孤独の傀儡(前編)
「まぁまぁ落ち着いて。ね?女の子は笑ってる方が可愛いって!スマイルスマイル!」
大学からの帰路、降り立った地元の駅の構内。
彼は二人の女子高生に挟まれ、貼り付けた笑顔でニコニコと仲裁している青年に見覚えがあり、ふと視線をやる。
夕陽の入り込む窓際に立っている所為で、天然物のオレンジ掛かった明るい茶色の髪がキラキラと必要以上に煌いていた。
真田 幸助。
己の弟である。
彼を間に挟み、今にも殴りあいそうな勢いの女子は、どうにも今時を地で行くタイプであり、一言に纏めるならば「ギャル」という種族だ。
望むと望まざると見た目の派手な弟は、それらの種族と見た目上、よく馴染んでいた。
世間ではギャル男とでも言うのだろうか?
そこまで酷くはないが、バシバシと開けているピアスの量や、服装、そして前述の髪色。
それらは自ずと彼をそういった方へと分類するだろう。
苦笑を見せて仲裁している様は、どう見たとて修羅場にしか見えず、彼は二股でも掛けていたのだろうかと、行きかう人々が興味本位の推測を立てながら去って行く。
下らぬ。
彼は弟を見捨て、助けてやるどころか何を言うでもなく、スタスタと歩を緩める事もないまま、それらを一瞥するだけして去って行こうとした。
だが、彼の弟は彼を神の如くに敬愛し、最早「狂信者」の域に達しており、更に付け加えるならば幼少期に叩き込まれた「忍」スキルを有する所為で、半径500m以内に兄を感知すれば、もれなく駆け寄って来ると言う習性まで持ち合わせていた。
故に今日も今日とて弟は兄を発見したのである。
「幸兄!」
「…………」
先程のまでの笑顔が「嘘」であると明白である、満面の笑みを見せ、彼の弟である幸助が、女子高生を置き去りに駆けつけて来る。
面倒な。
兄である真田 幸鷹は内心で溜息を吐いた。
もう一言付け加えるのならば、「空気を読め」だったかもしれない。
己が何の為に幸助を無視したのかが、彼にはまるで伝わっていないので、幸鷹は時折ひどく疲労を感じるのであった。
本人は断固拒否するだろうが、こういった点での空気の読めなさは父親譲りだろう、と幸鷹は思っている。
「……オンナは良いのか?」
「うん。どうでも良いよ」
どうでも良いのに、あぁもかかずらわっていたのか、と幸鷹にしてみれば呆れ返るものだが、幸助は兄以上に執着するものはないらしく、いつでもこんなもんなのだった。
あぁ、違うか。
幸鷹は内心で訂正を入れる。
幸助が執着するのは、兄である己と、母である花波の二人であった。
「貴様の女癖の悪さは父譲りよな」
「えぇ〜?親父って母さんが初恋の相手で、以来ず〜っと一筋なんだって言い張ってね?」
「ふ……何をぬけぬけと申すかと殴ってやりたい衝動に駆られるわ。初恋以前の行動とて消えはせぬ」
彼は実際、たまに父・佐助を遠慮なく殴っているのだが、それを幸助は知らないようだった。
どれだけ親父に興味がないのだろうか。
背後から掛けられている、絶叫にも似た女性二人の声を完全に無視した幸助は、嬉しそうに兄の横を歩く。
高校生になったばかりの弟だが、周囲に女を侍らすようになったのは数年前からであり、何故か毎回こうした修羅場を引き起こしているので厄介だ。
「揉めるのであれば、地元は避けよ。いらぬ風評で店に迷惑が掛かったら如何する」
「あ。そうか……ごっめん」
「俺に謝っても致し方あるまい」
「……うん」
幸助は生来、ひどく気の回るタイプである。
回しすぎて己の首を絞めているのではないかと思うほどに、だ。
故に……幸鷹は腑に落ちなかった。
言わずとも、そんな事くらい察していて当たり前だと言うのに。
弟は父親に似たのか、どうにも扱いにくい部分を孕んでいた。
屈折した甘えん坊。
他人の前では決して剥がさぬ強固な「面」を纏い、己を装い、人当たりの良さを演出するための笑顔の裏に潜ませた、酷く儚い孤独の下僕(しもべ)。
幸鷹から見れば、それは不要なものである。
母も、己も、弟をぞんざいに扱った事など皆無であろうに、どこで見つけて来たのだか、彼は幼少期よりその孤独を胸に飼っているのだ。
生い立ちを考慮すれば、己の方がよほどソレが似合うであろうに、と幸鷹は自嘲するも、彼は孤独とは無縁だった。
そもそも彼は独りが嫌いではない。
