、洞窟の内部にヒビをいかせていたのだ。
危ないなと、どうでも良く思いつつ、デフォルトは目の前のひび割れの先を見る。
そこには、重りがあった。
何の重りなのかはいうまでもない。
鎖の先の重りだ。
地面に埋められていたそれは、地震でのひび割れによって顔をのぞかせ
デフォルトが足を動かすと、ぎっご、という音を立てながら
地面から這いずりだしてくる。
…足の鎖を手でもって引いてみる。
ごっ。という地面とすれる音を響かせながら、重りはデフォルトの足元へとたどり着いた。
それを見下ろして、彼女は持って走れないことはないだろうなと、考える。
持って走れないことはない。
埋められた鎖の先が『ここ』にあるのだから、走って逃げれば、逃げられるかもしれない。
幸いにして小太郎はここには居ない。
逃げるならば、今。
つらつらと考えが頭の中を流れていく。
それを他人事のような気持で眺めながら、デフォルトはしゃがみこんで
鎖の先の重りを撫でた。
ひやりと冷たい感触がして、それは風魔小太郎の体温とは随分と違う感覚をデフォルトに与える。
…体温とは、違う。
そうして考えるのは小太郎のことだ。
安心したいと彼は言った。
現と彼岸の境に居るような心持の時、デフォルトを抱いて安心したいのだと、そう。
それを思うと、デフォルトの気持ちに迷いが生じるのは確かだった。

置いていくのは、小太郎さまが可哀そう。

正直な気持ちとして、そうデフォルトは思う、思ってしまう。
デフォルトは小太郎が嫌いじゃない。好き、かもしれない。
いや、好きと言ってもそれは愛だの恋だのいう気持ちでなくて
今のデフォルトの心境は、飼い犬を捨てて引っ越しをする時のような気持に例えるのが
一番妥当だと思われた。
………動物のように、可愛いと思う。
体をどれほど触れ合わせても、求められないからこそ
デフォルトは風魔小太郎と言う人間に対して愛着を持てた。
家で飼う犬のように猫のように、可愛い、愛しいと、彼に対してデフォルトは思う。
けれどもここで小太郎に飼われる生活もどうかと思うのも、また事実で。
それだから。
彼女は呆然と立ちすくんで、洞窟の入り口を見て。
小太郎が帰ってこないと、近辺から生きものの気配がしない事から知って。
―そして。













風魔小太郎が洞窟に帰りつくと、まず。ひび割れた地面と
鎖の先が抜かれた痕跡が目に飛び込んできた。
それに、ざっと血の気が引く気配。
地震があったからそのせいだろうと予想はついたが、鎖がない。
女も見当たらない。
それは、そうだ。
鎖でつないでおいたのだから、鎖が外れれば、逃げてしまう。
ふっと、小太郎の口から息が漏れる。
ようやく手に入れたと思った体温が、逃げた。

人を殺すのが、一人であれば良い。
けれども皆殺してしまって、一人も生きた者が場に居なくなると
いつしかふと、小太郎の頭に浮かぶようになった考えがあった。
今、これは現実であるのか。
己は生きているのか。
もしかするとこれは地獄で繰り返されている悪い夢で
実のところ自分はもう死んでいるのではないか。
この倒れている者たちと同じように、心臓が動いていないのでは。
むしろ、他の者は生きているのか。
生きているのは自分だけで、他の者は生きているように見せかけて死んでいるのでは?
どうでもいい、考えだ。
普段ならば考え付きもしない下らないこと。
けれども、戦場にて皆、手にかけ殺して、一人も生きた者が居なくなった場所に居ると
それが正しいような気持になる。

皆、血を流している―生きているものは誰もいない。
皆、死んでしまっている―冷たい。ピクリとも動かない。
自分は、生きている―本当に?錯覚で無く?

だから、小太郎は初めてそこで他者を求めた。
生きてきた内で、他の人間を求めることなどありはしなかったのに。
疑念が内から這い上がってくるようになって、初めて。
それは随分な屈辱を小太郎に与えたが、日増しに強くなる己の疑念に対して
とうとう小太郎は膝を折って、致し方なく他者を求めることにした。
そうして、手に入れたのがあの女だ。
猪から助けてやった女。
傷ついて、最初は逃げる心配がなかったけれど
傷が治ってきたから鎖でつないで、自らの手の中に留め置いた。

―最初は誰でも良かった。

人を大量に殺して、湧いてきた疑念を他者の体温を感じることで
晴らしたかっただけなのだから。
けれども長く馴染んでいれば、やはり愛着と言うものが湧く。
あれが良いのに。
抱いて寝るならあれが良いと、名前も知らぬ女の顔を思い浮かべながら
小太郎が居ないと知りつつも、寝所の仕切りをいつものように外す。
と。
「…おかえりなさい」
そこには、困った顔をした女が居た。
彼女はこちらを視認すると、困った顔のまま両手を広げて小太郎を迎え入れようとする。
その足にある鎖の先は、もはや何処にも繋がれていないのに。
けれども女はそこにある。
信じがたいような気持でふらふらと近づいて、女の広げられた両手の間に飛び込むと
女は小太郎を優しく抱いて、軽いため息をついた。
それに、女が逃げられると分かっていて逃げなかったことを知り
小太郎は、どうにもならない気分になる。
…逃げてしまえばよかったのに。
先ほどとは反することを考えながら、小太郎は女の顔を見た。
今までずっと見てきた顔だ。
けれど。
小太郎は女に関する興味が、そこで初めて自分に沸いたのを知りながら
女の手をとり、手のひらを指でなぞる。
そうして、書かれた文字は。








お、ま、え、な、ま、え、は、な、に。





それに女はそう言えばそうだったと、ぱちりと目を瞬かせた後
小太郎の手をとって、己の指先でなぞるのだ。
名字デフォルトデフォルトと。
デフォルト
そう教えられた女の名前を声を出さずに繰り返して
それから小太郎は布団の中に女を、デフォルトを引きずりこんで抱きしめる。
そうすると、女はいつものように小太郎の頭を撫でて
二人して目を閉じた。
デフォルトの体温が己の体温に馴染むのを感じながら
小太郎はもう一度、デフォルトと胸の内で女の名前を繰り返し
浅い眠りの底へと引きずり込まれていった。