政宗の部屋に入ってまず約束させられたのは、破廉恥と叫ばない。
これだった。
「何を相談したいのか、なんざあんたらは説明もしなかったが。
まぁ、様子見てりゃ大体分かる」
なんでもないように言って、政宗は幸村に対してそれを必ず約束させた。
「あんたの声はIt is annoying(うるさい)からな」
それが相談を受けてやる条件だと言われて、幸村は深く頷いた。
その後の話で、何が待っているかも知らずに。















相談事、ようするにに対してのあれこれを話し終えると
政宗は、大きく、深く、そして面倒くさそうなため息を吐いた。
「あんた俺に前田みたいなこと言わせんな」
「慶次殿でござるか?」
「あんたのそれは病気は病気でも草津の湯じゃ治せない類のもんだ」
「はぁ」
「分かってねぇな、あんた。ようするに、恋だ、恋。LOVE」
「な、政宗殿、は、破」
「約束を破るつもりか?真田幸村」
Ah-?とどすの利いた声で言われて、幸村は必至に叫び声を飲み込む。
恋、恋。
胸が痛い、苦しい。だけれど、傍にいられると嬉しい。
そういう相談事のはずだったのに、どうして恋が出てくるのだろうか。
相談してすぐに政宗から、それ以外にはない、と言いたげな様子で
吐き出された答えに、目を白黒させていた幸村だったが
よくよく考えてみると、そう、なのだろうか。
一度俯瞰の視線で考えてみれば、確かに自分の言っている内容は
女中だとか、兵士だとかがたまに話題に出している、恋をしたときの症状に似ているような?
元来頭は悪くない幸村が、政宗の言った答えから
自身の感情の名前を導き出していると
それをまだ納得がいかないと取ったらしい政宗が
仕方がないというような様子で、頭をかく。
「頑固だな、あんた。自分の感情も認められないか?」
「いや、それは」
名前を導き出したにもかかわらず、幸村が言い淀むのは
政宗が言うとおり確かにそれを認めたくない気持ちがあるからだ。
恋など。
自分が避けてきたものを、自分が抱く。
幸村は、言いようのない複雑な気分だった。
認めざるを得ないが、認めたくないし、嫌だし、それになにより気恥かしい。
ただ、それを正直に相手に言うのは憚られて
「…そういうわけではないのだが」と、曖昧な否定を返すと
政宗が眉をしかめた。
「じゃあ、あんた考えてみろよ。俺が、と話をする」
「それは…同じ家に住んでいるのだから、それ位は有るでござろう」
想像すると、嫌な気分になるだけだ。
「俺が、に好きだと告白をする」
「な、はれん………………人の、気持ちは自由だと、某は思うが」
想像すると、とても嫌な気持ちになったが、動揺を押し隠して答える。
が俺の気持ちを受け入れる。俺がと手を握る。
俺がと口づけをする。
…俺がと交わる」
「っ」
段々と過激になる内容に、幸村は顔を赤くしていったが
最後の言葉にさっと顔色を変える。
政宗とが交わる?
そのようなこと、想像でも許せるものではない。
どこから来るのか分からない怒りに身を焦がし、感情のまま眉を吊り上げると
政宗は平然というよりかは呆れ顔でため息をついた。
「怒んなよ。あんたが素直じゃないせいだろ、俺がこんなFoolなこと言ってんのは」
その政宗の言葉にはっとして、幸村は怒りを納めた。
「某のせい…そう、そうでござるな」
自分が悪い時には素直に認める。
そうすると決めている幸村は政宗に、申し訳ござらぬと頭を下げた。
自分が相談して、自分が答えを認めないから、このようなことを言わせたというのに
その相手に対して怒りを覚えるとは、何たる無礼か。
出来ていない自身に対して、呆れを覚えていると、政宗がで、とこちらに水を向ける。
「で、怒ったってことは、そうなんだろ?」
問われた言葉。
その答えは、考えるまでもなかった。
「……確かに」
「ああ」
「某は、殿を好いておる、ようでござる」
歯切れ悪く認めて、への思いを、幸村はそこでようやっと認める。
あのような反応を見せて置いて、いまさら否定も無かろう。
…あぁ、そうだ。
己はあの優しい人を好いている。
女として見たきっかけは、あの風呂場の時だった。
それまでは、人間として、のことを幸村は好いていた。
それが、女であると、裸を見たことを切っ掛けに強く意識して
そしてそのまま好意は恋になった。
彼女の優しさも精神的な強さも好ましくて、
傍にいてくれたら、と願う心のまま、幸村は彼女を慕った。
それを自覚もできず、あまつさえ本人に相談して
はどう思っただろうか。
顔を赤くして困り果てていた彼女の様子を幸村が思い返していると
政宗が部屋の壁に肘を当てて、頬杖をついた。
「で、どうするんだ?」
「どう、とは?」
「連れて帰るのかどうかってことだ。分かってんだろ?」
突然の問いかけに、意味が分からず問いかけで返すと
政宗は平然と、幸村にもう一度、問う。
