昼休み。
自分で作った弁当を食べながら、はインターネットで飢饉について調べていた。
小氷河期に置かれた戦国初期は、戦争によって飢饉が起きるのではなく
飢饉によって戦争が起きていたと聞く。
そしてそれは似て非なる向こう側でも程度は違えど同様らしく
武田ではそれなりに普段から備蓄をしており、不作であったからといって
いきなりに飢饉に陥るようなことは無いが
支配の行き届かぬ他国との狭間の地域や、他国についてはその限りでないらしい。
事実、政宗の支配する奥州より北の地域では、
寒さから不作になることが多く、年端もいかない少女を首魁とした
大規模な一揆が起こったこともあったと幸村は語った。
置かれた場所から言って、武田はまだ恵まれておると言う幸村は
本人が言うほど絶望的な思考停止状態であるわけではないと思うが、しかし。
その御本人様が気に入らないのだから仕方あるまい。
考えるとかそういうのよりかは、もう少し、柔軟性を幸村さんは持ったほうが良いと思うのだけど。
思いながら、それが出来ないなら、そういう人間を傍に置くかだ、と同時には考える。
人が徒党を組むのは、自らに無い物を補うためだ。
だから、本当は幸村も自分に足りないものを他者に求める。そういう解答を出しても良いのだけど。
それでも、自分でどうにかしたいのだから仕方ないし、若いのだからそういう努力をしても良いだろう。
妹をして甘い!と断言させるいつもの思考で、は尚も飢饉について調べるのだった。



「品種交配、品種改良。これは時間がかかるから奨励はしても置いておくとして
新田開発による母数の底上げ、早期に実をつける作物の奨励は有効そうでござる」
「出来ればじゃがいもを輸入してみるとか、そういうのも覚えておいてくださいな」
「相分かった。記憶しておこう。
…しかし、農業用水の確保については、出来れば大層良いとは思うが
そのあたりは安定した経済力が要りそうでござるな」
「………幸村さん、その視点、良いです」
「真でござるか、殿!!」
「はい。まだこういう会を開いて日も浅いというのに
そういう視点を身につけてもらえて、私、嬉しいです…」
「……某、殿に褒められて大層嬉しいでござる…!!」
食後、居間のリビングにて色気もへったくれもない会話を繰り広げているのは
言わずと知れた幸村とである。
家に帰ってから、会社で見つくろったサイトのページを資料として印刷して
食卓の上に広げて会話する彼彼女らは、佐助が見たら色気…!と泣きそうなぐらい一生懸命だ。
それにしても、なぜ二人きりなのだろう。
青春お悩み相談室以降、幾度かこうして勉強会を開いているが
二人以外の人間が混じっていたことは、無い。
政宗も小十郎もも佐助も、誘えば良いではないかと思うが
なんとなく、そういう気にはなれなかった。
どうしてか、更に考えようとするが、考えてはいけない気がして
決めた通りには思考を放棄する。
そして、放棄した思考の代わりに、印刷した資料を更に読み込んだ。
「…それにしても、まず飢饉ですか、幸村さん」
言うと、幸村は資料から顔を上げ、顎に手をやる。
「国造りも、国の体制も、例を見れば大変に参考になる、とは某も思う。
が、しかし。
それは向こうに帰ってからでも、今までの興ってきた国の歴史を見れば少しは知れること。
それよりも、某は今ここでしか知れぬことを知りたいでござる」
この国は、大層豊かであると思うゆえ。
結んで、幸村はの顔をじっと見た。
自分の言い分が正解かどうか、探る顔だ。
それだから、幸村に向かっては先生としてただ頷いてやる。
幸村の言い分が、正しいかどうかはは知らない。
もしかしたら過去の歴史から、社会の仕組み・経済政策、その他工業化を進めるには等々
学んで帰るほうが、幸村と彼の来た世界にとっては利になるのかもしれない。
が、この世界でしか学べないことと言えば、こういう技術知識が必要となることのほうが大きい。
特に、農業については日本では十六世紀後半になってからでないと
まとめた書物が出なかったはずだ。
しかも東北地方では、昭和初期まで飢饉が起こっていたとのこと。
飢餓は貧困につながる。
そして貧困は民の不満につながり、政府への不満へと直結するのだ。
生活が苦しければ、敵意が向かうのは上、政治を執り行うところ。
いつの世でも変わりない普遍の定理を思えば
幸村の選択は、非常に花丸だった。
しかも、幸村ときたら、農業用水は経済力が要るから保留だと。
全く、どの口が己を思慮深くない考えられないと言ったのだか。
思うは、知らない。
幸村が見せているこの姿は、真田幸村の一部で
戦場に立つ彼と、お館様と呼ぶ武田信玄の前での姿は全くの別物なのだと。
特に、武田信玄の前での幸村を見たらは頭を抱えるだろうし
納得もするだろう。
あぁ、幸村さんが思考停止するわけだ、と。
真田幸村は武田信玄に、依存して甘えている。
しかも、武田信玄のほうも、積極的にそれを拒否し、直すわけでもなく。
幾度か、成長しろという旨のことは幸村に言ってはいるが
本心からのものでないし、それを幸村も本能で見抜いていた。
あれは、自分にまとわりつく子犬を思うように甘やかしておきながら
たまに気紛れで躾けているのに良く似ている。
そして、この間からが行っているこれは、
本人も知らぬことだが、真田幸村の躾けなおし、だった。
頭は元来悪くないくせに、武田信玄の前に立つと思考停止し
猪突猛進にしか動けない彼相手に、それじゃあ駄目だと思っているのなら直しなさいと
知らず、親離れを仕込んでいる。
ただの誰かがやっても、それは意味を持たなかっただろうが
は生憎と幸村の想い人で、しかも幸村は彼女の頭脳に厚く信頼を置いているときた。
その彼女が言うものだから、はぁまぁそういうことなのだな、と思って
彼は日々着実に、考える、ということを身につけ続け
はその幸村の成長に、心を躍らせにこにこと彼を誉めたたえている。
まぁ、外野から見ると、二人はそんな感じなのだった。
………かといって、空気が全く甘くならないのか、と言われればそんなこともなく。

