化け物の挑発から一週と少したった。
数日は家の中がひどい緊張に包まれていたが、今は日常の気配に近づいている。
いつまでも人は緊張したままではいられないということだ。
化け物はまた、再び来る。
確信をもってそういったのは、幸村だったか、政宗だったか。
両方だったかもしれない。

挑発は、遊ぶ気になったってことだろ?you see?
ならば、いつかはわかりませぬが、いずれ、また。

玩具として認識されたのだという事実は、非常に癇に障ったが
事実は事実として受け入れ、好機と転じさせねばなるまい。
奴はいずれまた来る。
その時こそが勝負。
顔を険しくした武将たちは、化け物が再び来ることを疑っていないようだったが
同時に、間は開くだろうというのが共通の見解だった。
恐怖に恐れ、慄き、怯えるさまを見てから、更に遊びに来るのではないかと
ある種の確信を持って、口々に彼らが言ったから。
だからもそれを信じた。

彼らを元の世界に戻すような方法は、全く手掛かりすら見つかっていない。
妖をどうにかするような方法は、特に見つかってもいないが一応
神社から水を汲んできたり、塩を置いてみたり、微妙な抵抗らしいものをしてみてはいる。
(効果のほどは全く分からない、という注釈がつくにしろ)
やれるべきことはやって、後悔の内容にその時を迎えないと。
連日、膝を突き合わせて化け物が現れた時の策を練っている四人の姿を
思い浮かべているうちに、は職場から家へと帰りついた。


「ただいま」
わずかに警戒しながら玄関扉をあけると、
「あぁ、今帰りか」
自室から出てきた政宗とかち合う。
それに頷きながら、はい、今帰りましたと言えば、相手の空気が少し緩んだのが分かった。
一月以上暮らしているからか、警戒心がだいぶ緩んでいる。
それを改めて目にできるのは素直に嬉しくて、顔をほころばせると相手は不思議そうな顔をした。
「まぁいい。ところで今日のdinnerは?」
「今日は、牡蠣鍋ですよ」
「〆は」
「うどんです」
答えを返すと、微妙に不満そうな顔をされる。
どうやら雑炊のほうが良かったらしい。
それを裏付けるように政宗は
「牡蠣でうどんかよ」
と呟いている。
気持ちは分からなくもない。
牡蠣の出汁を吸った雑炊はさぞかし美味だろう。
だがしかしはうどんのほうが好きなのだった。
出来れば家主に合わせていただきたいとは思ったが
あまりに政宗が不満そうな顔をするので、少し折れることにする。
「あぁ、えぇと、じゃあ、うどんを二玉入れて、そのあと雑炊にします」
「良く言った!さすがだ」
「………まぁ、いいですけど」
彼の中で、私は我儘を言えば折れる相手という認識なのではないだろうか。
疑念がの胸に生まれたが、実質その通りなので何も言わず
階段を上がろうとした。
すると、政宗もまたの後ろをついてこようとする。
化け物が現れて以来の新たに生まれた慣習だ。
自身の身を守る術のない、、もしくを一人にしないよう
四人のうちの誰かしらがついてくる。
いや、今までとてそうだったのだが、より一層一人にしないように
されているというべきか。
窮屈さを感じないと言えば嘘になるが、必要なことではあるのでむしろありがたい。
いつもすいませんねぇと声をかけながら二階へあがって
エプロンをつけて調理を開始すると
「そういえば」と政宗のほうから声をかけられた。
それにはい?と振り向かずに返事を返すと、政宗は冷蔵庫に体を預けながら
「今日はは休みだっただろう?」
「えぇ、そうですね」
「あいつ、一日中庭いじりしてたぜ、よっぽどだな」
「好きなんですよ、趣味なんです、あの子の」
空手道場に通えない彼女に残った唯一の趣味だもの。
ただ、寒い時期に庭にずっといるのは感心できないわぁと
いつものように母親臭い思考でが考えている隙に
政宗は、ふぅんと気のない相槌を打つ。
含みのあるそれに、は白菜を切っていた手を止めて
政宗の方を見ながら首をわずかにかしげる。
「なにか?」
「いや、その横にずっと小十郎が居たっていっても
あんたはそんななのかと思ってな」
言われた言葉を咀嚼して、それからは更に首をかしげた。
「…あの二人が仲良しなのも、小十郎さんが庭いじりというか
畑いじりが趣味なのも以前からでは?」
「それ、かわして言ってるわけじゃねぇよな?」
問いかけに問いかけで返されて、はようやっと彼が何を言いたいのか理解して
彼がしたようにあぁ、と気のない相槌を打ち返す。
「あぁ、そういう………」
「随分とCoolだな」
言葉に混じる感情は、まぎれもなく驚きだった。
だから、この人は一体自分をどういう風に思っているのか。
一度膝を合わせてきっちり問い詰めるべきだろうか。
白菜を切る手を再開させながら、は嘆かわしげに首を振った。
「…ご理解いただいてるかわかりませんが
私もも成人してるんですよ。えぇ」
「あんたはともかくあっちは微妙だが」
「いえ、もきちんと成人していますから。年齢的には大人なので。
……そうでなく、私も、微妙にあの二人の空気が変わってきてるのには
感づいていますけれど」
とんとんと、包丁がまな板をたたく音が響く。
きっかけは間違いない。
あの化け物が現れた日、が小十郎にすがりついて涙をこぼしたあの時がそうだ。
あれ以来、二人の間には微妙な、俗に言う甘酸っぱい空気、というものが存在し始めている。
大きく態度が変わったわけではないが、聡い人間ならすぐに気がつくような
そういう微妙な変化。
「…良いんじゃないんですか、別に。
さっきも言ったように、ももう成人してますし。
邪魔なんてしませんよ、私は」
「俺だってそんな野暮しねぇよ」
ちらりと今度はねぎを切りながら政宗を見る。
彼は嘘をついていない顔をして、肩をすくめていた。
冷蔵庫に寄りかかりながらそういう仕草をする政宗は、
戦国武将には到底見えない。
少しガラの悪い、年下の男の子に見える。
年からすれば当たり前かと思いながら、は意外ですね、と政宗に返答する。
「片倉さ…小十郎さんが関わっている分、なにがしか、もう少し反応があるかと思ったんですけど」
「ん?あぁ。小十郎がここに残るって言い出すんじゃねぇかとかそういう?」
「えぇ、端的にいえば」
「ねぇよ。小十郎に限って言えば、それはありえねぇ」
明確な否定の言葉にあるのは、絶対的な信頼だった。
「だから、どうにかなるとすりゃ、移動すんのはのほうだ、絶対な」
たんっと、タイミング悪く包丁の音が強く響いた。
しまった動揺しているみたいだと、は僅かに顔をしかめて
政宗のほうへ再度再度、視線を走らせる。
政宗は感情の読めない顔をして、を見ていた。
どういう意図があるのか考えると、出来れば部下に幸せになってほしいとかそういう?
話をわざわざ振ってきた意図が分からず、困惑の表情を浮かべると
政宗もまた、困惑を顔に浮かべた。
「……おい、反対とかしないのか?」
「え、何を?」
思わずきょとんとした顔で問いかけると、政宗もまたきょとんとした顔をする。
「だから、小十郎がを持ち帰りたいって言ったら、あんたどうすんだって」
「いえ、ちゃんがついて行きたいって言ったら反対しませんけど」
「……Really?」
「…………政宗さん…」
だから、あなたは私をどういう。
呆れればいいのか、怒ればいいのか。
判別がつかずに黙っていると、やがて政宗ははっとした顔をして
それから得心いったように頷いた。
「OK、分かった。あんたも奥州に来るってことか」
「いえ、あの…政宗さん…」
…その言葉に、が項垂れかけながら抗議の声色で名を呼べば
政宗は面白そうに笑いを浮かべる。
からかわれたのだとはその時初めて気がついたが
しかし、半分ぐらいは本気だっただろうなと、ため息をつき、否定の言葉を紡ぐ。
「心中複雑でないと言えば嘘になりますが」
前置きをして。
「さっきも言った通り、ちゃんは成人してますし、なるようになった結果がどうであれ
私はちゃんの味方で居ますよ」
「なるほど、そう来るか」
言外に、ずっとね、と言って料理をする手を再開させて、野菜を切り終わったところで
政宗が唸るように言う。
その言葉には穏やかな笑顔で
「はい。なるようになるし、ならないのならならないで、それはそれで良いでしょう。
まぁ、どういう結末になるにしろ、私は残りますし、それで良いんですよ」
次に混沌色の穴の主が現れて、もしも武将たちが全員帰れて。
そのあとは、誰かが祠を修繕しなければならない。
竜伏寺と、このあたりの町内会は未だ揉めていて
祠の修繕の話が具体的になるのはまだまだ先のようだから
は修繕費をこちらが出させてほしいと、彼らが帰ったあとでお願いをするつもりだった。

