・約束

 

「これがわしらを痛くしるよう、痛いのよ!しどく冷たいよ、くそっ!エルフが縒った縄だよ、外してくれ!このしとたちひどいよ、わしらを痛くしるのよ!」
「うるさいっ!」
ヒスラインの綱を首にかけられたゴラムは、とんでもない大きさのキイキイ声で叫び続けました。ばったんばったんと手足をのたうちまわらせ、縄をほどこうとしては指をこそこそ動かし、そのたびにキイー!と悲鳴をあげるのでした。
「まったくなんちゅうやつだ!」
サムは今度こそ我慢の限界だというようにゴラムを振り返りました。綱のもう片方の端は、サムが持っていたのでした。
「こんなばか騒ぎじゃモルドール中のオークどもがみんなここへ来ちまう!やっぱり縛りあげて置いてく方がいいですだよ!」
サムはフロドを見て怒ったように言いました。サムにはどうしてこんなやつに主人が情けをかけるのか分かりませんでした。
「やめてくれよ!わしら殺す気かよ、殺すのかよ!」
「これ以上連れてく価値もねえですだよ!」
「確かにそうかもしれない。」
フロドはそんなサムとゴラムをどこか遠くから見ているような口調でそう言いました。
「しかしサム。わたしはこいつをこの目で見た今、憐れみを覚えるのだよ。」
するとゴラムが急におとなしく、そして懇願し始めました。
「わしら、いいことしるよ、縄はずしてくれたら、このしとたちいいホビットよ。いいホビットにはよくしるよ。わしら誓うよ。そうよ、そうよ!」
「誓うだと?」
フロドはサムには見せたことのないような厳しい目でゴラムを見ました。
「そうよ、わしら誓うよ、いとしいしとにかけてだよ、いとしいしとにかけて。」
そうしてゴラムは“ゴクリ、ゴクリ”とのどを鳴らしました。
「いとしいしとにかけてだと?お前はよくそんなことが言えるな!指輪は油断ならず、信用できない。お前はあれに捕らわれるだけなのだ。お前はあれを手にしてはならない。そしてお前は分かっているはずだ。それがどこにあるのか。お前の目の前だ。」
サムはまた主人の言葉と厳しい声に驚かされました。フロドはただ優しいだけの主人ではなかったのだと、もう一度思うに十分でした。しかしそのフロドの心はやはり慈愛に満ちているのでした。
「わかったよ、わかった。いとしいしと。いとしいしと・・・」
しかしゴラムの目には一瞬、またどす黒い光がともりました。そしてサムはそれを見たのでした。
「おらは信じないぞ!」
そして立ち上がり、後ろに後ずさりフロドに飛びかかろうとした(ように感じられた)ゴラムの首の綱を思いっきり引きました。
「伏せろ!このちくしょうめ!」
「サム!」
フロドは思わずサムを怒鳴りつけていました。フロドはゴラムに奇妙な連帯感を感じていたのでした。そのつながりを突如としてサムに崩されたのだと思い込みました。決してそんなことはないのにです。その考えはフロドの中から出てきたのではなかったのかもしれません。フロドは今、自分とゴラムのことでめいっぱいでした。そしてサムはそんな主人を守るためとはいえ、主人に大声で、ほとんど怒鳴りつけるような勢いで自分の考えを分からせなければなりませんでした。
「こいつはおらたちを騙そうってんですよ旦那!こっちが眠ってる間に絞め殺されちまいますだ!」
そしてゴラムを睨みました。その視線の先にはまた這いつくばってのどを鳴らし、地面に悶えてのたうつのが見えました。しかしフロドはそんなサムの言葉を聞いたのか、聞かなかったのか、ゴラムのほうへ向かって歩き出しました。
「旦那!」
どうしてでしょう。サムには分かりませんでした。どうしてフロドの旦那は自分の言葉と予感を信じてくれないのでしょう。どうしてこんなやつをかばおうとするのでしょう。それはこれから何度となく感じるもどかしさであり心の痛みでありましたが、サムは今初めてそれを感じて戸惑っているのでした。指輪に捕らわれたものにしか分からないこのつながりを、サムはこの先ずっと感じてゆくことになるのでした。
 

「お前はモルドールへの道を知っているか?」
フロドがゴラムに近づいてまっすぐ瞳をゴラムに向けました。
「しってるよ・・・」
「お前はそこへ行ったことがあるか?」
ゴラムは一瞬目を泳がせて浅く頷きました。
「そうよ、偶然なのよ、そうよ、いとしいしと。いやなとこよ、とってもよ、いとしいしと。」
フロドはゴラムの目の中にひとかけらの真実を見たような気がしました。もちろんサムには全てが疑わしく思えました。行ったことはあっても、逃げ出したのではないでしょう。逃がされたのだとしたら共に行動することはあまりに危険です。しかしフロドはゴラムに近づき縄を首からはずしてやったのでした。ゴラムはそのフロドの手とフロドの顔を見ながら今までなかった何かを目の中に灯しました。
「わたしたちを黒門に案内しろ。」
突然、ゴラムははっとはじかれたように岩の間を這い進みはじめました。それはかなりの速さで、ついてゆくのも大変なほどでした。疲れも一旦しまいこんで、ふたりは身体に鞭打ってゴラムの後を必死で追いかけました。こうして一同は夜空に星が瞬くその下を出発しました。そしてエミン・ムイルの急峻な崖から離れ、石やら岩やらが行く手を阻んでばかりいる斜面を下り、その下に広がる広大な不毛の沈黙の地に足を踏み入れていったのでした。

「ニンダルヴの岸で」に続く。