「ところでさーそういえばちゃん、梱包材買って帰ってくるの
今度の週末だって言ってたから、旦那もそのつもりでいてよ」
「心得た」
二階の居間にて、に渡された教材を前に唸っていた佐助だったが
ふと思い出して、幸村に予定を告げる。
なにの予定かといえば、家財道具を一式、外の物置に運び出す日取りの予定だ。
食卓は別にして、タンス、テレビ、棚、すべての家財道具を運び出して
家を空に近くする。
なぜそのようなことをと言われれば、来るべき化け物との対決に向けてである。
次に化け物が現れて、いざ応戦しようとしても
いつもの武器を振りまわして使うには、家財道具が邪魔すぎる。
現れたら、気にせず家財道具を破壊しながら戦うという手もあるが、
視界の邪魔だし、空間が広いに越したことは無い。
本当は、いの一にやっておけばよかったんだろうけどねぇ。
ため息交じりに佐助は思う。
前回化け物が現れた時、佐助たちは化け物に翻弄されるばかりだった。
猛将勇将と呼ばれる人間が四人も揃っていて、だ。
しかしそれは化け物が強かったからじゃない。
四人が四人とも、驕っていたせいだ。
自分たちは強い、だから、相手さえ現れれば何とかなるに違いない。
心の底にあった気持ちのまま、望んだ結果が、あのざまだ。
違うと否定することは、絶対に誰にも出来ない。
なぜなら、四人が四人とも、いつもの槍も刀も手裏剣も、あの時手にしていなかった。
確かにいつもの武器はかさばる。
だが、いつ何時現れるかもしれない敵に備えるなら
いつ何時でも持っていて然るべきなのだ。
ほんと、油断つーのは一番の敵だよなぁ。
理科、と呼ばれる教科の問題を解く手を止めて、佐助は思う。
油断さえしていなければ、前回の機会で帰れていたかもしれないのに。
…ただ、前回の機会を好機に変えられなかったのは、すべて自分たちの責任だ。
だから、今回は家を空にして武器を振りまわせるようにする。
湯あみをするときにも、武器を手放さない。
化け物が、いつ現れるのかもどこに現れるのかも分からないが
それでも、今度こそ、武田に帰る。
そこまで思ったところで、でもなぁと、佐助はちらっと自分の主を見た。
無心で算数の問題を解いている幸村の、に対する態度。
あれはまさに、まさに。
…恋、だよなぁ。
記憶に新しい、この間の夜の記憶を引っ張り出す。
がいればさぞかし楽だろうと、二割本気で誘った佐助が
話を振った後の幸村の態度。
(あの幸村が無意識にとはいえ、女性の手を握るなど!)
おまけにその後、佐助に無防備に近寄ろうとしたを止めたあれは
紛うことなく恋する男の態度である。
女性とみれば警戒し、男女が揃っていれば
破廉恥と叫んでいた男が、とうとう恋か。
幸村が幼いころから面倒を見続けて、気分はすっかり兄か父か、それとも母かという
佐助は感涙にむせび泣きたいような気分であった。
…相手がでなければ。
いやいや、がどうというのではない。
確かに彼女は恋には向かない人種だ。
既に母親気取りで、女を捨てている。
だから、恋が自分に起こるなど夢にも考えていないだろう。
だからこそ、最初会ったときから、幸村が彼女に対しては
ごく普通の態度だったのだ。
人よりうぶというのもあるが、
自分にすり寄ってくる態度と、その後の手のひらの返しようを切っ掛けにして
女が苦手な幸村は、相手に女を感じれば感じるほど、相手を遠ざけたがる。
そして、に対してそれがなかったのは
先も言った通り、が既に母親気取りで
恋・異性に関して、欠片も興味を持っていないせいに違いなかった。
それを落とそうと思ったら、よほど直球で行かなければ。
…あ、それは旦那得意そうだな。
と、佐助はそこまで思って、いやいやとそれた思考を修正する。
そうじゃなくて。
が難関なのが、むせび泣かない要因でなくて。
問題なのはが向こう側の世界の住人でなく、こちら側の住人で
しかも自分たちが帰る際についてきてくれそうかといえば
絶対にそんなことはあり得ない、と言い切れるからである。
