車から降りて、玄関に立ったところではふと気がついた。
ついてしまった。
―今日、ぶりかま焼こうと思ってたのに、大根がない…っ!
衝撃と絶望を同時に味わって、は玄関ノブに手を掛けた体制のまま止まる。
一瞬何食わぬ顔で家の中に入って、夕食のときには大根おろし無しで
ぶりかまを出してしまおうか、そう思っただったが
それは、一家の食事を預かるものとしての矜持が、絶対に許さない。
大根おろしなしの焼き魚など、認めない。
大体が大根おろし欲しいし。
ノブから手を離して、数秒考えただったが
玄関をあけて、待ち構えていた幸村に向かい
「幸村さん、私、大根忘れたんで買いに行ってきます。
夕食はいつもより20分ほど遅れると思ってください」
「心得た」
いきなり言ったにもかかわらず、相変わらず出迎えを続けている幸村は
頷くだけで済ませる。
家族みたい。
自分で思ったことに、はほにゃりと心を和ませるが
廊下の端から玄関めがけて妹が走ってくるのに気がついて
ちゃん、と妹の名を呼ぶ。
彼女は玄関の前で一度立ち止まると、やっほう幸村。などと軽い調子で
引き気味の幸村に声をかけつつ、靴を履いた。
「お姉ちゃん買い物に出るんだ」
「え、あぁ、そうだけど」
「じゃ、あたしも行く」
さらり。
そう言って、の手をとると幸村に手を振って、玄関を閉めた。
その、有無を言わせぬ調子には少しだけ目を白黒させたが
体をぎゅうっと押しつけてくる妹の様子に、あぁ寂しかったんだろうと納得をする。
二人がこんなに喋らないのも初めてだから。
この子、お嫁にいけるのかしら。
自分と違って別に恋愛に対して恐怖心もないだから
結婚もしたいのだろう。
けど、姉と何日か喋って無いだけでこの様子は…(しかも恋人がずっとそばに居たという注釈つきだ)
シスコン結構。なも、妹の将来を考えてやや心配になるが
起こってもないことについて、あれこれ考えていても仕方ない。
妹にまとわりつかれながら、は車へと逆戻りし、スーパーへ向けて出発するのだった。




スーパーについて、かごとカートを取って。
大根だけ買えばいいのかもしれないが、ついでに明日の分の買い物も済ませておきたい。
明日から週末だから、出来れば家から出たくないのよねと
駄目人間の思考で思って、妹と歩みを進めていると
野菜コーナーを過ぎ、鮮魚へと差し掛かったところで
べったりとくっついている妹が、ぽんっと頭を肩に置きなおす。
「…ねぇ、お姉ちゃん。最近幸村と何してるの?」
「ん?勉強だよ、ちゃん。今、幸村さん相手に勉強教えてるの」
「算数とか?」
「ううん。もっと別。昨日は上下水道について。一昨日は治水技術。
もっと前は飢饉についてだったかな。
…うん、主にインフラについて、だねぇ」
「……………なんでそんなもん教えてんの」
妹の声には呆れが滲んでいた。
まぁ、普通はそうだろう。
何が楽しくてそんなものについて勉強しなければならないのだと思うだろう、普通は。
けれども幸村の望みはそうだったのだから、仕方ない。
原因は他人の悩みだから、話そうかどうしようか迷ったが
話さなければ納得をしないような顔をがしていたので
内緒よ?とは前置いた。
「あのね、幸村さんは、自分が太平の世になった後
上司のお館様の役に立てるかどうかが不安なんですって」
「はぁ、不安」
「自分は考えるのが苦手だから、戦で戦功もあげられないのに
上司の役に立つのは難しいだろうって。
だから、それを聞いたときに、じゃあ、こちら側で役立つような技術を
学んで帰ったらどうですか?と私が言って。
それで、勉強してるの」
しかも一昨日からはインターネットの使い方も教えて、幸村は日中一人でずっと勉強しているようだ。
それだけだと、明らかに幸村をひいきしているので
使わなくなったパソコンを引っ張り出して、家の中の無線LANに繋いで
政宗と小十郎にも渡した。
佐助の分が無いのは、パソコンが無かったのもあるのだけど
本人からいいと断られたせいもある。
そういうものは、俺には必要のないものだから、と。
それもまた、どうかと思うのだけど、最初からのルールで
踏み込まないことにしている。
だからはこくんと頷いて、佐助のその言葉を認めた。
しかし、佐助が断ったのは遠慮と身分と諦めと、あとは何があるのだろう。
「なるほど。とは思うけど」
一部始終を思い返していたは、の言葉で現実に戻される。
隣の妹の顔を見ると、彼女もまた、曖昧な表情をしてこちらを見る。
「……聞いても、良い?」
「なにを?」
「あのさ、お姉ちゃんは、幸村の悩みを聞いて
それで、勉強させてあげようかなって思ったんだよね」
「うん」
「じゃあ、他の人が言ったら、どうだったの?」
「同じようにしたよ」
答えは即座に返せた。
例えば、悩みを相談してきたのが政宗や小十郎だったとして(想像がつかないが)
それでも同じようにしただろうと、は断言が出来た。
だって、家の中に居る人には笑っていてほしいと思う。
けれど、どうして妹はそんなことを聞いたのか。
いいや、理由は分かっている。
彼女は姉が後悔しやしないかと思って心配なのだ。
が幸村を■■なのでないかと思って、姉が後悔しないように
してあげたいと心をつくしている。
寂しい、だけじゃなくて、心配、もあったのだろう。
そのの考えを裏付けるように、
「じゃあ、幸村は、他の人と、一緒?」
重ねて問われたその答えは、には非常に答えにくいところだった。
あの夜、胸が痛むといった彼。
彼の悩みを聞いて、沈んだ夜の凝りのような顔に
そんなものは見たくないと思った。
だから、助言もしたし、資料も渡した。
他の人だったらどうだったの?
その問いには、同じようにしたと答えたし、同じように、実際するだろう。
だけどそこに介在する気持ちまで、同じだと断言できるか?
出来ないだろう?
自分に自分で問いかけて、は語る言葉を失う。
あぁ、分かっているとも。
彼には、笑っている顔が良く似合うと思う。
というよりか、笑っていて欲しい。
その感情はは家の中の誰にも持っているけれど
幸村に向けるものだけ、ほんの少し、色が違う。
会社で懸命に否定しようとしたなにか。
まだ、きっちりと名前をつけるほどではないけれど
確かに、その気持ちには色がつこうとしている。
それは、分かる。

だが認められない。
否定したい。

なんという根深さか、とは考えたが、それよりかは意地なのだろうかとも思う。
認めてしまえば、今まで積み上げてきたものが崩れる。
それが嫌か。
両親を否定して生きてきたにとって、それを認めるのは敗北も同然だった。
「まぁ、もう少しだけ、ね」
「そっか」
曖昧に先延ばしした答えに頷く
彼女に心配をかけないように、は微笑んでみせる。
なにがしかあれば、続けられなくなる程度には
自分が否定するのに疲れていることを感じながら
は問題を先送りにすることに決めた。




そうは言っても、決壊の日はすぐに来るのだけど。
神ならぬ身故、はまだそれに気づかない。