最後の瞬間を、覚えている。
すごい勢いで迫るトラック。
撥ね飛ばされる自分。
宙を舞う鞄。
赤い赤い、血液。

「……ね……た、…た、ってば」
「え?」
「あなたはどんな特技を持っているの?」
聞かれて、私は目を瞬かせた。
目のまえには、見知らぬ女の顔。
後ろにも、知らぬ女の山。それから、豪奢な和室。
………知らぬ間に転寝をしていたらしい。
ぼんやりと霞む寝起きの頭で、今の状況を思い出していると
女が随分と呑気なものねと、呆れた口調で言った。
「それとも興味が無いのかしら、お市様の侍女なんて」
「いえ、そんなことは………」
その女の言葉に、状況を思い出して、私は慌てて否定する。
危ない。
私は今、ただの女子中学生でなくて、主家に奉公に上がった侍女としてここにいるのだ。
ぼろが出てはいけない。
出来るだけたおやかに見えるように首をふり、私はこっそりと自嘲の笑みを浮かべる。
……我ながら、可愛げのない。
十四という自分の年齢を思い返して、もう少し、子供らしくしたほうが良いのだろうかとも思うが
性格など、そうそう変えられるものではない。
大体、この性格のおかげで、私はここにいられるのだ。
…………私は、自分の最後の瞬間を覚えている。
そして、私は私がこの世界の人間じゃないことを、覚えている。
頭がおかしくなったと思われそうな、そんな情報だが、覚えてないよりかは、覚えているほうがいい。
そのほうが、良く立ち回れる。多分。
私が十四のあの日まで生きていた世界には、武士なんてもういないし
電気も水道もガスも通っていて、薪で火をおこすなんてそんな非効率的なこと、誰もしちゃいなかった。
着る服だって洋服で、目のまえの女達や、今の私みたいに着物なんて着やしない。
年号は平成。
暮らしていた国を動かしてたのは、大名じゃなくて、総理大臣や内閣や国会。
小学校や中学校は義務教育。
高校から後は自由。
至って平和で、刀なんて持ってたら、捕まるようなそんな世界。
こことは、何もかもが違う。
戦国時代とは、似て非なる世界を思って私は、心の中で全くなんてこったと思う。
こんなことになって生きているのと、あの時死ぬの、どっちがましなのだろうか。
…どうして私がここにいるか。
それは最後の瞬間を覚えている、そのことに多分起因する。


私がいつものように、休みの日、山へ山歩きに行ったときのことだ。
その帰り道に後ろから猛烈な勢いで迫ってきたトラックに、轢かれ撥ね飛ばされて
ぽーんと、体が宙を舞った。
千切れかけた腕や、血塗れの足、赤い赤い血液、宙を舞う鞄を
私は良く覚えている。
熱いだけで、痛みは無かったけど。
そして、ガードレールを飛び越え、崖下へまっさかさま。
このまま叩きつけられて、ジ・エンド。
短い生涯でした、お父さんお母さんごめんなさいと
諦めの謝罪をした次の瞬間には、私は私を拾った人たちの家の庭にいた。
正確に言うならば、その人たちが作った祭壇の上にいた。
しかも、無傷で。
奇妙なこともあったものだ。
右腕など千切れかけていたというのに、まったく元の通り、傷一つすらなかった。
だが、私には驚く暇も与えられなかった。
拾った人たちが、私に詰め寄ってきたからだ。
『あぁ、!!』
『な、なんで私の名前を…』
『本当になんだね…良かった!良かった…!!』
両の手をいきなり握り締められ、見知らぬ男に縋りつかれる。
ぞっとした私は男を蹴り飛ばそうとしたが、それより先に男が顔を上げて私を見る。
『お前が死んでしまったときには、どうしようかと思ったが…
これで我が家も存続できる……!』
『……では、御代は後でお支払いくださいませ…』
怪しげな格好をした白い着物の男が、男に一礼して去ってゆく。
その姿にぞっとしたものを覚えたが、それよりも先に男の方だ。
男は良く見れば、現代ではまずお目にかかれないような着物を着ていた。
