十二月。
息も白く凍りつくような寒さの頃。
身を縮こまらせながら学校に行った私は、教室に入って自分の席に鞄を置く。
…寒かったぁ。
家の中だけ姉弟の私たち。つまりは外では他人ということで
赤の他人の慶次と時間をずらすために、私の方が早くに出ている。
その分だけ、日が照ってなくて寒いのだ。
あぁ、もう…。寒いよ。
指をこすり合わせながら、席に着こうとして。
けれどそれを阻むように、既に教室に居た石田がこちらに近づいてくる。
デフォルト、今日日直だよ。日誌取ってこないと」
そう彼女に言われて初めて、私は今日自分が日直だったということを思い出した。
忘れてたな、日直か。それよりも日誌か。
日直の人間は、職員室に朝、日誌をとりに行かなければならない。
廊下寒いのに。
けれど行かないわけにもいかないので、寒いのに嫌々ながら廊下に出ると、ふと向こうに見知った影が見えた。
長い髪を頭の上でくくった、女の子のようなポニーテール。
そのくせがたいは素晴らしく良いときている、うちの義弟その人である。
横には橙色の髪の毛をした…猿飛君だったかな?
カッコイイ!って騒がれている有名な子と一緒に歩いてくる義弟。
けれども彼は、こちらに視線を向けもしない。
私も、視線をごく自然に彼から外す。
ぱたんぱたんと、猿飛君と慶次がたわいもない話をする中に上履きの間抜けな足音が混ざり。
そうして、家ではじゃれじゃれと遊んでいるくせに、目もあわさず私と慶次は通り過ぎた。
学校であるから。
頭の中ではそう思うものの、どこか寒々しいものが私の心の中を抜けていく、が。
…それを見ないようにしながら、私は職員室へと足を運んだ。










職員室についた私は、引き戸を開けて、失礼しますと室内に入る。
すると、部屋の中には我がクラスの担任である長曾我部先生しかいなかった。
おや。
いつも人が居る職員室なのに珍しい、と一瞬思ったものの
時刻が早すぎるのだ、多分。
ひたすらに時間をずらすために、アクシデントが起こっても良いように
私も慶次も早めに学校に、時間をお互いずらしながら来ている。
だから、普通の生徒はぽろりぽろりとしか登校していない時間だ。
先生もまた同じくという話だろう。
運動部の顧問の先生だとかは、もっと早くに来るだろうしね。
職員室に人が居ない理由に得心がいきながら、私は長曾我部先生に近づく。
そうしておはようございます先生日誌をくださいと
私が喋る前に、彼は辺りを見回してから

「はようさん。新しく出来た弟とはうまくいってんのか?」

こういうことを唐突に仰った。

基本的には誰にも喋って居ない私と慶次の関係だが
(うちのクラスの石田にも喋っていない)
さすがに学校側にはそうもいかず、うちの担任とその他学年主任ぐらいは
私と慶次が義姉弟になったことを御存じだ。
だからたまぁに。
うん、たまぁに、探りが入る。
学年主任の場合は、下世話な勘ぐりが多いに入っているだろうが
この人の場合は………。
考えながら、私はそう言った長曾我部先生を見下ろす。
背の高い先生を見下ろすのは、この人が座っている時ぐらいしかできないから
なんだか物珍しいような気もした。
…どうでもいいけど。
答えるのが面倒だから思考をそらしてみたものの
現実問題、問うてきた相手がすぐ目の前に居るのだから
それでどうにかなるわけがない。
日誌、受け取りに来ただけなのになぁ。
日直の仕事がなければ。
もしくは職員室に人が居れば。
こんなことにはなっていないと思うのだけれども。
けれど、なっているのが現実で、問われたのも現実だ。
私は朝日に明るく照らされる職員室の中、小さくため息をつく。
ちょっと面倒。
けれども私はそういう表情をせずに、優等生然とした表情で
「上手くやってますよ。学校では、面倒になりそうなんで関わってないですけど
家では普通に喋ったり遊んだりしてますから」
「そうか、ならいいんだけどよ、ほら、お前らは色々と難しい年頃だろ」
どうにも心配でよ。
そう続ける長曾我部先生の瞳に宿る色に、嘘は無い。
あくまでも真摯にこちらを見ている。
………だから、困るんだよなぁ。
長曾我部元親といううちの担任は、今どき珍しい『熱い』先生で
男女問わず兄貴!と慕われている気風の良い人だ。
そういう先生だから、真実、行き成り環境の変わってしまった
難しいお年頃の私とついでに慶次を心配している、のだろう。
それが分かる分、適当にはかわしにくい。
つい真面目に、
『慣れましたけど。仲良いですけど。嫌いじゃないですけど。
でもやっぱり家に他人が居るのは一瞬ドキッとする時がありますね』とか
『本当は他の生徒にばれないか不安があります』とか相談してしまいたくなる。
家の中だって、学校だって、さっき慶次と無言で通り過ぎたような心持になる時がないわけじゃない。
なにしろ、私は、いや、多分慶次も、難しいお年頃なのだから。
けど、そこはなんだ、あれ。
なにぶん、うちの家族のデリケートな問題ですので。
その辺りの難しい気持ちというのは、誰にも相談したくないし、話したくないという気持ちの方が強く
見ないように努めながら過ごしている。
ここで下手に相談して、気持ちを外に出してしまいたくない。
だから私はへらっと笑って、何も問題ないです。仲良くやってますと繰り返した。
それに長曾我部先生は、一瞬唇を動かしたけれども、結局はそうか。と頷くに止める。
…この先生が男女問わず、特に男子に猛烈に慕われる理由の一端は
こういう具合に、踏み込んできて欲しくない所への線引きは、きちんと出来ている所。
そういった反応をされると、引っ込めたものを
吐き出してしまいたいような衝動にかられるけれど、我慢我慢。
ぐっとこらえて、何気ない表情を取り繕いながら
先生に向かって、「日誌ください」と言うと、彼は机の上から日誌を探し出し
私の方へと差し出しながら、こちらを見上げる。
「まぁ、色々あるだろうが、あんま無理すんなよ。
三年のお前らは、後三カ月で、あっという間に卒業だし、難しいだろうが、気楽にやんな」
「はい、ありがとうございます」
先生の薬指に光る指輪が、きらりと蛍光灯の光を反射して鈍く光るのを捉えながら
私は深く頷いて日誌を受け取り、職員室から静かに立ち去った。




職員室から出ると、廊下も朝らしくさわやかに明るい。
その中を歩きながら、私は窓の外を見て、ほぅと息を吐く。
教室内は暖房が利いているけど、廊下は寒いから。
息が白く染まるのを視認しつつ、私はもう十二月だからなぁと考える。
そう、もう十二月なんだよね。
先生のいった通りに、後三カ月すれば卒業だ。
一月の終わりに卒業考査を受けてしまえば
あとは休みだし実質はあと二カ月。
そこまでどうにかばれずにいれば、逃げ切りか。
冬休みも挟むし案外短いなと、指折り日数を数えていると、
何気なく視界の端に、慶次の教室が映る。
それに私は一瞬動きを止まらせて、それからなにもない顔をしながらそこを通り過ぎた。