幸村が、警戒しながら山門をくぐる。
彼に未だ抱きかかえられているも同様に。
ひたひたという音の主からは、どうやら逃げ切れたらしい。
時間切れか、粘り勝ちか。
理由は分からないにしろ、ひとまず安全、といった風になった状況に
は安堵の息をついて、それから幸村の胸を押した。
すると幸村はの言いたいことを察したようで、を地面にそろりと降ろした。
「…ありがとうございました、幸村さん」
「あ、いや、某」
「客かの?」
礼を言うと、幸村が頬を染めた。
自分が取った行動を恥ずかしがっているその表情に
どう言葉を続けようか、考えたと黙る幸村の間を縫って、声が挟まる。
その声に二人して振り向くと、声のほうには人の良さそうな袈裟掛けの爺が立っていた。
「…お寺の住職、ですか?」
「うん?それ以外になかろ」
聞くと、不思議そうに見る袈裟掛け姿の爺―住職にそれもそうだと納得して、は一旦幸村と視線を合わせる。
某達のほかには、気配がせぬでござる。
小声でこそりと報告された言葉は、すなわちたちはここには居ないということを示していた。
…無事に下に降りていてくれればいいのだけど。
心配しながらも、しかし、上まで来れたのだから一応話は聞いておくべきだろうか。
今すぐ下に下るか、それとも上で住職の話を聞いてから下るか。
頭の中で少し考えた後、は住職に向かって「少しお聞きしたいことがあるのですが」
と、切り出す。
今、下に下っても、ひたひたという音の主とかち合う可能性がある。
それならば逢魔が時が過ぎるまで、ここで話を聞かせてもらおう。
…四人は、きっと下に降りている。
ひたひたという音の主がこちらを追いかけていたのなら、そうでない四人は、きっと無事なはずと
希望的観測に満ちた推論で自分を騙しつつ、は住職に向かって
「…ここのふもとにある祠と、祠に封じられていたという化け物について。
お聞かせいただけはしませんか?住職」



「珍しいこともあるもんじゃの。
あんな祠なんぞ、もう誰にも忘れられとるかと思っておったわ。
おまけにこんな年若い娘さんと坊が話を聞きに来るとは」
寺の中へと、と幸村を招いた住職は、二人に茶を出しながら
言うとおり物珍しげな視線でこちらを眺める。
それに愛想笑いで応対すると、まぁなんでもいいけどのと、譲る声色で住職は呟いた。
「ここに客が来るのも珍しいし、なんでも話してやるわいよ、わしも割と暇じゃもの。
それで、祠とそこに封じられている妖についてじゃったか」
そこでいったん言葉を切ると住職は
「では、少し長くなるが語ろうか」
と幸村の顔を見比べた後、緩やかに話し始めた。












今現在、平成よりも五百ほど前。
ちょうど戦国時代と呼ばれる頃のこと。
混乱期であった当時の時代には、人が行方不明となることなど珍しくもなかったが
その原因は主に山をうろつく山賊であり人買いであり、結局人によるのだった。
しかしながら、時には人によってなどとは思いがたい事件が、稀に起こっていたのもまた事実で
例えば。
厠に行ったはずの奉公人が帰ってこず、さぼりかと雇い主がかんかんになっていると
厠からその奉公人のものと思わしき草履だけが見つかったり。
例えば。
夕暮れ時、夫婦で散歩をしていると、瞬きの間に横を歩いていた妻が、消えてしまったり。
例えば。
玄関を先にくぐったはずの子供が、家の中、どこにも見つからなかったり。

