そういうどうしようもない二人に転機が訪れたのは
暫く立ってのことだった。
官兵衛は、いくら義子を抱いても、義子の中には出さなかった。
理由は、子だ。
義子は養子とは言え、今川の娘だ。
子供が男子だった場合、争いの火種になる可能性がある。
だから、子ができないよう、官兵衛は毎度律儀に外に出していた。
現代の知識がある義子としては、それでどれほど避妊ができるのか
怪しいものだとは思っていたが、彼にそういう理性があるのだということは
彼女をほっとさせた。
だったのに。
「兄上」
「やあ、元気をしているかい、義子。それに官兵衛も」
珍しくも義子たちの住まう屋敷を訪れて、手土産の酒を差し出しながら
笑う義兄に、義子は歓迎の笑みを浮かべた。
「兄上、今日はどうされたのですか、お珍しい」
「義子、お前は冷たいね。私が面倒くさいのに足を運んだというのに用事かね。
用事がなくては可愛い義妹に会ってはならぬのか」
そう言って笑う氏真だが、会ってはならぬでしょうな。と
厠を借りたいという彼に、許可を出して氏真が部屋を出た後
官兵衛はぽとりと言葉を落とした。
…そうだろうなと義子も思う。
だから、なんですけどね、兄上ですから。そう言って曖昧に誤魔化して
義子は出した茶を飲む。
それに、官兵衛が酷く気に入らなそうな顔をしたのには、彼女は気がつかなかった
。
更に、義子を構い倒し、からかって、昔の頃のようにしながら
氏真は一泊を義子たちの屋敷で過ごし、その後城へと帰っていった。
何をしに来たというわけでもない。
ごく普通に、義妹夫婦の所に遊びに来ただけ。
義兄として、ごくごく普通の行動だ。
義兄氏真が今川の当主でなく、義子が今川の娘で、かつ補佐役として活躍をした女でなくば。
…ようするに、官兵衛も窮地に追い込まれていたが
義子のほうも、今川義元亡き後、立場を微妙なものにしていたのである。
優秀すぎる補佐役、というのも考えものだ。
主を脅かす危険性がある。
それを、当人が望んでいようといまいと。
だから義子は身を引いた。
争いが起きる前に出過ぎたからと蟄居して、義兄からどうしてもと振られる
どうでもよい仕事をこなして暮らす。
(官兵衛のしていた仕事は、氏真に彼が頼んで山のように貰ったものだ)
それが、生きたいと望むのであれば、唯一、今川の義子、官兵衛夫婦に残された暮らし方だ。
それなのに、氏真はそれを嫌がって、義子に戻ってきてもらいたがっている。
そのことを、彼の訪問から鋭く察した義子と官兵衛は
揃って微かな溜息を零した。
「卿は、昔から思っていたが氏真殿に随分と可愛がられているな」
「…まぁ、何故かは知りませんけどね」
珍しくも夜になり、交わるのかと言う時になって
義子の服を脱がしながら、官兵衛がこちらに話しかけてくる。
それを素直に珍しいという表情で聞きながら
義子は正直に彼に答えた。
すると、彼は、機嫌悪げな顔をして義子の肋骨の辺りをすぅっと撫でる。
いつもならば、そのようなことはない。
いつもと違う官兵衛と、もたらされる行為にびくりとしながら
義子がじっとしていると、着物が脱がされ裸にされる。
そうしていつもどおりに床に引き倒され、その時官兵衛が、義子の首筋を噛んだ。
「っ」
いつもとは違う行動。
いつもと違う官兵衛。
けれどもやはり官兵衛からもたらされる行為を甘受していると
彼は義子の股の間をつぅと撫でる。
「…っ」
声を殺し耐えながら、いつもと違う行為に義子は混乱をした。
いつもと違いすぎる。
官兵衛の表情を見ると、彼は先ほどと同じ機嫌悪そうな表情をしながら
義子に刺激を与え続けていた。
訳が分からない。
けれど、違う所と言われて思いつくのは氏真のことだけで
義子はそこではっとして官兵衛の顔をもう一度見た。
もしやこの男、義子の方も戻りたがっていると思っているのではあるまいな。
いや、別に戻っても良い、戻っても良いのだ官兵衛としては。
けれどもその戻ることによって、残された唯一を失うことを彼は恐れている。
だからこその、いつもと違うこれだ。
なんとも言えない。
義子がいっそ愕然としている間に、官兵衛はいつもと違うけれども
いつもと同じように、義子の股の間に自らの男根を差し入れる。
いつまでたっても慣れない衝撃に、義子が歯を食いしばってそれに耐え
―その後は、いつも通りだった。
義子を乱暴に使って、官兵衛が感情を吐き出すように
彼女を揺すり、彼女はそれを受け入れて、男が壊れないことを喜ぶ。
けれど、いつもと違う交わりは、いつもと違う結果を彼らにもたらした。
義子の上で、官兵衛が眉間にしわを寄せる。