祠のことがなければ、もしかすると、もあったかもしれないが
自分たちが帰ってから、修繕を始めなければいけないという前提がある以上
確実に彼女は残る。
はそういう人間だ。
だから、佐助は幸村がに恋をするのには、手放しで喜ぶことはできない。
幸村には立場がある。
もしも、こちらでと良いようになったとしても
彼女がこちらに残る以上、幸村はあちらに帰る。
帰った先で、幸村をいずれ待っているのは婚姻だ。
そして、主の性格上、一度好きになった女性を忘れて
新しく女性を愛するというのは、なかなかに難しいだろう。
伊達に長年傍で見てきたわけじゃない。
その光景が目に見えるようだと、幸せでない結婚生活を送る
幸村とその妻を想像して、佐助は痛々しい気分になる。
忍びとしては余分な感情ではあるが、佐助は幸村には
人並みにとは言わないまでも、なるたけ幸せでいてほしいのに。
「…佐助、手が止まっておるぞ。集中せよ」
「あ、あぁ、悪い」
どうやら考えすぎて、手が完全に止まっていたらしい。
幸村に注意を受けて、佐助は鉛筆を取り直す。
…そこで佐助はふと、いやしかしと思いなおす。
いやしかし、幸村はひょっとして、自分の気持ちに気が付いていないのではなかろうか。
自身の行動に不思議そうな顔をしていた彼の様子を思い出して、
佐助はどうしようか思い悩んだが、結局探りを入れてみることにする。
「そういやさ」
「なんだ、佐助」
「旦那がこないだ摘んでた花、台所に飾ってあったけどちゃんに渡したんだ?」
あ、やべ。これ直球だった。
後悔した佐助だったが、主に呈した疑問は、本当に謎だった。
あの、真田幸村が。
女に花を渡す。
武田の人間なら目をむいて動転してくれるだろう珍事だ。
戦馬鹿、お館様馬鹿と陰で噂されて久しい幸村が
そのようなことをするなど、天から甘味が降る、といわれるに違いない。
そして、佐助もまた同じように思う。
どこひっくり返しても、そんな思考出てこないと思ってたんだけどなぁ。
長年仕えてきた主の見せた思わぬ一面。
それに伴って生じた佐助の疑問に、主は大きく一つ頷き
「うむ。殿のようだと思ったゆえ」
「…セツブンソウが?どの辺りが」
「大輪の花を咲かせるわけでもなく地味ながら、その存在に気がついたものを和ませるところだ」
「…あのさ、それ褒めてんのかけなしてんのかわかんないからね。
ちゃんに言わないでよ」
大輪でないとか、地味とか。
多分言ったところで笑って許すのだろうけど。
それにしても「なぜだ、佐助」と、本気で不思議そうにしている幸村は
女心とかもろもろを理解していなすぎだ。
それが、真田幸村なのだろうが。
呆れたような、安心したような気持で佐助がいると
ふと、幸村の様子が改まった。
穏やかだった気配を真剣なものにして、佐助に向き直る。
何かあるのか、佐助もまた顔を真剣なものに改めると、幸村が口を開く。
「佐助、最近、俺はおかしいのだ」
「……………おかしい」
主の用向きは、どうやら相談事のようだった。
繰り返してどのようにかと忍びが問えば、
主はうむと、眉をへの字にして不安げな顔つきをする。
「近頃になって、心の臓が痛いときや、締め付けられているような感覚を味わうことが多い。
今まではこのようなこと、少しもなかったというのに、だ。
……もしや、病なのでは…とも思っているのだが…
どうだ、佐助、お前は多少は医学の知識もあっただろう」
佐助はどう思うか。
水を向けられて、佐助は主の様子を伺う。
すこぶる健康そうだ。
に良い物を食べさせられているせいか、むしろつやっつやしている。
…自分もだが。
念のため、手首をとって脈拍と、胸に手を当てて、心臓の鼓動を確かめてみるが
すこぶる健康そうだ。
…うん。
「……………あぁ、うん、平気平気」
いや、念のため脈拍とか調べてみただけで、答えは分かり切っていた。
心臓が痛いとか締め付けられるとか、それ特定状況下での未発生するんでしょ?
病って何さ。恋の?恋の病?