その男の格好に、私は一瞬死後の世界かとも思ったのだが
しかし、それにしては男の言葉が引っかかる。
お家が存続とは、死後の世界にしては随分と生々しい。
大体男は死んだときにはと言った。
……私は男の様子を黙って伺う。
すると男は『ひょっとして私が分からないのかい?』と自分を指差して、こちらに尋ねてくる。
……非常に都合の良い展開に、私は黙ってこくりと頷いた。
嘘は言っていない。
男と私の間に、認識の齟齬があろうと、その回答に嘘は無いのだ。
全て、正直に話さねばならんということもあるまい。
男は一瞬、呆気にとられた表情を浮かべたが、『蘇らせたのだ、その位のことはあるだろう』と頷いた。
なんて、都合の良い。
男の言葉に、なんとなくだが事態を把握して、私は心の中で安堵した。
ここがどのような世界だろうと、私の身は、とりあえず安全を保障されているわけだ。
……そうして、男の説明はこうだった。
自分は織田信長公に仕える武家のものだ。
自分には一人娘が居たが、病で死んでしまった。
しかし、その直前に織田信長公から妹君の侍女を募る旨の書状が届き
自分はそれに、娘を向かわせる返事を書いてしまった。
主君に違うわけにもいかず、また娘が侍女に雇われた暁に支払われる給金を当て込んで
買ったものもある経済的な状況から、娘を陰陽師に頼んで蘇らせた。
…おおよそ予想と違わぬ答えだが、そこは誤魔化しておいた方がよいのでは無いだろうかと
思う事柄がちらほらと…。
まぁいい、触れまい。
私は賢しい子供であるので、男の言葉に黙ってまた、頷いた。
男の様子から見ると、男の子供と私はそっくりで、またいかなる偶然か、名前まで同じようだった。
私は男の子供に成りすますことを決めて、男のことを父上と呼ぶ。
男は感涙を流さんばかりの勢いで、私の手を握り締めた。
自分ごとながら、薄汚い。
しかし、一度死んですぐにまた死ぬのはごめんだった。
あからさまに現代で無いここで、真っ正直に自分が男の娘でないことを告げて
放り出されれば、私は飢えて死んでしまうだろう。
その想像は難くない。
私は男の手を握ったまま、何でこんなことになったのだろうと
自分の身の上を嘆いたのだった。



そうして、私は蘇ったから、何も覚えてないという事にして
一から教育を受け、妹君、お市様の侍女として今この場に立っているわけだ。
我ながら、なんとも数奇な人生だことで。
「………それにしても」
「……?」
「皆様と、私。随分と人数が多いのですね」
男の説明では、選考があるだとかそういうことは言われていなかった。
もしも仮に、全員がお市様の侍女だとすると、えらく人数が多くないだろうか。
全員で二十名ほどいる室内の女達の数を数えて、私は首を傾げる。
質問を無視された形になった女は、一瞬顔をしかめたが
「そうね」と、私の言葉に同意した。
「それは、思うけど……思うに辞める子が多いからじゃないかしら」
「辞める子が多い」
「えぇ、お市様の侍女を募るのは、これで三度目なのですって」
「どうにも、続かないそうよ」
「…そりゃあ、信長様の妹君ですもの……それに戦場に立たれる事もあるというじゃない」
「恐ろしいわ…」
後ろに居た女達が、会話に参加してくる。
女三人いれば姦しいと言うが、室内には山のように女がいる。
部屋の中は一瞬でこうるさくなった。
「二十人いても、何人残るのかしらね」
「分からないけれども……辞めないでね、お願いだから。私最後の一人になるのは嫌よ」
「さぁ、それは保障できないわ。身分の高い方に見初められるかもしれないじゃない」
「ないない…見初められて嬉しいの、あなた」
「…どうせ嫁ぐのならば、暮らしが良い方が、良いわ」
「私はどうせなら普通の方が良いのだけれど…」
「他国の方が、来た時に見初めてくださるかもしれないじゃない」
「あなた、良くそこまで楽観的に生きられるわね…」
「でもその気持ち分かるわ…」