幾度も繰り返された交わりの中で、それが射精寸前の表情だと
知っていた義子は、彼がいつものように男根を引き抜くのを待った。
が。
抜かれない。
いつまで経っても抜かれない。
抜く気配さえない。
ただ、揺する運動が続くだけだ。
なかのモノの様子から、白いものが吐かれるのがもうすぐだと
確信した義子は、焦りながら官兵衛を呼んだ。
「か、官兵衛!」
「なんだ」
「なんだではなく、ぬ、抜いてください、早く!」
「何故」
きっぱりと官兵衛は何故と言う。
それの指し示す所を義子は悟って、顔をざっと青ざめさせる。
この男、今日は中で出す気だ。
意味が分からない。
何故、今日になってそういうことになるのだ。
十分に、射精前に出される先走りで妊娠の危険はある。
避妊に関して、そうたいした意味はないと分かっているはずなのに
義子は焦りながら体を引き、中に入っているものを抜こうとするけれども
官兵衛がそれを許さない。
ぞっとするほどの力で義子の体を掴んで、逃がさないようにする。
官兵衛の顔を見る。
その瞳は濁っていて、彼が真実そうする気なのだと義子に教えた。
馬鹿だ、愚かだ、この男は。
「官兵衛、離して、離して下さい!お願いだから!」
「何のためにだ」
「中で出されたら赤子ができます、そうしたら」
「そうすれば、今川にとっては良い火種となるだろうな」
冷静な声、けれどもその中の上ずりに義子は恐怖をして
そうして、ぐっと脈動する感触が体の中で、した。
それを絶望の中で受け止めながら、義子はぁ…という小さな声を漏らす。
射精された。
中で出された。
出しやがった、この阿呆。
どくどくと吐きだされる精液の感触を感じながら
義子は自分の中でそれをやっている者の持ち主を、見る。
「官兵衛、お前」
中は駄目だ、絶対に駄目だと分かっているはずなのに、こいつ。
「官兵衛、あなたは」
「中で出したが、さて卿は子を孕むかどうか。
まぁ、子ができたなら、今川にとっての良い火種になるだろう。
卿は拾われ子であるが、その有能さを見せつけた。
で、あるならば」
「かん、官兵衛っ!!」
激して男の名を呼べば、彼はそれが聞きたかったというように
満足げな色を瞳に宿す。
その色に、男がそれをなした理由を知って、自分の頭が痛むのを感じた。
………戻って失うことも、持っている唯一が他のものに目を向けるのも、嫌。
だから、自分の方を見ろと、嫌がることを好んでする。
というか、された。
だから、されたのだ、義子は。
嫌がると知っているから中で出されて、嫌がると知っているから
その結果、在り得るかもしれない未来を彼は言う。
それをやって、嫌われるかどうかは二の次なのだろうよ。
ただ、見られなくなるのが怖い。
黒田官兵衛という男の馬鹿さ加減を思いしって
義子は体から怒りが抜けていくのを感じた。
馬鹿だ、こいつ。馬鹿すぎる。
馬鹿に怒ったって無駄だ。だって馬鹿なんだから。
そうしてあんまりに官兵衛が馬鹿すぎるから
義子は鼻の奥がツンとしてやりきれないような気持になる。
馬鹿だ、ねぇ、この人馬鹿すぎるよ。
半兵衛と元就に託された理由を改めて思い知りながら
義子は男の肩を掴んで引き寄せ、己の額をそこにつけてふぅと息を吐いた。
「どうした、もう怒らないのか」
「…………怒るよりも先に呆れているだけで。
…官兵衛、あなた、頭は良いのに、本当に、愚か」
こちらをずっと向いていろというのなら、口で言え。
そうすれば聞いてやるのに。
思いながらも、義子はこの男が決してそれを口には出さないだろうことも
理解していた。
というよりも、自分の心の動きが分かっていなさげな気がする。
見ろと思ったことも、自覚してやいないだろう。
この人、大した泰平馬鹿であるから。
己は泰平をなすための駒。
周りは泰平をなすための道具。
そうして生きてきて、それが成り、そうしてその後手を引いてくれていた人二人を失って
この年のいった男は、良い歳のくせをして迷子なのだ。
そうして最後に残った道案内の出来ぬものを
自分の手のうちからなくすことを、自分でも気がついていないのに恐れている。
それを思えば、どうにも怒る気が失せた。
と同時に、義子の心のどこかが、音を立てて傾ぐ。
ここまで駄目なら、もういっそ仕方がないと、意味も分からず思う。
そうしてそれをそのまま口に出して
「…あなた、本当に馬鹿すぎてどうしようかと思いますよ」
「何を持って馬鹿愚かと言われているのか、思い当たる節が無いな」
「全部では?」
返して義子は肩から額をいったん離して、今度は頬をすりつける。
この男に残っているのは、もはや自分しか無いのだ。
…本当に、愚か。