洞窟の中は、もはや住居と言って差し支えなかった。
厠も、仕切られた寝所のようなものさえある。
あれもこれもそれも、全て目の前の忍びがしつらえた物であるが。
洞窟の隅に埋められた鎖の端から、デフォルトが届く範囲で
生活のすべてが営めるように、ここは作り上げられてしまった。
逃がすつもりが本当に無い。
忍び、風魔小太郎の本気を、今更ながらに思い知りながら
デフォルトは洞窟内を改めて見回して、それから壁に背をもたせかける。
「でも、何もしないのは、暇が過ぎるわ…」
男の思うとおりにここに囚われるのは、もう仕方のないことだと諦めが半分入っている。
小太郎のことは嫌いでないが、ここにずっと囚われているのは、嫌だ。
けれども、逃げようと努力して、鎖を切ろうと頑張ってみても
鎖はいくらやってもちぎれない。
埋められた鎖の端を、掘り返して引きずって逃げようか。
そう思ったこともあったけれど、それは途中で小太郎が来たときに
言い逃れのしようもない。
多分、逃げようとしたならば、次は足の腱を切られるのではないかしら。
冷静に考えつつ、デフォルトは作られた寝所まで行って
布かれた布団にごろりと横たわる。
布団は、デフォルトが寝たこともないほどにふっかりとしていて
上物だということを彼女にしっかりと伝えていた。
…風魔小太郎。北条の、忍び、だったわよね。
旅の者であるデフォルトは、旅を続けるために情勢の危い国には近寄らぬようにしていた。
それ故に、耳ざとく噂を聞きつけ情報を仕入れ、どこそこが危ないだとか
優秀なものを雇い入れて戦力の増強を図っているだとか
そういう話をきちんと聞き知っていた彼女は、自分を捕えている男の名から
知っている情報を引っ張り出して、なるほどなとこの布団の納得をする。
「北条に仕える傭兵忍び様なら…こんな布団も手に入れられるわよねぇ…」
すぅっと指ざわりの良い布団を撫でながら、微かな溜息を、デフォルトはついた。
どうしてか。
そんなの、相手が手強過ぎるからに決まっている。
風魔小太郎は、伝説の忍びだ。
風の悪魔とも呼ばれるらしいが、彼は恐ろしく腕が立つと聞いている。
だから、特定の誰かに忠誠をささげて働く雇い忍びで無く
報酬で動く傭兵忍びがやれているのだと、そういう見方もあるけれども。
兎にも角にも、デフォルトが出しぬけるような相手では毛頭ない。
どうしたものかと思っていると、仕切りが乱暴にどけられて
件の風魔小太郎がそこから顔をのぞかせた。
噂をすれば影と言う奴か。
驚きながらもそれをひた隠し、起き上がったデフォルトに小太郎は迷わず抱きついて、首筋に顔を埋める。
ちくりと小太郎の髪の毛が首を刺したが、痛いと注意しても
止めてくれないのは分かっているから、口をつぐむ。
その代わりに、喜ぶと知っている、背中を撫でる行為をしてやると
彼はますますデフォルトを抱く力を強くして、布団へとなだれ込んだ。
妙齢の男女。
そういった行為が始まるかと思うような図式だが、
やはり風魔小太郎はデフォルトを抱かない。
そんな所に彼の目的は無いからだ。
それを理解しているからこそ、デフォルトはこの男が嫌いになれないのかもしれない。
例えばこれで男が仮に、デフォルトの体も目当てで、乱暴にされたとしたら
さしものデフォルトも男を憎んだだろうけれども。
指一本触れずにただ抱きしめるだけで、その上衣食住の保証までしてくれて。
そういうものだと思ってしまえば、堕落するのは容易い。
けれどもそれはデフォルトの自由が無くなるということと等しく
受け入れたくないな、と、その一点だけでデフォルトは逃げたがっている。
そう、逃げたがっているはずだ。
だが、男がデフォルトを抱く力は強くて。
その力に引きずられそうになる。
別にデフォルトでなくても良いとは分かっているが、ここまで求められると
仕方がないと、思ってしまいそうに、つい。
困る。と、漫然とデフォルトは思った。
だからとりあえず流されないように、なにかこの決して喋らない人に
話しかけて見ようと思って。
「どうして、私なんでしょう。小太郎さま」
口を突いて出たのは、かねてから聞こうと思っていたことであった。
どうしてなのか。
なんとなく察してはいるけれども、彼から聞いてはいないこと。
こうして自分をここに留めるる理由、訳。
もう男に囚われてから、四カ月にもなるというのに。
理由も分からずにただぼんやりと状況を受け入れてきた自分にも
今更ながらに気がついてデフォルトは呆れるが、それより風魔小太郎が
固まって動かなくなってしまったのに気づく。
うん?と思って覗きこむと、彼はどう答えていいのか分からない顔をしていた。
その彼の顔(といっても兜で隠れて見えないのだけれども)をしばらく見つめ
デフォルトは、はっと閃いて手を打つ。
今のは質問が悪かった。
別に風魔小太郎は、デフォルトでなくても誰でも良かった。
それは、きっぱりと分かっていることだ。
それなのに、どうして私なんでしょうも何もない。
気がついたデフォルトは、慌てて小太郎の髪を撫でてやりながら
自らの質問を訂正する。
「今のは、質問の仕方が悪かったです。私に意味がないのは知ってるんですけれども
…なんだろう、あの。どうして人が必要だったのでしょう、あなたに」
個体・単体でも生きていかれそうな、目の前の人にそう問えば
彼は少し考えた後、そっとデフォルトの手をとった。
何をするのかと、彼の行動を注視していると
小太郎はとったデフォルトの手のひらを指でなぞり、文字を書く。
ゆっくりと分かりやすく書いてくれる彼のために
一発で読みとろうとデフォルトがそれに集中をして、読み取れた言葉は、大層ひどかった。