明日に影響が出る、ということで、授業は夜の22時までとしている。
広げていた資料を手元に集めていると、ふと、幸村の指と指が触れあう。
勿論事故なのだから、あ、ごめん程度ですませればいいのだが
に想いを寄せている幸村としては、そのようなことですませられるわけはなくて。
「す、すまぬ…!」
と大げさなくらいに身を引いて、真っ赤な顔で謝る。
前に手を握ったときにはあんなにもあぁだったのに。
は幸村のこの前の様子を思い出して思ったが、幸村のいかにも意識しています、という様子に
自身の頬も染まってゆくのを感じて、「いいんですよ、事故ですから」と
普段よりも少し強い口調で慌てて言った。
…考えない、考えない。


そして、一階に降りて和室へと二人して入ると、既にが寝入っていた。
すぅすぅと寝息を立てる様子は可愛くて、最近会話をあまり出来ていないのを寂しく思う。
は幸村に勉強を教えているし、で小十郎といちゃついているせいだ。
まぁ、の行動については憶測なのだけど。
ついでに余り物の佐助と政宗は、会話もせずに別の場所でごろごろしているのだけど。
それを思うと、誘ってあげるべきかとも思うのだけど、同時に断られそうな予感もする。
なんだかなぁと思いながら、布団に入りかけただったが
トイレに寝る前に行っておこうと思って、やめた。
化け物対策で、一人では出来るだけ、出歩かないようにと言うお達しが出ている。
けれど、誰かにトイレ行こうって誘うのも…。
二十三歳的には恥ずかしい。でも、誘わないと万が一化け物が出た時には困るし。
というかそもそもトイレの中で、化け物が出たらどうすればいいのだろう。
どうしようもない。
布団をめくった体制のまま、固まり悩む
恥を捨ててトイレか、我慢するか。
迷っていたの肩を、いつのまにか隣に来ていた佐助がトントンと叩いた。
何か用だろうか。
顔を見上げると、彼は和室の扉を指さして歩き出す。
ついて来いと?意図が掴めないながらも、大人しくついてゆくと
佐助は和室のを出た処で
「ついていくから」
「………感謝します」
に言えたのはこれだけだ。
さすが忍び、良く見ていらっしゃる。
ばれていたとは、自分で切り出すよりも恥かしい。
顔を真っ赤にしながら用を済ませて、は和室の前に戻る。
その間、会話は一言もなかった。
………トイレ、ばれてた。
理由はその一つだけで十分だ。
未だ恥ずかしいをよそに、佐助は和室の扉を開ける。
そしてを視線で、先に入るように促した。
化け物に対しての警戒を徹底している彼のその動作に
安心感を覚えながら部屋の中にが入る。
「ありがと」
その瞬間に、耳元で小さく呟かれた声は、聞き取れないほど小さくて。
多分、あまり聞かせる気もなかったのだろう。
それを理解したから、は小さく頭を動かしただけで
佐助を振りかえることはしなかった。
何に対しての礼か、など決まっている。
主の成長に手を貸すのに、礼を言う忍び。
まったく、まったく本当に、真田主従ときたら。
微笑ましい気持ちでは布団に入って、掛け布団を頭までひっかぶると
くすりと口の端を上げて、笑いながら目を閉じた。