神隠し。

どう考えても人の手によるものとは思えない事件を、人はそう呼んで恐れた。
神隠しは、山で起これば天狗の仕業。
川の近くで起これば河童の仕業。
神域の近くで起これば神の仕業。
神隠し自体は、戦国よりも以前からあったものだが
動乱の世では、人々の不安も平和な時よりも大きいものである。
人は自分が理解できぬ範疇にあるものを、恐れ遠ざけようとする。
そして不安はそれを倍加させ
神隠しを恐れる人の感情は、戦国時代以前よりも確実に強くなっていた。
加えて、戦国の世になってからというもの、全国各地で神隠しと思しき被害が緩やかに増加したのだ。
北のほうで、腕だけ残して童女が消えた。
東のほうで、足だけ残して男が消えた。
西のほうで、頭だけ残して爺が消えた。
南のほうで、指だけ残して女が消えた。
突然神隠しが、ある一定の地域だけに頻発して起こり始め、二週程経つと
ゆるゆると起こる地域が移動する。
まるで何かが移動して、神隠しを起こしているようと、噂が立ったのは
ことが起こり始めてから、そう時間をおかず、すぐのことであった。
無論、そのように無責任な噂をしているのは下々の者たちだけで
交易にさし障ると、神隠しの起こった地方の主たちはすぐに調査隊を組んで差し向けたのだが
結果は散々たるものだった。
なにも見つけられず、時には調査隊の中の幾人かが『神隠し』される。
おまけに戻ってきた調査隊のものの中には、薄気味悪い赤い化け物を見た、というものまで現れる始末。
当然、人の口に戸は立てられず、その調査隊の人間の言った化け物の話は
尾ひれを加えられながらもあっという間に、人々の間に広まっていったのだった。
北から南まで、まんべんなく噂がいきわたるのに、長い時間は不要だった。
混乱期に、人の不安をあおる噂の伝達速度は目を見張るものがある。
あっという間に、『赤い化け物が神隠しをする』という噂は日本を駆け巡り
また、それを裏付けるように、神隠しは移動しながらも尚も続くのだった。
さて、それに終止符が打たれたのは、神隠しがこの地域に入ってからのことである。
当時この辺りにとどまっていた、仏の尊きを説くために全国を行脚していた
竜伏という僧は、赤い化け物による神隠しを大変に憂いていた。
人がおびえまどう姿は、なんと悲しきことか。
竜伏は、自分が居る地域に近づいてくる神隠しの発生場所を聞くに
自分が退治してくれようと決心を固めた。
そして、決めた竜伏は神通力が宿ると噂される山にこもり
そこで一心不乱に仏に祈り、ちょうど百日目の晩、夢の中で天啓を得たのである。

―山の奥に生えた洞窟のそばの樹で、金剛杵と祠を作るがよい。
さすればお前の望む結果が得られよう。

竜伏はその言葉通り、洞窟のそばにあるひときわ大きな大木を使い
金剛杵と祠を作った。
そして作り終えたその晩、眼前に現れた赤い化け物を
見事作った金剛杵で退治し、祠へと封印したのであった。