自分達の家に起こった不幸と、祠の不幸。
同じ人間によって起こったことだから、これも縁だと思う。
だから、修繕費を出させてもらえないか、と。

そして、それを持ちかけるのは、決して帰る前であってはならない。
前に話を持ちかけて、化け物が出てくる前に祠の修繕が終わったら完全にアウトだ。
故に、絶対的にそれをやるには彼らが帰ったあとでならなくては、ならない。
一人は確実に残らないといけない。
だが、二人でなくても良い。
妹がついていきたいと、もしも言うのなら、妹の幸せを考えてそれを許可すると
簡単なことだと言うの顔をまじまじと見て、政宗は小さなため息をついた。
「………あんたはもう少し、自分の幸せを考えてもいいんじゃないか」
呆れと心配を半々の割合で滲ませた声に、がほんのりと笑うと
哀れそうな顔で、もう一度ため息をつかれる。
…穏やかに暮らせることを、幸せといってはいけないのだろうか。
そう思ったではあったが、おそらく政宗が言いたいのはそうではあるまい。
確かに、が居なくなったら自分はとてもとても寂しいだろうけど。
…でもそれはきっと、がより幸せであれるのなら、私も幸せだと言い切れるようなことなのだ。
はっきりとそれだけは思って、「大丈夫、ですよ」と、きっぱりと言うと
政宗は緩く笑って、冷蔵庫から離れる。
「そうか。まぁ、あんたは大丈夫だな」
そう言って離れていく政宗に、傍についていてくれないのだろうかと
が疑問に思う間もなく、階段から足音が聞こえてきて
ちょうど政宗と入れ替わりに、幸村が二階に姿を現した。
「だからか」
一人呟くと、幸村が何か?と聞いてくる。
それになんでもと首を振って否定して、は今日は牡蠣鍋ですよと幸村に教えてやった。
「おぉ、寒い時期に鍋は乙なものでござる!」
「はい」
にっこりと笑う幸村の笑顔は微笑ましく、は自然と好ましいものを見る目で笑みを浮かべる。
もうすぐできますからね、と鍋に水を入れるを幸村は見ていたが
ふと、階段に目をやって
「政宗殿と」
「はい?」
水音で聞き取れずが目を瞬かせると、幸村はいえ、と力無げに首を振った後
奇妙な表情で自分の胸をさすった。
その不可解そうな表情に、は不思議そうな表情を浮かべたが
彼自身なにか分かっていなさげな、そんな空気だったので
あえてなにも問わず、黙って料理を続けた。