その内容は、至極当然のことだった。
幸村たちの居た場所と、こことは違う。
恋をして、傍にいたいというのなら残るか、連れ帰るかしか道は無い。
だが、元居た場所での幸村の役割を考えれば残るなどという選択肢はあり得ず。
自然と、傍に居たければ連れ帰るしか、選択肢はなくなるのだが。
けれど、幸村はその選択には躊躇いを覚える。
この平和で便利な場所で暮らしていた者を
向こう側に連れ帰るなどという我儘、押し通していいものか。
それに、彼女は既に「決めて」いる。
祠のために、彼女は向こう側には絶対に、来てはくれないだろうと
幸村はゆっくりと首を横に振った。
「連れて帰らないってことは、二度と会えないってことだぜ?YOU SEE?」
「しかし政宗殿、殿は、祠がある故、既に残ると決めておられる」
「無理やりにでも連れ帰るって手もあるぜ」
「そのようなこと!」
言われた言葉が信じられず、思わず叫んで否定をしたが
政宗は顔をしかめただけで、うるさいともなにとも言いはしなかった。
「好きなら傍にいたい、いてほしい。当然の欲求だと思うがな」
ただ、静かな声で、幸村にそう告げただけで。
基本的に、親切な方なのだ。と、幸村は政宗に対して思う。
そう、基本的に親切で、だからに懇願されて相談事を請け負い
そして今、自分に忠告をしている。
その選択肢で後悔は無いか。
二度と会えなくなっても構わないか。
自身の意思を押し付けて無理やりに連れ帰る、そういう道も無くは無いと。
だから、幸村も考えてみる。
の意思を折って、祠のこともさて置いて、彼女を向こう側に連れて帰る。
佐助と、に両側にいてもらって、幸村はそれで幸せだろうが、は。
いや、幸村とて、幸せだろうか。
幸村は、一旦自分が思いかけたことを疑問に思う。
相手の意思を折って、それでつかんだものは、果たして本当に幸せと呼べるのか。
「恋は」
「ん?」
「恋は、譲られるばかりのものなのだろうか、政宗殿」
答えを求めるわけでもなく、幸村はまとまらない言葉を口から問いかけとして吐き出す。
「遥かに譲ってくれている相手に、更に譲歩を求めるのが恋だろうか」
その脳裏によぎるのは、自らの想い人の姿だ。
最初にあれこれあった自分たちを嫌な顔、はしたが
それでも置いてくれて、いろんなことを譲ってくれる彼女に
これ以上譲らせる。
そのくせ、自分は何一つ捨てもせず。残るという選択肢すら最初から持たず。
「自身は何一つ譲りもせずに、心のままに相手を奪い尽くすのは
それは、それが恋なのか」
「人によるだろ。そういうのしか、出来ねぇ奴もいるだろうよ」
それは、我儘というのではないのか。
それは、相手のことなど何一つ考えないものではないのか。
そこに相手の意思がないのなら、今まで幸村にすり寄ってきた人間たちと
なんら変わりもないだろう。
政宗は、それしかできない人間もいると言った。
しかし、幸村はそうではない。
ならば、結論は一つだけだ。
「それならば、某は、殿を向こうに無理やり連れ帰るようなことはせぬ。
譲ってくれるばかりの彼女に、今回もまた、譲らせるようなことを
決して某は選択しない」
「いいのか。二度と、会えなくなるぜ」
「政宗殿。傍にいたいというのなら、某がここに残るという選択もあるのだ。
某がそれをせぬのは、向こうで某がやるべきことがある故。
そしてまた、殿もこちら側を守るために、残るのであろう。
その選択を捻じ曲げるような真似、某はさせたくないでござる」
きっぱりと幸村が言い切ると、政宗はにぃっと口の端を吊り上げる。
「OK、真田。そういうThin endurance(やせ我慢)は、俺は嫌いじゃない」
「褒めていただき、感謝いたす。相談に乗っていただいたことにも」
「なに、あんたに教えてもらった情報。
その対価分、奥州筆頭でない伊達政宗個人分を返しただけだ」
「それでも、感謝しております、政宗殿」
重ねて礼を言うと、政宗は笑みを消して
「ま、残りの期間、どう過ごしたいか考えて、上手くやんな」
軽く、こちらへ言葉を放ってよこす。
その言葉に、幸村は、の言った通り、今後の指針を得た。
だから、幸村は政宗にそれを報告する。
相談にのってもらった者の礼儀として。
「告げることはしませぬ。言えば、連れ帰りたくなる故」
「なるほど」
「だが、傍にはありたい、優しくしたい。そう、思うでござる」
思いは告げない。だが、傍にありたい。
あるだけで良いとは言わない。
彼女がしてくれた分だけはきっと無理だろうけど、優しくしたい。
そうして帰った後、優しく過ごした時間の中で、彼女の中に、何かが残ればいいと思う。
その何かを、彼女が時折思い出してくれればとも。
連れて帰ることを望まない代わりに、それをどうか許してほしい。
決めた指針を告げると、政宗はふっと口を緩めて、好きにしな、と
幸村の言葉を後押しした。