そして、赤い化け物を見事退治した竜伏は、
近隣住民の感謝と懇願を受け、住民が自分のために作ってくれた寺、竜伏寺に留まることとし
長い行脚の旅を終えたのだった。








「と、まぁこれが竜伏寺が建てられたのに纏わる話でもある
祠と妖の話じゃが…役に立ったかの?」
「えぇ、はい。それは」
「話していただき、まこと感謝いたす」
「何の目的でこんな話が聞きたいのかは分からんが。まぁ、よかろ」
「ありがとうございます」
二重の意味で、が頭を下げると、ふとカチ・コチという音が耳に入る。
その音に視線を投げると、そこには壁に掛けられたアナログ時計があった。
時刻は夕方六時過ぎ。
話も聞いた。
逢魔が時も過ぎた。
しかし、肝心の部分が未だ残っている。
赤い化け物とは、あの混沌色の穴の主で間違いあるまい。
そして穴の主は、封じられていたという祠が壊れて、世に出てきた。
…だが、もう一度封じるのはどのようにすればよいのだ?
それと、穴から出てきた人間を元の場所に返すにはどのようにすれば?
あきらかに常識から離れたそれを、どのように問いかけるべきかと悩んだ末
さりげなくそれについて聞き出せるような言葉が見つからなかったは、
直球で住職にボールを投げることにする。
「…例えば」
「うん?」
「例えばその封じた祠が壊れて、化け物が世に放たれたりした場合
住職が封じるなんて芸当をできたりは」
「できるわけなかろ」
否定は早かった。
言葉を言い終わる前に遮られ、が頭をかくと住職は嘆かわしげに首を振る。
「そんな真似を現代人のわしができるわけなかろう。
大体、万が一そういう事態になったとしても、祠の原型が残っておるなら
祠を修繕すればよいだけじゃろうて」
「…!それは、どのような意味で?」
言った途端、食らいついた幸村と顔を上げたに、住職は不思議そうな顔をしたが
説明好きなのか、そのまま丁寧に説明を始める。
「妖が封じられた場所が祠じゃろ。
すなわち祠とは封印じゃ。
最初はそうでもなかったかもしれんが、封印とは祠、祠とは封印に
長い年月をかけてそう認識が育った。
ゆえに、万一妖が解き放たれおっても、祠さえ直してしまえば
妖もおのずと封印しなおされよう」
…………。
丁寧に解説されているのはなんとなくわかるが、意味がよくわからない。
がわずかに首を傾げたのを見て、住職はさらに説明を重ねてくれるが
「まぁ、付喪神みたいなもんじゃよ。
長いこと存ると、それだけで物の本質はすり替わる」
「そういう、ものですか」
は曖昧に頷くのみだった。
スピリチュアルとか、心霊とか、そういった事柄に対しての興味は
はそうない。
付喪神と言われても、物が妖怪に変化したもの、という知識だけで
それがどうしてみたいなと例えられるのか。
もう一度内容を咀嚼しようとしたとき、隣で幸村が殿、とこちらに向かって呼びかける。
「某はなんとなく分かったような気が致します」
その声に視線を向けると、彼もまた、のほうへ視線を向け
「例えば、神社に植えられる神木は最初はただの若木。
しかし年月をかけることによって、清浄な空気を纏う神木になると。
住職が仰りたいのはそういったことではござりませぬか?」
「うむ、その通り」
「…なるほど」
現代よりかは不思議が近しい場所にあった時代生まれである分
分かりが早い幸村の解説に、住職は深く頷いた。
大変に理解しやすい彼の解説を聞いて、ようやっともそういうことかと納得をする。
最初はただの変哲のない物でも、時間と人の認識が
「ただの若木」が「神木」に成長するように
認識しているものに、存在を変質させる。
その論理でもってすると、祠は穴の主の封印として認識され続けてきたものであり
祠さえ直せば混沌色の穴の主は何もせずとも、封印しなおされると。
幾ばくかの不安は残るが、ようやく示された問題解決の核心に迫るそれに
ほっとが胸をなでおろしたところで、びりりっとポケットの中の携帯が動いた。
表示される名前を見るまでもなく、だと確信した
すいません、と断って電話に出ると、予想通り妹の焦った声が耳に飛び込んでくる。
『お姉ちゃん、今どこ!?』
「竜伏寺の中だけど…」
『無事なの?』
焦ったの声に、ふと、携帯で連絡をしておけばよかったかと初めて気がついて
は頭の回っていない自分を殴りつけたいような気持になったが
それよりも先に、心配をしているを安心させるべく
出来るだけ優しく、出来るだけ穏やかに声を紡ぐ。
「あ、うん、ごめん。心配掛けたね。ごめんね、二人とも大丈夫だから」
『そっか、ならいいんだけど』
電話の向こうで、が息を吐いたのが聞こえた。
声の調子からして、少しはほっとしたらしいが、それでもまだ心配の色は声の中に残っている。
これは、一旦切り上げて戻ったほうがよいだろうか。
思案して、同じように心配しているだろう佐助、伊達主従の姿を順に思い浮かべて
は話を切り上げる判断を下した。
おおよその話は聞けたし、また疑問が湧いて出たなら、訪ねてくればよかろう。
それでも一応同行者の意見も聞いておくべきだと思って
は幸村に視線を合わせて問いかける。
「幸村さん、まだ聞きたいことありますか?」
「いや、某はもう特には」
「そうですか。じゃあ、。私たちこれから下りるから、下で待ってて。
下にいるのよね?」
『うん、階段の前にいるよ、ずっと』
「そっか、じゃあ、降りるから」
『うん』
頷くに電話切るよ、と声を掛けてから、は電話を切り、携帯電話を元の場所へと戻す。
それからは住職に向きなおすと、深々と頭を下げた。
「貴重なお話をありがとうございました、住職」
「うん?もう良いのかの?」
「はい、一旦は。また何かあれば伺っても?」
「まぁよかろ」
肯定の言葉にもう一度頭を下げて、それから、最後に思いついた疑問をは住職に投げかける。
「…そういえば、その赤い化け物」
「うん?」
「先の話に出てきた赤い化け物に神隠しにあった人たちは、
誰か一人でも、元の場所に戻れたりしたのでしょうか。
…例えば、竜伏によって化け物が封印されたら、元の場所に戻ってきたりだとかは」
「そんな都合のいい話は無かろうて」
わしの記憶では、戻ってきた人間の話など、とんと聞いたことはないが。
その住職の答えに隣の幸村の動揺を殺す気配が伝わってきたが、
は静かに、そうですか、と、ただ消え入りそうな相槌を打った。