豊臣軍は破竹の勢いで日本全土を制圧していく。
その勢いには、様々な理由と思惑があったが、色々なものを踏み潰して
彼らが進んでいくのには違いない。
そうして、彼らはその踏みつぶすものに構うことは無く、進む。
人が地面を歩く蟻を踏んで行くのと同じように、構わずに。
であるから、踏み潰される勢力の中には彼らのその態度に反発し、踏まれても恭順せず
そのまま潰され皆殺しにされる勢力も少なくはなかった。
そうして、この目の前の女の所属していた軍もその一つで
軍の上部にいたこの女は、主とは別に捕らえられ、牢に入れられている。
格子を挟んで向かい合った女、デフォルトのところにわざわざ竹中半兵衛が足を運んだのは
どうという訳もなく、デフォルトのことが気に入らない。
ただ、それだけの下らない理由でしかなかった。
そうして、時間に追い回されている竹中半兵衛が、それほどまでに
この女が不愉快なのは、女が半兵衛に慕情を抱いているからだった。
特に、口に出して言われたことはない。
ただ、視線が顔が目が何もかもが、好きだと語るのだ。
その語りかけられる言葉が、半兵衛には鬱陶しくて憎憎しくてたまらない。
だから負けたくせにまだ好きだと目が言っているデフォルトに
侮蔑の視線を投げかけて、彼は口を開いた。
「君は愚かしいよね、僕も驚くよ。
なにがどうして僕の事を好きなのか、僕には分からないな」
「あなたのことなんて好きじゃない」
半兵衛が語りかけた言葉に返されたのは、否定だった。
それはそうだろう。
ここで認める人間が何処に居る。
デフォルトは敗者で半兵衛は勝者。
デフォルトは半兵衛の敵で、半兵衛はデフォルトの敵だ。
けれども、そう。
隠せていない嘘は、隠さない方がましなほどに
半兵衛を苛立たせるばかりであった。
だからその苛立たしさを敗者には隠す価値もないと、
彼はそのままに表情に出し声に表し女を詰る。
「あぁ、そうだといいと僕も思うよ。
でもそのためにはその鬱陶しい目をやめて欲しいのだけれどね」
「言いがかりです、あなたなんて好きじゃない」
「そう、では、その傷ついたような顔はなにかな」
「違う、あなたなんて好きじゃない」
「言いながらどんどん泣きそうになっていくのは止めて欲しいね。
泣けばすむと思っているのかと思って不愉快になる」
自分で自分の言った言葉に傷つくように、半兵衛の言葉に傷つくように
デフォルトの表情が見る間に歪み。
そうして不愉快になるといった仕舞いには、うつむき泣きそうな声で首を振る。
「違う違う、好きじゃない、好きじゃない」
その声を聞いて胸がすくような思いになりながら
半兵衛は格子に手を伸ばして、触れる。
かすかな音がたったそれに、デフォルトが伏せていた顔を上げて、半兵衛と目があった。
その瞬間に、半兵衛は胸がすく思いのまま、かすかに微笑んで彼女を見つめる。
彼女は泣いている方が良い、傷ついている方が良い。
己がそれをしているのだと思うと、余計に気分が良かったが。
だから、半兵衛は更に格子の中へと手を伸ばして、デフォルトの髪を手に取る。
牢屋に入ってからずっと、洗っていないせいで
彼女の髪はべとついていたが、何一つ構うことなどありはしなかった。
デフォルトの事を、更に傷つけられるなら。
「認めてしまえば良いのに。僕はここに居て、君はここに居る。
何かが変わるかもしれないとは思わないのかな」
「………………なにが変わるというの」
「さぁ」
曖昧に微笑んでみせる。
言って変わるかもしれないという希望を含ませて。
それにデフォルトは歯を食いしばった顔で
「言っても何も変わらない、でしょう」
「ということは、君は僕のことが好きだと暗に認めたわけだ」
「っちがっ」
ばっと顔を上げ目を見開き、誘導尋問に引っかかった己を恥じる顔をして
デフォルトは半兵衛を見た。
………そう、それで良い。
そうでなければ、この嫌がらせには意味がない。
意味。
浮かんだ考えの中の単語に注目しかけて、半兵衛はそれこそ意味のないことだと否定をする。
意味はない。
価値はもっとないけれども。
だから、何もない顔をして半兵衛は手に取った髪の毛を離して
今度はデフォルトの手を取り立ち上がらせながら、誘うのだ。
彼女を絶望の淵へと叩き落すべく。
「そうか、じゃあ、行こうか。
今日は君の主が首を刎ねられる日だからね。
主の最後ぐらいは見届けたいだろう?
そして、君の主の首を刎ねるのは、僕だ」
首を刎ねるなどというのは、半兵衛の仕事ではなかったが
やりたいと言えば半兵衛に対して逆らうものなどは居なかった。
軍の頭である豊臣秀吉は、親友の頼みならばよほどのことでなくば聞き入れるし
それ以外は言わずもがなである。
だから、半兵衛は自分達が踏み潰す頭の首を刎ねる仕事を
今日は承り、これから実行をするのだ。
そうして、それをこのデフォルトにみせようというのは
ただの半兵衛の余裕、贅沢、意味のない嫌がらせに過ぎない。
それが分かっているからこそ、デフォルトは絶望的な顔をして
愕然と半兵衛を見た。
その表情がおかしくて、今度は作り物でなく本当に笑って
半兵衛はふふっと声を零す。
「なんて顔をしてるんだい、君が僕を好きだといって、僕が受け入れるとでも?
言ったじゃないか、不愉快だと」
「………………いや、がらせ、にもほどが」
「仕方がないだろう、不愉快なのだから。
君が、僕の事を好きなのが、本当に僕は不愉快だ」
困った子だねと、母親が子どもに言うような慈悲深い調子だった。
どうしようもないほどの拒絶がそこにはある。
悟ったデフォルトの表情と、半兵衛の表情は全く対照的で
それなのに半兵衛は更に続けて言うのだ。
「あぁ、でも、うん。主の首が飛ばされるのを見て
それから君の同僚達の首が飛んでいくのを最後まで見届けた末に
それでも僕のことが好きだと君が言うのなら、不愉快ではあるが
そのしつこさに免じて、君を使ってあげよう」
「使う、なにに。私は豊臣には降ら」
「安心したまえ。要りもしないよ、君のような弱いものなど豊臣には。
僕が使うといっているのは、君の体だ。
秀吉を残して逝く僕が、秀吉のために残せるものを残すために
誰でも良い誰かに君を使うと、僕は言っている」
その意味を把握したデフォルトは、ざっと顔を青ざめさせ硬直する。
当然だろう、誰でもいいから豊臣秀吉のために、子を産ませる。
そしてその産ませる誰でも良い誰かにデフォルトを使うと半兵衛は言ったのだ。
半兵衛を好きなデフォルトに、誰でもいいところの役割を当てはめ
体を繋げるなど、なんて残酷でなんて悪趣味なのだろう。
「そんなに私がいやですか」、とか細い声で女が言う。
その当然の反応に半兵衛は綺麗な顔で
「君だけが嫌なのではないよ、誰でも皆嫌なんだ。
まぁ、君は特別不愉快なんだけどね」
あなたをすきなわたしがいやです
デフォルトの見開かれた目から、つぅっと涙が落ちる。
その涙が薄暗い牢の中にぽとりと零れたのを半兵衛は
なんとはなしに、勿体無いと思った。
…意味も、価値もないけれども。