「分かるの?」
「えぇ、だって、貧乏って本当にいやなのよ」
「…実感篭もってるわね…」
「お給金目当てに送り込まれれば、そりゃあね」
「武士は食わねど高楊枝」
「お洒落したいのよ、私だって」
ぴぃちくぱぁちくと、やかましく女達が囀る。
話についていきたくなくて、私は一歩離れた場所へと下がった。
……私は、こういう性格上真っ当な女性とは、あまり仲良くなれるほうじゃない。
仲良くなれるとしたら、どこか歪んだ性格の良くない女だ。
友人達の顔を思い浮かべて、じわりと視界が滲む。
帰り、たい。
思って、それからその感情を打ち消して、素早く目元を拭う。
そんな悠長なことを思っている場合ではない。
胸に手をあて、すぅはぁと息を吸って吐く。
そうして、手を下ろしかけたその瞬間。
部屋の襖が静かに開いた。
「おやおや、随分と…」
言いながら入ってきた男は、病的なまでに白かった。
白い髪、細い身体。そのくせ、身長ばかりが高い。
「明智様だわ」
呟いた、前の女の言葉に、私はもう一度男の顔を見る。
そうか、あれはあけち様と言うのか。
整っている顔をしているが、不気味な男だと思った私だが
男の手に、馬鹿みたいな大鎌が握られているのに気が付いて、ぎょっとする。
あんなものが、何故必要?
それとも、こういうのはこの世界では常識なのだろうか。
歴史の授業で習った、戦国時代の情勢と異なる状態になっているこの国の状況を思い出して
私が内心で唸っていると、びしゃりと、突然に生暖かい物が顔に降り注いだ。
「……こんなには、必要ないでしょう」
呟いた男の声が耳に入る。
恐ろしく、どうでも良さそうな声だった。
そうして、私はその声に納得をする。
あぁ、どうでもいいから、こういう事が出来るわけだ。
目のまえには、先ほどまで不安げに、そして楽しげに囀っていた女達の変わり果てた姿。
畳はどす黒く変色し、あちらこちらに、女達の残骸が散らばっている。
首、腹、臓物。
赤い血が視界の端々に映り、死に絶えた、口をあけて愕然とした表情の女達と目が合った。
私は少し視線を上げて、男が振り上げた鎌を見る。
凶器は、あれだ。
離れた位置にいる男が、どうやって女達を殺したのかは分からないけれども
鎌からは確かに血が滴っている。
そして、私が助かったのは、単純に女達よりも一歩離れた位置に居たからに過ぎない。
散らばった、女達の死体を見ていたあけち様と目が合う。
「おや、全員殺してしまったかと思いましたが、まだ生き残っていましたか。
これは運のいい」
死にたくない。
それでも、やはり彼は私を殺すんだろうか。
大鎌が振りかぶられるか否か。
生死を分ける動きを注視して見守っていると、あけち様はくっくと、不気味な笑い声を漏らす。
「まぁいいでしょう。あなたで。そろそろ決めろと信長公にも言われていたところです。
そこで斬り零す人間が出てくるとは…。私も、あなたも運のいいことですねぇ」
あけち様が、血の滴った大鎌を振り上げる。
斬られるかとも思ったが、単純に血が払いたかっただけのようだった。
勢いをつけて振り下ろし、血を払うと、私に向かって彼は
「案内のものを呼んできましょう…誠心誠意、仕えると良いでしょう」
皮肉げな様子でいったあけち様に、私は頷く。
泣いても叫んでも、多分殺される気がした。
彼の前では、そんな感情を見せてはならないと直感する。
二度、死にたくは、ない。
宙に撥ね飛ばされる感覚を思い出して、女達の死体を通り越して男の顔を見ていると
ふっと、男が様子の違う笑みを浮かべて部屋から去る。
私はそれを切欠に、へなへなと床に崩れこんで唇をかんだ。
……とんだ所に、きてしまったのかもしれない。
そういえば、主君についての話はまったくといって良いほどしなかった
『父親』の顔を思い出して、私は金のために売られたのだと、ため息を三度大きく零した。
まぁ、生きていけるだけ、ましだが。