しかしそれは、己が真に独りではない事を充分承知だからであろうとも知っている。
つまり、幸助は真の意味では独りだと思っている、と言う風にも言い換える事が出来よう。
幸鷹には理解出来ない。
どうして、そのような見地に至ったのであろうかが。
少なくとも母は彼を酷く懸念し、常に心を配って来ているように見えた。
こう言ってはなんだろうが、幸助が夫に良く似ている事から、その心配は生まれ、同時に愛しさを孕むのであろうとも察せられる。
結局の所、母は幸助を愛しているというのに、彼は今なお、不安に苛まれ、孤独に怯えているのである。
理解出来ないと思う。
理解出来る日は来ないと思う。
だからと言って、幸鷹もまた、この酷く脆弱な精神を持つ弟を可愛く思わない日はなく、手を離す気もないのだ。
だからこそ、幸鷹は幸助の心を計る為、常に言葉を用意する。
彼の周囲を柔らかな真綿でくるんで守るように、そっと何処へ転んでも痛まぬように思惟するのだ。
「孕ますような真似はするでないぞ」
「……しねぇって。俺様、コレでも身持ちは堅いんだぜ?」
幸兄こそ大丈夫なの?、と切り返され、幸鷹は苦笑を返した。
弟は孤独の傀儡(かいらい)と言う欠点を持つが、己もまた大きな欠点を擁しているのを知っている。
幸鷹は他人を愛した事がない。
家族以外を愛せない。
その中にも順位が整然とつけられ、最上位に母、次いで幸助、そうして妹である。
それに一切の狂いはなく、何を考慮する際にも大前提に据えられるのだ。
幸鷹は己という男を良く知っている。
類稀な外見の良さ、知性にも体力にも劣る部分はなく、ほぼ完璧と呼んで構わぬ人間である事を自負しているのだ。
そう言い切れてしまうだけの厚顔さと、矜持の高さから、全てに対して損得勘定をし、それ故に人付き合いを表向きそつなくこなす。
しかし、残念ながらそこに「心」はない。
全ては家族の為になるかならないか。
利用出来るか出来ないか。
ただ、それしか計算されないのだ。
心も計算材料の一つだと考えるからこそ、彼は己のルックスの良さを利用する。
母も幸助も知らないだろうが、彼は対人関係に心も情も持ち合わせぬからこそ、男女すら気にしない。
ベッドに入るのに、それを気にした事がないのである。
利用できる相手ならば寝ても良い。
そうでないなら、口を聞く必要もない。
まぁ男相手に足を開くのは屈辱的な気がして好かぬ為、己が弄んでやるようにしているのだが、それでもあまり良い気はしないので、基本的に女性が相手ではある。
この考えは、彼が小学校高学年の頃には確立されていた。
徹底した利己主義。
それが己と言う人間を示す、最も相応しい物であろうと、幸鷹は自認しているのだ。
しかし、弟は己とはまるで違う。
簡単に言うのならば、優し過ぎる、とも言えるだろうが、その一方で先程のように、酷く冷淡な面も見せるから厄介だ。
己は固定の相手を持たない主義だが、幸助はどうしてなのか、恋人という肩書きを欲しがっているように見える。
『恋人』または、『彼氏』『彼女』そういった肩書きを持ちながら、それでも癒されぬ孤独を誤魔化すように、誘われるまま、何人にでも「良い顔」をする最低な男を地で行く幸助は、どうしたとて修羅場を生むのだ。
何度繰り返しても懲りる事がない。
それが彼女たちを毎度傷付けている事とて、空気を読むのに長けているはずの幸助は理解しているはずなのだ。
なのに、なぜ。
その答えを知っていたのは妹だった。
彼女は何につけても無関心でいるように訓練されている為に、幸助のこんな暮らしぶりなど知らぬまま過ごしているのだが、それでも彼の孤独を知ってはいた。
『寂しいのです。いつも、いつでも、どうしても、どうやっても、どうあっても』
侘しさが背を這うように、孤独が影から顔を出すように。
足元から手を伸ばし、掴み、引き摺り込もうと狙っている。
怖い。
暗い底の淵へ堕ちたくない。
捉まえていて欲しい。
必要だって思って欲しい。
落ちないように、強固な鎖のように、愛情で雁字搦めになっていたい。
幸助に同調した花凛の吐き出した言葉は、それはまんま彼の心の声そのものだ。
少なくとも、幸鷹はそう思っている。
その声を聞いた時から、幸鷹は一つだけ理解できた事がある。
―――胎内記憶、であろうと。