いや俺様前田の風来坊じゃないんだよ。そんな相談事されても。うん。
……え、それマジで言ってんの、いくら旦那とはいえさぁ。
使い古されたボケに、考えたのは一瞬。
だが佐助がとれた行動といえば、平気平気と繰り返すことだけ。
他に、どうしろと。
けれど対する幸村は真剣に、そうは言っても本当に痛むのだと
軽くすませるこちら側をねめつけてくる。
…いや、そう睨まれても。
「それってちゃんが他の誰かと話をしてたり、ちゃんが良い顔で笑ったり
ちゃんが近くに接近したりしてるときでしょ」
「な、なぜわかった、佐助!」
「そりゃ分るよ、分かんないのなんて旦那ぐらいのもんだよ!
つーか、そんなの心配いらないよ、全然いらないよ」
幸村の恋心を、本人に気がつかせないようにしようと思ったばかりであるが、
幸村があんまりにも真剣なので、ついポロリと零すと
なんと、と、幸村が目を見開いた。
「佐助、お前はこれがなんなのか心当たりがあるのか」
「ある、といえばある?…かな?」
「はっきりしろ」
「いや、あるけどさぁ。病気じゃないから。
あと他人から聞かされるようなもんでもないし、もうちょっとそのまんまでいなよ旦那」
で、出来ればそのまま気がつかずに向こうに帰んな。
続く言葉は胸の中にのみこんで、佐助がそうあしらうと
幸村は、自分が病気ではないと分かってほっとした様子だったが
同時にあしらわれたことに不服気でもあった。
佐助には分かるが、某には分からぬとは。と、ぶつぶつと呟いている。
あぁ、こういうの、武田でも良くあったなぁ。
佐助は懐かしんで、口をとがらせている幸村を見る。
尊敬する武田信玄が幸村に向かって言った言葉や、幸村が分からぬことに
佐助が注釈を付けたり、年上風を吹かせてあれこれすると、必ず拗ねて、それから
「…精進が足りぬ」
「あ」
…必ず、幸村は何故か燃えるのだった、そういえば。
「聞こえる、聞こえるぞ!まだまだよ幸村ぁ!と叫ぶお館様の声が」
「いや、いやいやいやいや!いないから、大将はこっちにいないから!
幻聴だよそれ、いいからおとなしくしてようよ旦那!」
「うむ、このようなわけのわからぬことになるのは、俺の精進が足りぬが故よ。
お館様がここにいたのならば、どれほどまでのお叱りを受けることか!
佐助ぇ!!」
叫んだ幸村は勢い良く立ち上がった。
冷や汗がつぅっと佐助の頬を伝ったが、そんな佐助の様子に幸村は目もくれない。
くれるはずもない。
いつもの猪突猛進さを取り戻し、幸村はぐっと胸の前で握りこぶしを作り
「某は勉学は一時中断とし、精進のため、山に行き滝行を積む!
お前はここで引き続き勉学に励んでおれ!
…見ていて下され、お や か た さまぁあああああ!!」
階段に向かって一目散に駆けだした。
それはもう、韋駄天のごとく。
まるで戦場を駆けるように。
それを呆然と見送って、一瞬後、佐助ははっと我に返った。
あぁっ何行かせちゃってんの俺様!
「いや、いやいやいや、待って、待って旦那、ちょ、意味分かんないから何その思考回路。
どっから精進とか出てきたの、理由なんてはっきりしてるでしょ、あ、もう聞いてない!
ちょっと待てってば!!!」
焦りを交えた大声で、一応制止を掛けてみる。
しかし、分かっていたことではあったが
制止の声ごときでは、駆けだした幸村は止まらない。
みるまに遠ざかってゆく幸村の後ろ姿。
その手の中に、いつの間にやら槍が収まっているのを視認して
佐助はあれ?外にあれ持って行ってもいいんだっけ。
という姉妹にとって大変重要な疑問を持ったが
彼の後ろ姿があっという間に遠ざかるのに気がついて、即座にその疑問を放棄する。
まずい、このままだと絶対見失う。
主はついてくるなと言ったが、それで本当について行かないなんてことができるはずもない。
佐助は忍びで、幸村の部下で、それで、幸村が心配な兄気取りなのだ。
と、いうことで、佐助は武田にいたころのように
待てって旦那っ!という情けない悲鳴を上げて、幸村を追うのだった。