最後の変化は、一月後に訪れた。

毎夜毎夜の交わりが、いつのまにか怖くなった義子
その理由を必死に考えていた。
この行為の始まりは、黒田官兵衛を自壊させない為のものだ。
そうして、その成果はきちんと上がっている。
彼は倒れるまで仕事をすることが無くなった。
きちんととはいかないものの、食事をするようになった。
睡眠をとるようになった。
ならば、この行為は続けなければならない。
それなのに義子が怖くてどうするのだという話だ。
だからせめても理由を知ろうと考えていた義子
交わりの後も頭を悩ませ続け、ふと、先に寝た官兵衛の寝顔を見て
ふっと胸をよぎった感情に、目を見開いて
「あー!????」
「っ?!」
突然に義子が出した大声に、官兵衛がびくりとして
勢いよく起き上がった。
敵襲だとでも思ったのか、何事だ!と大声で言う彼に
義子も大声で最悪!と叫ぶ。
胸をよぎった感情が、答えだ。
義子が交わるのが恐ろしくなり始めた、答え。
けれど回答を見つけたというのに、義子は頭を抱えて
ぼすっと布団の中に埋まって死にたいと呟く。
「じ、自分の趣味の悪さにびっくりする…なにがどうしてこうなった!」
「…分かるように喋ったらどうだ」
すっかり目が覚めて、こちらを冷たい目で見下ろしながら言う官兵衛が
見えないのに見えるようだ。
長らくの付き合いで、かっちり想像しなくても良い所まで
つぶさに想像できる義子はげんなりとしながらため息をつく。
「…分かるようにって言ったって、男の趣味の悪さに
自分で気がついて驚いたというだけの話ですよ…ただそれだけです」
…もうなんだか、疲れてしまう。
官兵衛の寝顔を見て思ったのは、可愛い、という暖かな感情だった。
はっはっはっ。
官兵衛の寝顔を見て可愛いだとか、へそで茶が沸く。
けれども義子はそう思ってしまって、思ってしまったからには気がつくだけだ。
そうして切っ掛けはと聞かれれば、男が余りに愚かだったからとしか言いようがなく。
あぁ、あんまりだ。
義子は自分の男の趣味はまともだと思っていた。
いや、少なくとも現代に居た頃はまともだったのだ。
クラスの中堅どころに居たような男子と付き合い、それなりに平和にお付き合い、をしていた。
それなのに、それなのに。
どうして何が転がって、これ!
頭を抱えて死にかける義子だが、その彼女が言った言葉に
官兵衛はそうか。とだけ返す。
一見静かな声だ。
けれどもその静かさの中にあるのは確かな濁りで。
ただ、それには自分の感情に気がついて絶賛混乱中の義子は気がつかなかった。
その代わりに、勢いよく起き上がり、ばんっと布団を叩いて官兵衛を睨みつけ詰め寄る。
「そうかって、他人事のようなことを言わないでください。
渦中の人ですよ、あなたのことなんです、官兵衛殿!」
「…は?」
激する余りにうっかりと、昔の呼び方で彼を呼べば
返されるのは今度はは?である。
いや、義子にとってはは?とは何事だ。であるけれども
官兵衛にとっては行き成り起こされたと思ったら
男の趣味が悪いという話で、すわ自分ではない誰かへの恋心でも自覚したのかと思えばの話である。
青天の霹靂だ。
意味が分からないと言っていいのは実は官兵衛の方なのだが
そんなことはお構いなしに、義子は布団に突っ伏して顔を押し付ける。
「はって。はって。あなたみたいな泰平馬鹿で、もう人生の目的は果たして
あとは余生みたいな顔しながら寂しくて仕方がない人
好きになるとか馬鹿すぎる。叔父上の言葉を借りるならばド阿呆です。
あぁもう、意味が分からない!」
「…それはこちらの台詞だろう。卿は告白がしたいのか喧嘩を売りたいのかどちらだ」
「は?告白?」
思いのままに叫ぶ義子
その義子の叫びの内容のあんまりさに、どうしていいのか
分からず眉間にしわを寄せる官兵衛。
そうして彼が戸惑いのままに発した問いかけに、
義子は思い切りはぁ?と言う表情で布団から顔を上げて…固まった。
………告白?は?あぁ、いまの。
告白といえば告白…だった?
あぁ、うん。
告白……想いを告げること。
想い。
…………。
「いや、違う。そう言う意味じゃなかった、違う」
思わぬ自分の行動に、反射的に義子がそう言うと
官兵衛はみるまに表情をゆがませ義子を見る。
けれども多分、官兵衛はそのことに気がついていない。
やはり愚かなのだ。
なんとなく直感的にそれに気がついて、ぼうっと彼のその表情の変化を見ていると
彼は勘違いか、と義子に聞いてくる。
「勘違いか、今のは」
「いや、いや。うん。勘違いというわけでもなく事実しか述べてはおりませんが
違うんです。勢いというか衝動というか」
そういうつもりではなかった。
だから、ちょっと混乱している。
いつもとは違って理路整然とは語れずに
普通の女のようにわたわたとした喋りをしていると
官兵衛はじっと義子の顔を見て、それから義子の前髪を触って
目を見つめて口を開く。
「卿は、私が好きか」
改めて答えるには躊躇われる問いだ。
けれども、これに否定してはならない。
引き留めたいならば。
察しながら、躊躇い。
けれどもやがて渋々と、義子はこっくり、官兵衛に頷いて見せた。
「まぁ…その…まことに遺憾ながら」
「愚かだな」
「まぁ」
そうして、認めた言葉に対して、官兵衛の反応はにべも無い。
いつも通り、標準仕様。
それが分かっていたから落胆もせず受け止めて
全くどうしてこれだったのかと義子が思っていると
官兵衛が大仰なため息をついた。
そこまで嫌がらなくても。
眉間に深い縦皺を刻み、嫌そうな表情を浮かべる官兵衛に
苦笑いを浮かべかけた義子だが
「だが悪い気がしない私も愚かだ」
官兵衛は全く義子の予想の範疇を超えたことを言って
座り込む義子の腰を掴んで引き寄せ、自らの横に置いた。
…察するにここで寝ろということらしい。
義子の意味のわからない喧嘩腰の告白と、悪い気はしないという官兵衛の言葉を合わせて考えると
どうにもそういうことであるようだ。
お互い意味が分からないなと思いながら、義子はふーと溜息をつく。
ある程度居心地の良かった仮面夫婦生活は、完全に終わった。
終わってしまった。
義子たちが、終わらせた。
物事の移り変わりを感じながら、義子は眉間に皺を寄せつつ
隣の男へともう少し体を寄せる。
男の低い体温に、義子の体温が奪われて
冬は少し寒いだろうなと、彼女は詮無いことを思って
どうしようもないとただ苦笑を浮かべた。