ひ、と、を、こ、ろ、し、た、あ、と、に、ひ、と、に、さ、わ、る、と
あ、ん、し、ん、を、す、る、か、ら


人を、殺した後に人に触ると、安心をするから。

どうしようもない理由だ。
本当に、どうしようもない。
そして、それはデフォルトが思っていた理由と、一つもずれてはいなかった。
「安心」
だから、逆に驚いてデフォルトが小太郎の書いた文字を反復すると
彼はもう一度デフォルトの手のひらに文字を紡ぐ。


う、つ、つ、と、ひ、が、ん、の、さ、か、い、に、い、る、き、も、ち、に、な、る


それを書き終わると、小太郎は掛け布団をデフォルトの下からはぎ取り
彼女の体をかき抱いて、目を閉じる。
浅い眠りにつくのだと、すぐに起きてしまう、兜をつけたまま寝る男の顔を見ながら
デフォルトはそう思って、男の二度目に書いた言葉を、考える。
おそらくは、何故安心をするのかその理由が分からないと思ったのだろうけれども。
補足された言葉は、小太郎の身勝手さを更に強くした。
人を殺し過ぎて、人が生きていても死んでいても同じような心持になる。
だから、人を抱いて眠りたい。
その体温を感じながら、ここが未だ現であると、そう知りたいと男は言った。
勝手な話だ。
人を殺したのだから、その報いぐらいはきちんと受ければ良い。
そういう反応に普通はなるだろう。
けれども、まるで幼子が母親を求めるような仕草で
小太郎がデフォルトを求めてくるものだから、デフォルトはどうにもならないような
声が出なくなるような気持を味わって、困ったまま男の頭を撫でた。
別に、意味はない。
けれども小太郎は閉じていた目を開け、それに空気を少し緩ませて。
デフォルトの前髪を少し横に払い、それからこちらの体を抱きしめる。
体温が、欲しい。
男の力強い抱擁はそれを必死で伝えているようで
デフォルトは、この男は人を殺してきたのだと、男から伝えられた情報から知ったのに
耳に聞こえてくる小太郎の心音に、目を瞑って体を任せた。